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61. 父親のこと/ sobre mi padre(2)


父は高校には行かず、職業専門校で建築板金を学びました。


当時の住宅は、瓦屋根や木材の外壁が主流でしたが、

金属系の屋根や外壁が出回っている時期で、

雪国の新潟では、瓦よりも軽い金属屋根の方が適しています。

外壁も含めて耐久性も高いため、

板金屋の需要がこれから伸びてくと判断した父の中学の教師は見る目があったと思います。


一方で板金屋は職人の世界でもあります。

この時代は、職人になりたいと思う若者も少ないのが現実のようです。

AIやIT技術が台頭する中で、

人々の職がどんどんと奪われていくと言われていますが、

職人仕事はしばらくはなくならないと感じます。



さて、親父は職業訓練校を卒業後、

隣町の板金屋に就職し、修行をしました。

そして、26歳で独立したとのことです。

約8年間修行をしたことになります。


親父が独立して10年後くらいに僕が生まれました。


親父の会社は、社員は5人程度で推移していたと思います。

景気の良い時は10人近く雇っていたという話も聞いたことがありますが、

日本で人を雇うことは簡単ではないようです。


保険やら補償やら手厚くしないと、人も集まってきませんが、

雇う側の負担も大きいものです。


父の会社経営も波乱万丈だったようです。

一度、ある知人(同業者)借金の保証人になり、

その人の会社が倒産してしまったようです。

親父は多額の借金(1000万円くらい?)をいきなり背負うことになってしまい、

多くの苦労をしたと想像します。


僕の保育園時代には、親父は糖尿病からくる心臓病を患ってしまい、

大掛かりな心臓のバイパス手術をしました。

父の胸には大きな手術の跡が残っています。


結構長い期間入院していたように記憶しています。



父は大酒飲みで、かなりのヘビースモーカーでした。

酔っ払うと、結構な悪酔いをしてしまうタイプで、

日頃のストレスを酒と一緒に吐き出しているような感じでした。

小さい時からのある意味のトラウマで、泥酔した父が家に帰ってくるのは
ちょっとした恐怖でした。。

玄関で倒れ込むように寝ていることもありましたし、
怒鳴りはしないんですが、大声で僕や妹を呼んだりしていました。

いざ行ってみても、会話が成り立たないくらいになっていたり、、。

それをいつも当たり前のように対応していた母親もすごいなと。。

タバコもかなり吸っていたようです。多い時で1日に2箱だそうです。

一箱20本入ですから、全部で40本。

朝8時から夜22時まで14時間として、1時間に3本は吸っていたということになります。
仕事よりもタバコで忙しいですね笑


大酒飲みでタバコぷかぷかの父ですが、
心臓病の大病を機に、タバコは一切断ちました。

酒は回数は減ったと思います。

気持ちいいとついたくさん飲んでしまうようですが、だいぶマシになっていました。

ここ最近はというと、100日以上酒を飲んでいないとか、
歳もあるので健康にも気を遣っているようです。

僕も父の血を引いているので、
糖尿病、高血圧などなどにならないように十分に気をつけていきたいと思います。

僕が中学くらいの時だったと思います。

あまりに酒をたくさん飲んでいる時、僕は父に言いました。

「お父さんだけの体じゃないんだよ。俺ら家族や職人さんたちの家族も、お父さんが支えていかないといけないんだから、もっと健康に気を使ってよ」

そんな生意気なことを言ってました。
実際そうですからね。。



そんな親父も来年で70歳になります。




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