52. 死にかけた話/ Unas historia cercana a la muerte(2)
今日は、海で溺れた話です。
本当に死にかけました。
今思い返しても怖いなあ。
僕はカナヅチで、泳ぐことができません。
高校生の時は、体脂肪率が10%もないくらいの細マッチョで、
水泳の授業では、体がなかなか浮かないので、
クロールをしようにも息継ぎがうまくできなくて、泳ぐのが苦手でした。
息継ぎの練習さえすれば、泳げそうな気もしなくはないですが、
いまだに怖いし、しばらくは泳げなくてもいいかな、という感じです。
身近に泳げる環境がある街に引っ越したら、
水泳を改めて習得したいと思います。
さて、僕が溺れて死にかけたお話です。
高校1年生の時のことです。
軟式テニス部の同級生のジョニーとタクミと三人で、
夏休み、寺泊の海に遊びに行きました。
二人は寺泊出身で、タクミの実家の目の前は日本海でした。
個人の小屋が海の目と鼻の先にあって、そこを拠点に、
海に繰り出しました。
僕がカナヅチということで、
タクミのシュノーケルを貸してもらいました。
そう、これが悲劇の始まりだったのです。
遊び場に選んだ場所は、防波堤に囲まれた小さなスペースでした。
彼らはいつもここでサザエが獲れるということで、
よく遊んでいたそうです。
寺泊っ子は、皆泳げるんだな〜、羨ましいな、なんて思っていました。
でも、小さな砂浜スペースには、
「遊泳禁止」の看板が設置されていました。
防波堤があるということは、波が強いということ。
そうなんだと思います。
僕らは砂浜から、少し先の防波堤まで泳いで行きました。
防波堤の内側は波も小さく、快適に泳ぐことができます。
シュノーケルもそこそこ使えていました。
難なく目的の防波堤に辿り着きました。
浜から50mくらいの距離だったと思います。
次に、反対側の防波堤まで行ってみようということになりました。
そこまでの距離も50mほど。
ジョニーもタクミも颯爽と泳いで行きました。
僕は怖がりながらも、シュノーケルがあるから大丈夫と思い、
泳ぎ始めました。
4割くらい進んでから、異変に気づきました。
あれ、波が高い。
そうです、防波堤と防波堤の間だけ、内側よりも波が強かったのです。
(だから遊泳禁止だったのでしょう)
すると、どうなるか。
シュノーケルのパイプ部分からばちゃばちゃと水が入ってきます。
僕は、海水を飲み込んでしまい、
口に咥えていた部分を外し、むせて咳き込みました。
さあ、ここから大変です。
足が、足がつかない。
そこだけ異様に深かったようです。
ああ、思い出すだけでトラウマです。
僕は咳き込んで息がしづらいことと、
足がつかないことでパニックになってしまいました。
犬かき、バタ足でなんとか顔を出していましたが、
足に段々と乳酸が溜まり、動きにくくなっていることがわかりました。
本当にやばい。
僕は冷静になろうと自分に言い聞かせながら、向こうの防波堤に上がっていたジョニーに助けを求めました。
「ジョニー、ごめん。助けて。」
二人は向こうで笑っていました。
僕が演技でふざけていると思っていたようです。
僕はもう一度、
「本当やばい、とにかくこっちにきて・・・。」
さすがに見かねたジョニーが、こっちに泳ぎ始めました。
僕の体力も限界でした。
このタイミングで彼がきてくれなかれば、
もうこのようにはいなかったかもしれません。
ジョニーがこちらまできてくれました。
溺れ抱えた人は、最初にどうするか。
ジョニーが僕の目の前に来た瞬間、
僕は彼を海に沈めてしまったのです。。。
とにかく息をしたかった。
人間の本能だったんだと思います。
酸素を取り入れるために、彼を沈めて自分は顔を上げて、息をしました。
ジョニーは本当にびっくりしたと思います。
でも、彼も冷静になったのか、
そのまま顔を上げて、背泳ぎのような形で、
ゆっくりとタクミのいる防波堤まで僕を運んでくれました。
本当にゆっくりと。
他の友人から聞いたのですが、
ジョニーは寺泊で一番泳げるやつだったのです。
あ、もう時間だ!
最近は限られた時間でも、1500字以上書けるようになってきました。
継続は力ですね!
続きは明日!