『天地修法(あめつちののりこと)』(祝詞奏上と真言の読誦の併修)について
「家の宗旨は仏教だけど神棚もあって神仏両方拝みたいのですが、簡単に出来る拝み方はありますか?」
という質問をよくされますが、大変結構なことだと思います
私は神道の神職ですが、日本は千年以上の長きに渡って『神仏習合』でやってきたので、神道と同様に仏教、特に密教を学ぶようにしてきました
江戸時代中期の真言密教の阿闍梨である慈雲尊者は『雲伝神道』を提唱し、
『神道の赤心(あかきこころ =真心・誠 陽明注)は、密教の清浄菩提心を知ることに在り』
『言神道玄妙、興吾密教、相為表裏」(神道は玄妙なり、わが密教と表裏を相為す)』
と、
『神道と密教が表裏一体であること』
を密教の立場から解き明かされているが、これは真に霊的な真理を説いておられます
神道の中でも古神道と呼ばれる霊的な神道の流れでも、宮地水位が書き残した「異境備忘録」などを観ると、神々がいる高天原である神集嶽神界のなかにも「九羅殿」という大国主大神を祀る神殿があり、また『密教は九羅殿の系統なり』という口伝が伝えられています
つまり密教は神道的には大国主大神系統であり国津神系統(出雲系統)という伝承があるので、密教は神道の裏面であるとも言えます
そこで、天津神(あまつかみ)と地津神(くにつかみ)という観点から言えば、上記の質問を答える意味で、次のような簡易な修法を誰でも自由に行なうことができます
天地修法(あめつちののりこと)
①天津神の修法=祝詞奏上
三種太祓(みくさのおほはらひ) 『とほかみえみため』
十言神呪(とことのかじり) 『あまてらすおほみかみ』
②地津神の修法=真言読誦
光明真言『𑖌𑖼𑖀𑖦𑖺𑖑𑖪𑖹𑖨𑖺𑖓𑖡𑖦𑖮𑖯𑖦𑖲𑖟𑖿𑖨𑖯𑖦𑖜𑖰𑖢𑖟𑖿𑖦𑖕𑖿𑖪𑖯𑖩𑖢𑖿𑖨𑖪𑖨𑖿𑖝𑖿𑖝𑖧𑖮𑗝𑖽』
真言宗の訓み「おん あぼきゃ べいろしゃのう まかぼだら まに はんどま じんばら はらばりたや うん」
天台宗の訓み「おん あぼきゃ びろしゃな まかぼだら まにはんどま じんばら はらばりたやうん」
③惟神(かむながら)=回向
「惟神霊幸倍坐世(かむながらたまちはへませ)」
「願以此功徳 普及於一切 我等與衆生 皆共成仏道」(がんにしくどく ふぎゅうおいっさい がとうよしゅじょう かいぐじょうぶつどう)」
(上図は御影舎所蔵「光明真言曼荼羅」)
施行法解説
①天津神の修法=祝詞奏上については、両方唱えても良いし、どちらか好きな方を唱えても良いでしょう
回数などは任意で良いが、3回、7回、21回、あるいは10分〜15分ほど奏上することが望まれます
奏上法は、一音一音の言霊の響きを確認するように、長く伸ばしてゆっくりと唱えます
とーほーかーみーえーみーたーめー
あーまーてーらーすーおーほーみーかーみー
②地津神の修法=真言読誦については、真言宗の訓み方でも天台宗の読み方でも好きな方を唱えれば良いでしょう
回数などは任意で良いが、3回、7回、21回、あるいは100回(108回)〜1000回(1080回)ほど奏上することが望まれます
奏上法は本来であれば真言宗なり天台宗の阿闍梨に直接習うことがべすとですが、今はネットでもたくさんの光明真言を読誦している映像や音声がありますのでそれを参照にしても良いでしょう(ただし、あやしげな開運する光明真言とかのYouTubeなどではなく、正当な僧侶の方の音声や映像を参照してください)
①も②も唱えながら自分と周囲が光り輝くようにイメージしながら唱えると自分も周囲も浄化され光明に満たされます
それは天照大御神=大日如来の大光明であり、神道や仏教という小さな枠や垣根を越えた大光明の世界に通じるようになるのです
古神道には「惟神霊幸倍坐世(かむながらたまちはへませ)という言葉がありますが、これは「神様に全てお任せします、神様は全てを一番良いようにしてくださるのだから」という意味です
仏教の修法などでは最後に回向として真言や経典読誦や修法の功徳を普く一切の存在に振りまきますが、有名なのは下記の回向文です
「願以此功徳 普及於一切 我等與衆生 皆共成仏道」(がんにしくどく ふぎゅうおいっさい がとうよしゅじょう かいぐじょうぶつどう)
「願わくは此の功徳を以(も)って、普(あまね)く一切に及ぼし、我等と衆生(しゅじょう)と、皆共(みなとも)に仏道を成(じょう)ぜんことを」というような意味で、皆が一緒に悟りを得られますようにと願うのです
祝詞を奏上し、真言を読誦した大光明である神験・功徳を全て神仏にお任せして、自分のみならず全ての生きとし生けるものに振りまくことで修法は完成です
この天地修法を日々修することで、天地や神仏と自然に通じて一体となって、自由自在に生きていけることになるでしょう