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感情電車 あとがきとアメリカ

この記事を読んでくださっている方の中に、僕の五年間の高専生活を振り返ったnote「感情電車」を読んでくださった方がいたら、先ずは御礼申し上げます。長い文章に付き合っていただき本当にありがとうございました。読んでない方には、是非読んで欲しい…とは言いませんが、読んでくださったら嬉しいです。
一部内容においては、読む方によって不愉快な気持ちになることも予想しましたが、僕にとっては大切な思い出なのでしっかりと振り返りました。

「感情電車」というタイトルこそ今年に入ってから思いついたのですが、高専で過ごした五年間の思い出が色褪せないうちに全てを振り返っておきたいという思いは、このコロナ禍でずっとありました。僕は辛かったことでも、楽しかったことでも、どんな過去であれ思い出として大切にしてしまう性分なので、振り返れずにはいられませんでした。

高専に入学した頃は、高専にいることが嫌でたまらなかったのに、高専で時間を過ごすうちに高専が大好きになって、いざ高専を卒業したら、高専で過ごしたあの時間に憧れを抱く日々が続きました。
2020年春。富山高専を卒業して、富山大学に編入すると同時にコロナであらゆる物事の動きが止まりました。第一波の何もかもが止まっていた頃は、数ヶ月前まで在籍していた高専のことをずっと想っていました。

そんな第一波のある日のことです。編入先の富山大学での授業は全てオンラインでの実施となり、ホテルのナイトフロントでのアルバイトは実質的なクビとなり、家に篭る時間が続いていました。家にいても気が滅入るだけだったので、太陽が出てるうちに散歩でもしようと、当てもなく近所を歩き始めました。

「記憶が少しでも濃いうちに全て振り返っておきたいな」

外の空気に触れながら歩いていると、そんな気持ちがふと沸きました。辛くて、楽しくて、悲しくて、くだらない五年間を振り返っておきたいという気持ちが芽生えました。高専で過ごしたあの時間をまとめたいと思いました。五年間をまとめる方法というと、大好きな活字しか思い浮かびませんでした。

その後何度か高専時代から使っていたプロレスブログに高専時代を回想するブログを投稿しましたが、投稿する度に「なんか違うな」と思いました。フォロワーの目を気にして、プロレスの話題ばかり書き進めている自分に違和感を覚えました。
確かに高専生活を充実させてくれた要因としてプロレスの存在は大きいのだけど、それだけを触れていても、自分が今愛おしく思っているあの五年間を振り返ったことにはならないなと思いました。

そう気付いた時から、どこまで曝け出していいものかと悩みました。家族のこともそうですし、好きだった人のこともそうですし、レスラーとの話もそうです。全てにおいて、どこまで露にしていいものかと悩みました。昨年の今頃なんかは一つも記事を更新していないのに、只々悩んでいました。

「三月までに書き切ろう」

「八月中に完成させよう」

というように自分の中で期限だけ設けるも、全く筆を進めない時期が続きました。こんなに悩むのなら、もう高専生活を振り返らなくてもいいのではないかと思うこともありました。そもそも一体何に対して真剣に悩んでいるのかと、自分を阿呆らしく思うこともありました。
とにかく悩み続けましたが、どこをどう切り取るかは後から考えるとして、『10月21日』という僕にとって特別な日に再開させようと決めました。#0 でも触れた初めてプロレスを観に行った日が『2009年10月21日』でした。
高専生活を活字で振り返ろうと最初に思ったのは、高専を卒業して大学に三年次編入したばかりの頃のことでしたが、気が付けば、一年半もの月日が経っていました。高専の卒業から遠ざかっているどころか、大学の卒業が近付いてきてしまっていました。これが最後の振り返るチャンスだと思いました。

そんな最後のチャンスに向かって走っていた2021年9月のことでした。高専時代もそうでしたが、コロナ禍で上京する度に訪れていたHaomingの社員さんが一本の電話をくれました。

今日のダイナマイト面白かったね。ブライアンvsケニー最高だった。来月ちょっと観に行ってくるよ

観光を目的に渡米できることすら知らなかったので驚きました。聞き間違いではないかと思いました。#15 で触れたようにニューヨークで散々痛い目にあったのに、また海外に行きたいと思ってしまう僕にとっては大きなニュースでした。

