お母さんがセーラームーン描けへんのやったら私が自分で描くしかないやん
イラストレーターのサタケシュンスケさんがツイートされていた #絵を描くきっかけになったもの3つ というタグと、
リンク先のnoteを読んで、
私にとっての絵を描く・絵を描き続けるきっかけ3つって何だろう?と考えてみました。
1.セーラームーン
幼稚園の頃、家族でダイエーに買い物に行って、帰宅後テレビをつけた瞬間に画面に映ったセーラームーン。
「めっっ…ちゃかわいい!!!!!!!」
雷に打たれました。その日から私はセーラームーン大好き人間となり、両親や祖父母にねだって少しずつグッズを買ってもらっていました。
「セーラームーングッズ、もっと欲しい…」
ある日幼なじみのTちゃんの家でお絵かきをしていたら、Tちゃんのお母さんがやってきて、サラサラとセーラージュピターを描いてくれました。そのイラストは今もはっきり覚えています。アニメの絵とは少し違うけど、線がとても綺麗な横顔のジュピターだった。
▼こんな絵 実物はもっとうまかった
このとき初めて「セーラームーンって普通の人でも描いていいんだ!!自分の好きなところにセーラームーン描いたら、セーラームーングッズ増やし放題やん!!!!」と気がつきました。
私は早速家に帰り、母にセーラームーンを描いてもらいました。
全然かわいくなかった。
どんな絵だったかは忘れたけど、「全然違う」と思ったことは確かです。
「Tちゃんのお母さんは上手やのに、なんでお母さんはそんなへたくそなん!?もっとかわいく描いてや!!!」母には悪いですが相当わめき散らしましま。
で、タイトルに至ります。
お母さんがセーラームーン描けへんのやったら私が自分で描くしかないやん
セーラームーンのノートや下敷きの絵を、写し紙にトレースしまくりました。そのうち自分でもそれなりに描けるようになりました。
自分が見たい絵を自分で描く。これが私が絵を描くようになった、最初で最大のきっかけです。
2.授業中のノート
小学生になると学級新聞に絵を描き、友達と交換マンガを何冊もやり(交換日記みたいにマンガを交互に描いてストーリーを作る)、毎日絵を描きました。
中学では授業中、板書や問題を解き終わったらすぐノートに絵を描いていました。なんとなくの落書きだけでなく、授業内容に関連する絵も描くようになりました。
ノートを提出したときに、先生が反応してくれることも。
▼中学のノートより「白鳥はかなしからずや空の青 海のあをにも 染まずただよふ」でおなじみの若山牧水(左)。このノートは、教科書やノートを処分するときにイラストだけ切り出してまとめたもの。
友達に見せたら笑ってくれました。
▼高校のノートから、英語の長文の写真のインパクトが強すぎて描いたやつ。
自分も描いて楽しいうえに、見た人が笑ってくれる…うれしい…!!
自分の絵で人を楽しませる喜びを知りました。
3.育児
出産後、赤ちゃん最優先の生活の中で、何か自分が主体的に取り組めるものはないかと思い始めたのが、育児絵日記とインスタグラムへの投稿でした。
当時は育児絵日記を投稿している人はまだそれほど多くない時期。20人、50人、100人と見てくれる人が増えていくことを、とても嬉しく思っていました。
私の絵をたくさんの人が見てくれて、しかも共感してコメントまでくれて…読んでいると、夜中2時に夜泣きする娘を抱っこしてゾンビのようにゆらゆら歩き回っているときに感じる孤独も、和らぎました。
子育てについて考えたことや印象に残った出来事をストーリーマンガにすることも始めました。
私は起承転結つけて話すことはうまくないほうです。でもマンガなら、描きながら伝えたいことを整理して(少なくとも喋りよりは)わかりやすく伝えられる気がしています。
選挙のマンガについては、
・子どもに話遮られるこよくありますよね〜
・選挙について話してみようと思います
・子どものころ両親の選挙についていき、政治の話をしてもらっていました
といったコメントをもらい、それに対して私だけじゃないんだ!とか、私もそんな親になりたいなとかいろいろと考えを巡らせました。
私が描いて、見る人が何か感じとって気持ちを表現してくれて、それを私が読んで何か感じとって…絵が私にとってのコミュニケーションのひとつになりました。
・・・・・
以上の3つが、私が絵を描く、絵を描き続けるきっかけになったものです。
自分のために描き始めた絵は、いまも自分の楽しみや息抜きであることに変わりはありませんが、笑ってくれる人が身近な人から遠く離れた人にも広がったことは、ほんとうにありがたく幸せなことだと思います。
今年もいっぱい描くぞ〜〜〜〜!!!!
ここまでお付き合いいただきありがとうございました!みかんあげます。