で、ファンドの不燃ごみって何よ
生きてました(最終投稿が半年前でビビった)
毎度芸がないのですが、平沢進の曲聞いてて歌詞の意味がふと理解できた気がするのでメモついでにちょっと書き記しておこうかと。
あと、いつの間にかnoteがMarkdown対応してたので、その試しも兼ねて。
で、件の曲というのがこちら
回路OFF 回路ON
13thアルバム ホログラムを登る男 に収録されたこの曲。
の、歌詞のこの部分。
ぶっちゃけ意味は分からんけど、語感が好きだったやつ。
なんとなーくこんな意味かなとぼんやり分かった気がしたので、以下解説。
ヒューマンの原理 is 何
「ヒューマン」はそのままの意味で、「人間」という理解で大丈夫です。
※平沢進の言葉を借りて「ヒト科」という表現を使うとより分かりやすいのですが、それはそれで「ヒト科 is 何」という長い解説が始まるので割愛。
で、「原理」もまぁそのままの意味ではあるのですが…。
ニュアンス的には「魂」とか「意志」みたいな言葉が近いですかね。
人間の根源的な、本質的な、なんかそういう言語化しにくいアレです。
この手にあるものが心か、みたいな、なんかそういうカンジ。
要するに、「ヒューマンの原理」=「人間の魂」ってことですね。
細かいニュアンスはさておき、おおむね外れてはいないんじゃないかな。
ファンドの不燃ごみ is 何
次に「ファンド」ですが、直訳するとご存じの通り「カネ」ですね。
個人的には「ファンド」は「資本主義」と置き換えると一番しっくりきます(もっと平たく「カネで回る世界」と表現すると、いかにも平沢進の嫌いそうな雰囲気が増します)。
残るは「不燃ごみ」ですが、ここでいったん話をまとめてみます。
まとめると、「ヒューマンの原理はファンドの不燃ごみ」という表現は
「人間の魂は資本主義の不燃ごみ」と置き換えられます。
どういうことかというと、システマチックに動く現在の資本主義社会において、個人は魂なんて持つ必要はないということ。少なくとも資本家にとっては、魂を持たないロボットのような人間の方が使いやすくてGood、的な。
だから魂は要らないどころかむしろ邪魔。言うなればごみだと。
この論で行くとアラ大変、社会の歯車としてせかせか働く我々サラリーマンのような人間こそ、魂がごみ扱いされてる典型ということになりますね。
余談ですが、宮台真司も何かの本で似たようなことを言ってたような。
高度にシステム化された社会において、個人は代替可能な存在で、行動原理は損得勘定がベースになって浅ましいクズが量産されるとか、そんな話。
ここで解説を終わると、すすむおじさんが庶民をバカにしてる!みたいな構図になるのですが、毎度のことながら(?)そんな話ではありません。
最後の「不燃ごみ」というフレーズがポイントです。
なんで「不燃」ごみ?
さて最後になりますが、なぜ「可燃」ではなく「不燃」ごみなのか?
個人的には、「人間の魂は不燃である」みたいな、そんな意味が込められていると解釈しています。
個人の魂がごみ同然に扱われようと、魂は決して燃えて無くなりはしない。
そんなすすむおじさんの人間に対するある種の希望が、「不燃」ごみという表現の意味するところなのかなーと、魂を抜かれたロボットながらに考えたのでした。