その社員さんとは、このコロナ禍でよくAEWの話をしていました。
コロナ禍で様々なプロレス団体のサブスクリプションサービスにお試し感覚で順に登録していた僕が、少しずつ興味を抱いていったのがAEWでした。
一週たりとも欠けてはいけない連続ドラマ性に感動しました。レスラーとレスラーがリング上で戦う意義がどの団体よりも明白で、プロレスに誠実な団体だなという印象を受けていました。
コロナ禍で途方に暮れていたインディーレスラーのエディ・キングストンをスーパースターにしたり、これ以上ないタイミングでKENTAが登場したり、ここは夢の詰まったプロレス団体だとも思うようになりました。
レスラーをも含むプロレスが大好きな人達に夢を与え続けているAEWを観て、コロナ禍でも時を止めずに歩み続けるAEWを観て、これがプロレスの在るべき姿だよなと思いました。

僕はプロレスを観る際に「どれだけ夢を与えてくれるか」を重要視しています。だから今、AEWを応援してます。
話は僕がプロレスに嵌ったばかりの頃まで遡ります。初めて好きになったプロレスラーの真壁刀義がG1 CLIMAX優勝後のバックステージで語っていたのです。

俺もよ、こんなちっちぇえ時によ、プロレスラーに夢を見て育った。現に俺がレスラーになったろ?誰に夢を見せるんだよ?見てる奴にだろ。あとは自分自身だ。人に夢を与えるやつがよ、テメェで夢見なかったらよ、夢なんて与えられねえんだよ。なんちゃってヒール。なんちゃってベビーフェイス。虫唾が走るんだよ。…俺がどうして今日決勝に上がって、優勝したか分かるか?客の後押し?俺の実力?もちろんそれもあるよ。あとは何だ?時代がよ、俺みてえな馬鹿な奴を必要としてんだよ。夢のねぇ時代だろ?だから夢を持つんだよ。どいつもこいつもよ

藤田和之という出来過ぎた同期がいる環境にいて、「お前は出来損ないだ」と先輩に扱かれて、それでも腐らずにやってきて、やっと新日本プロレスの頂に立った当時の真壁の言葉は、小学四年生ながらに響くものがありました。

真壁は、子供の頃に猪木に憧れて育ったとインタビューで語っていました。世間から注目されている上に、師匠の力道山に可愛がられている元ジャイアンツのジャイアント馬場という同期がいる中で、世間的知名度はない状態で入門し、馬場とは対照的に力道山に扱かれながら育った猪木に、真壁は通ずるものがあると思います。真壁は子供の頃に見た猪木の背中を追っているのだと僕は思ってます。今はメディアというリングで、猪木が大切にしていた「対世間」をしているのだと思います。
それと一緒だというのは烏滸がまし過ぎるので言いませんが、子供の頃の真壁が猪木から何かを吸収したように、子供の頃に触れた大好きな真壁の言葉が僕の体に染み付いているのだなと最近つくづく思います。

コロナ禍という夢のない時代にも夢を持つAEWを現在支持してるのは、あの頃に触れた真壁の言葉が僕の体に憑依しているからなのでしょう。
一方で、多くのプロレスファンが「いつか行ってみたい」と思っていた後楽園ホールで夢のない興行を連発したり、経費削減と言ってプロレス興行の特別感を演出するには絶対に必要な照明や花道を用意せずに東京ドーム大会を開催したり…といったコロナ禍の新日本プロレスには、夢視点でプロレスを観ている僕にとっては、もどかしさを感じずにはいられませんでした。

きっと客席が埋まっていなくとも、開催した方が収益が見込めるから興行を連発しているのでしょうが、「果たして初めてプロレスを観た人が今の新日本に夢を感じるのか」や「後楽園ホールは未だに未訪問者がいつか行ってみたいなと思える夢の場所で在り続けていられるのか」など、どうしても考えてしまいます。

感情電車の中では触れられませんでしたが、2018年春のNEW JAPAN CUP後楽園ホール大会を観に行った時に、こんなことがありました。
その日のメインイベントは『棚橋弘至対ジュース・ロビンソン』で、超満員の会場は凄く盛り上がっていましたが、個人的にはイマイチといったところでした。
その夜の宿は、錦糸町のカプセルホテルでした。チェックインの列に並んでいたら、僕の目の前にいる二十代後半くらいの男性の外国人がケニー・オメガのTシャツを着ていたので、「もしかして今日後楽園に行ってた?僕も行ったよ」と話し掛けたら、「行ったよ!今日の興行最高だったね!いつか後楽園ホールに行くのが夢でアメリカから来たんだ!」と嬉々とした表情で話してくれました。
あの時、こんな外国人プロレスファンがいることを心底嬉しく思いました。一方で「うわー。こうやってプロレスが好きで好きでたまらない外国人が感動していたというのに、一方の俺は8,000円の価値ねえなって思っちゃったよ…」と反省しました。
その夜、中学一年の夏休みに、DDTを観るために初めて後楽園ホールに訪れた時のことを思い出しました。アクセスの良さ。落書きだらけの階段の壁。眺めの良さ。観客の熱量。今ではすっかり当たり前になってしまったけど、後楽園ホールのその全てに感動したあの日のことを思い出しました。友達と一緒に見た超満員の景色を思い出しました。
ケニーファンの外国人とは連絡先は交換しなかったけど…というか連絡先を交換しなかったからこそ、新日本が空席の目立つ後楽園ホール大会を当たり前のように連発してる姿を見ると、「狭いフロントで目を輝かせて話してくれたあいつは今頃どう思っているのだろう」と思ってしまいます。
「後楽園ホールはプロレスファンの聖地なんだよ。地方に住んでる日本人にとっても、外国に住むプロレスファンにとっても、選手にとっても、夢の舞台で在るべきなんだよ。頼むから夢を壊さないでくれ」と思ってしまいます。
オレンジが目立っても後楽園ホールで連日興行を行うのは、経営的には無難な判断なのでしょうが、ファンの夢を削ぐ場合があるという立体的な物事の見方も、経営には取り入れて欲しいなと思ったりしてます。

