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45. いつも悩む自己紹介/ Siempre me preocupo mi autopresentacion

今日は日本から大物ゲストがミドリに来てくれます。

前田鎌利さんという書家の方です。

その結果は後日紹介したいと思います。


ミドリも存在が徐々に認められ、たまにこのような大物ゲストが訪問してくれることも増えました。

昨年は日本の議員さんまで来てくれました。



そこで、いつも悩ましいのが、僕の自己紹介です。

現在の肩書なんかは説明できますが、

「どうしてパラグアイなんですか?」

この質問、おそらく100回以上はされてると思います。


大体言うことは一緒なんですが、

今まで一度も納得のいく説明ができたことがないんです。


Noteを始めた冒頭の頃にも、どうしてパラグアイなのかというテーマで数本書きましたが、

話そうと思えば、何時間でも話せてしまいます。


今日、前田さんと会う場合は、時間も限られているので、

簡潔にシンプルに伝える必要があります。

なので、今日は今後のためにも、簡潔な説明を書きたいと思います。


***


パラグアイにきた最初のきっかけは「卒研の調査」です。

建築デザインを勉強していたんですが、

大学四年の時に初めて一人でパラグアイに来ました。


僕は当時、課題が全然うまくいかなくて、教授に叱られてばっかりだったんですが、

ある日、夏休みにその悩みを、

アーティストの滝沢さんと言う方に相談したんです。

そしたら、翌日に茶封筒で20万円渡してくれて、「これで南米行ってこい」と言うんです。

僕の課題の参考にしていた学校がパラグアイにあったので、

そのお金で実際にみてこいと言うんです。


英語も話せなければ、

海外なんて行ったこともなかったのでパスポートも持っていませんでした。

でも、2週間後にはパラグアイに来ていました。


初日に新品のアイフォンを盗まれたり、色々ありましたが調査はうまくいきました。


帰国後、僕の課題のテーマは、
「パラグアイの日本人移住地に錦鯉を養殖する農学校」を作るに180度変え、
教授はすぐに認めてくれました。


その後、学内展ではトップ賞をもらい、
全国大会でも最優秀賞を獲得することができました。



僕の親父は新潟の田舎で建築板金の小さな会社を経営していたので、

僕も跡取りとして就活せずにいたんですが、

初めて世間様に、自分の能力を認めてもらうことができたのが本当に嬉しかった。


そこで、親をなんとか説得して2〜3年のチャレンジのつもりやってきました。


調査の時に知り合った日系の方が、パラグアイは建築ラッシュだし、
建築士の需要もたくさんあるから、おいでと言うことで、
就職もスムーズだったんです。


でも、気づいたら10年経っちゃいました。


***


ん〜、やっぱりなんかまとまりがないというか、

要点はまとめたように思ったけど、

なんかてんこ盛りすぎるかもしれないですね。


あと数時間あるので、もう少しブラッシュアップして臨みたいと思います!

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