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26. MIDORIの仕事/ Trabajo de MIDORI(8)

今まであった問題やら課題、あまり明るくない話が続きますね。。。

基本的には、常にポジティブを心がけてるんですが、

なんにでも成功方法なんてものはなくて、

失敗から学ぶことのほうが100倍多い。


なので、明るくない話題も大きな学びと捉えていつも感謝しています。




コロナ禍になり、2度目の経済危機を超低空飛行で渡って行ったわけですが、

建築の仕事が入らない限りは、あっさりと諦めていたでしょう。

何事も割と、未練や悔いは残さないようにと思っています。

正直、いつこの商売を閉めてもいい。


経営者はいざとなればそれくらいの責任があると思っています。


そうならないために準備・努力する。

そうなってもいいように、常に覚悟する。



先輩からの紹介の建築の仕事はほとんど自分一人でこなすことができました。


そうこうしていると、今度はエステ市というパラグアイ東部の街の日系の方から
日本庭園を作って欲しいという相談が入ります。

確か8月頃のことです。

こちらの今後の記事に詳細を記しますが、

皮一枚繋がった僕のパラグアイ人生が、さらに厚い皮になろうとしていました。


日本庭園の仕事は11月から現場作業が始まったのですが、

鈴木さん一人をミドリに残し、他メンバー総動員で、工事を行いました。

ここまで大きな規模の工事は初めてでしたが、

常に、ミドリで仕事している仲間たちだったので、

意思疎通もしやすく、こういったワークスタイルもいいなと感じました。

普段は木工仕事だが、建築案件が入れば助っ人に入ってもらう。


建築の仕事は波があるので、こう言った経営は人材保持のリスクヘッジにもつながります。


そんなこんなもあり、2020年はなんとか切り抜けることができました。


ミドリは超低空飛行でコストを抑え、赤字を免れ、

建築デザインのおかげで会社全体では大きな黒字にもつながりました。


結果オーライでした。



その年末には、工房リーダーのジュンが結婚するという嬉しい出来事もありました。


コロナの関係で、結婚式は身内だけの小さな規模になりましたが、

メンバーだけでラーメンを食べにいきました。

いい思い出です。


ジュンの結婚式から2ヶ月後、


ある日の朝、ジュンの奥さんから電話がかかってきました。


いきなり、初めてのことでした。



ジュンは、新婚の31歳にして、自殺してしまったのです。


理解に苦しみました。


僕にとってもメンバーにとってもとても悲しい出来事でした。














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