散々言いましたが、僕は新日本に夢を見て育った訳で、新日本が嫌いな訳ではありません。ただ、日本を代表するプロレス団体だからこそ、見る者に夢を与え続けて欲しいなと思うのです。
オカダが最近よく試合後に言う「コロナで大変ですが、熱い戦いをするので引き続き応援宜しくお願いします」というような言葉も、新日本プロレスの観客動員数が激減したニュースを引用してツイートしていたデスペラードの「ここからひっくり返す」も、見てて悔しかったです。それは同情ではなく。
現にスターダムというコロナ禍で急成長した団体が日本にも存在しているから、天下の新日本の「今は仕方ないけど、これからは」という姿勢には憤りすら感じてました。応援しています。応援してるからこそです。要するに僕は、誰よりも夢を見てる面倒臭いプヲタです。

と、かなり話が脱線しましたが、アメリカに行く連絡をくれた社員さんとの話に戻します。
全体としての物語性から、若手レスラーをじっくり育てようとしている大物レスラー達の姿勢まで、AEWは色々と好感を持てるよねと、このコロナ禍に社員さんとは話していました。
僕も社員さんも新日本プロレスを観て育った人間だからこそ、新日本プロレスには思うことがあって、新日本とは対照的にファンに夢を見せることを最優先しているAEWには好感を抱いていました。

そんな社員さんが来月アメリカに行く。そう聞いた瞬間に、「あ、俺、今のままじゃ駄目だな」と思いました。
僕はコロナ禍の第一波が過ぎたあたりから、需要の激減と共に価格が安くなった夜行バスを利用して、何度も東京までプロレスを観に行っていました。当時の富山大学(少なくとも僕は在籍していた経済学部)は、オンライン授業の影響で、ほとんどの授業が決まった時間に授業を受けなくてもよくなっていたので、平日の日中からアルバイトばかりしていました。昼間も夜もアルバイトをして、給料が入ったら東京へ行く。テストが近づいたら、ずっと見ていなかった授業動画や授業用のパワーポイントをまとめて見て、なんとか単位を取る。そんな生活を一年半も繰り返していました。
ストロングスタイルプロレス後楽園ホール大会の試合中に社会学の小テストを受けたこともありました。そもそもストロングスタイルプロレスを観るためだけに東京へ行ってたことを思うと、我ながら狂ってたなと思います。
社員さんとの電話で、「このままじゃ駄目だ」と思いました。僕もお金を貯めてアメリカに行くんだと誓いました。

「大学卒業後の新しい生活が始まるから、2022年4月以降は暫く渡米できそうにない。かといって、2021年秋の今すぐアメリカに行くことは、資金的にも時間的にも難しい。よし、2022年1月から3月の間にアメリカに行こう」

そう決めました。

その社員さんとはこのコロナ禍で、「日本のプロレスが時を止めてしまっている今、一緒にプロレス界にパラダイムシフトを起こしたいね」と理想を語っていました。アメリカに幾つかあるようなプロレスファンメディアを立ち上げて、ファン改革を起こしたいねと話していました。

《僕がアメリカに行ってプロレスを観る前》
《僕が新しいことを始める前》
《僕が大学を卒業する前》

色んなタイミングが重なる前の今が、やはり高専生活を振り返る最後のチャンスだなと思いました。

そうして10月21日がやってきました。まず#0と、既に第一波の頃に一度ブログに投稿したものを加筆・修正した#1を連日投稿しました。
しかし、スタートさせたものの、やはりどこまで書いていいものかと悩みました。書き進めたのは良いけど、どこか人々に迎合されるように言葉を選んでいる自分を俯瞰的に見て、気持ち悪く思いました。でも、高専時代の胸にしまっている思い出達を書き切る(吐き出す)勇気はありませんでした。

