やさしい人は、生きづらい
やさしい人とはなんだろう。
やさしい人って、一歩間違えると、生きるのが、大変になるのではないかと思う。
なぜなら、優しい人の定義を間違えると、自分の人生を、他人の為に生きてしまう可能性があるからだ。
言い換えれば、自分軸ではなく、他人軸で生きてしまう。
たとえば、やさしい人の定義をはき違えると、どうなるか。
「…あの人は今こう考えているから、こう動かないといけない…」
「…この人が不快な思いをしないように、細心の注意を払おう…」
「…自分の気持ちなんて置いておいて、他人の為だけに生きよう…」
なんて、極端ではあるが、こんな考えになるかもしれない。
…こう考えると、HSPさんの考え方ですね。
人生を楽しく生きるためには、自分軸が大事だ。
なので、やさしさを取り違えると、それは他人軸になってしまい、楽しい人生から遠ざかってしまう。
やさしさの定義
そもそも、やさしい人の定義ってなんだ?
『やさしい』の辞書としての定義は、
姿・様子が優美である。上品で美しい。
他人に対して思いやりがあり、情がこまやかである。
性質が素直でしとやかである。温和で、好ましい感じである
悪い影響を与えない。刺激が少ない。
身がやせ細るような思いである。ひけめを感じる。恥ずかしい。
控えめにふるまい、つつまやしかである。
殊勝である。けなげである。立派である。
…多いな。
調べてみたら、定義が多かった。
これはあれだ、最初はそんな意味なんてなかったけど、使っていくうちに、どんどん新しい意味が増えてきたパターンだ。
では、やさしい人とはどの意味合いとして使われるのか。
僕が思うに、②と③に加えて④なんかが、主にやさしい人のイメージなのかな、と思う。
それにしても、③の、
とは、なかなか主観的な意見だな、なんて思う。
それ、あなたの感想です。
④もなかなか酷い。
この定義はあれだ。
「この人、優しくて何の不満もない」
「…けど、つまんない。刺激のある、あの人の方が楽しそうだわ!」
なんていう、優等生の彼女が、ヤンキーに鞍替えしたくなる理由と一緒です。
多くの人の、やさしい人のイメージって、②の、
ですよね。
これが一番しっくりくる。
やさしい人は目指すべきじゃない
やさしい人って、そもそも、目指すものでもないんですよ。
他人の気持ちを最優先する
自分の気持ちを最優先する
自分の気持ちを最優先にするべきだ。
なぜなら、本当のやさしさは、余裕がないといけないから。
他人の気持ちばかり優先してしまうと、余裕がなくなる。
なにより、自分にやさしくできない。
だから、自分にやさしくして、余裕を作るためにも、まずは自分の気持ちを最優先に考えるべきだ。
やさしい人は目指すものではなくて、余裕のある人が自然にやさしくなってしまうだけだ。
おはようございます!