そんな時に【note創作大賞】というイベントの告知を目にしました。フィクションでも、ノンフィクションでも、活字でも、映像でも、何でもOKという幅広過ぎるコンテストの開催が発表されました。
それを見た瞬間に「ここしかないな」と直感的に思いました。
五年間を振り返るにあたって、高専時代に使っていたはてなブログからnoteに場所を移したのは、単にリセットしたかったからであって、はてなブログでなければnote以外でも良かったのですが、note創作大賞の告知を見た時に、ちゃんと縁があってここにやって来たのだなと思いました。
その時noteが「創作大賞の期日までに全部書き切れよ」と背中を押してくれているような感じがしました。オンライン授業で楽に単位を取って、楽に卒業が決まって、何も頑張れなかった大学生活だからこそ、最後にここだけは努力しようと思いました。自分が思う面白いものを信じて、一人でスピーチコンテストの続きをやろうと思いました。そこから一気にスイッチが入って、感情電車の最終回に至ります。

大賞を狙う気は更々ないのですが、一万以上の作品が並ぶ中で、きっと僕が一番このコンテストに時間を費やしたと思うので、何か欲しいところだよな、というのが本音です。留まる人の目にしっかり留まって欲しいなと思っています。
書いている途中で、自分の中の面白いって何なのだろうかと悩みまくりましたが、なんとか期日までに投稿しました。記事のリンクを貼ったツイートにいいねをしてくださった方、note自体にいいねをしてくださった方、ツイートで感想をくださった方。力になりました。改めてありがとうございました。


無事に五年間を書き終えて、このコロナ禍の二年間のモヤモヤが晴れたところで、フロリダ州オーランドに行ってきました。
AEWを生で観たいという気持ちと同じくらい、WWEのイケメン二郎の試合を生で観てみたいという思いがあったのですが、ちょうど三月に、毎週NXTの試合が行われているオーランドで、AEWのビッグマッチが開催されることが2021年12月に発表されたのでした。
「ここしかない」と思い、三月にオーランドへ行くことを決めました。

出発前のPCR検査時には、「陽性反応が出たら航空券も現地のホテル代も台無しになってしまう」と不安に思いました。
「現地でコロナに罹ったら日本に帰れなくなるけど、万が一罹ったら医療費とかホテル代とかマジでどうしよう。包茎手術を受けた時もアメリカの医療費舐めんなよって釘刺されたしな…」と不安に思ったりもしました。
カツアゲされた頃のことを思い出すと、更に強い不安が押し寄せてきました。
成田から乗継先のワシントンD.C.へと向かう飛行機の中でも、『万引き家族』を観たあの日のことを思い出して、胸が痛くなりました。

不安だらけの中、オーランド国際空港に到着すると、WWEスーパースターになったイケメンさんが待ってくれていて、ニューヨークで世話になったアンドリューと合流できて、何かが回収されたような感覚に陥りました。夜の空港がトラウマだったけど、今回はそこに待ってくれている人達がいる…という状況に直面した時、前回のニューヨーク旅での絶望は、今回のオーランド旅の煽りに過ぎなかったのだなと思いました。

その後、小さなトラブルはあったものの、NXTもAEWも満喫して、PCR検査で陰性判定を受けて、無事に日本へ帰ることができました。感情電車を書き終えたタイミングでこの旅ができたことで、ようやく高専という元カノから卒業できた気がしたし、ニューヨーク旅以来抱いていた英会話への恐怖心も克服できたし、凄くスッキリしてます。

まさかの僕が観に行ったNXTに限ってイケメンさんの試合なし、なんてこともありましたが、これも長く続く物語の煽り部分に過ぎないのかなと思ってます。

これからオーランド旅を振り返る記事を書き始めます。どこをどう切り取ろうかと、感情電車の時ほどではないものの悩んでます。時間がかかるかもしれませんが、プロレスファンなら多分面白く思ってもらえるのではないかと思います。多分ですが。

最後にもう一度。感情電車をお読みいただきありがとうございました。自分と向き合うために書いた文章ではあるのですが、感想や見たよの合図がなければ書き切れなかったと思います。
面白がってくれる方と、頗るつまんないと思う方と、極端に別れると思うので無理に読んでくださいとは言いませんが、「感情電車まだ読んでないよ〜」という方は読んでくださったら嬉しかったりします。
ちなみにどうでもいいと思いますが、富山大学を卒業した今年は、専門学校に通って外国語の勉強に専念します。来年以降のことは…まあ何か面白いことをできたらなと思ってます。

それでは、オーランド旅の記事を書き始めます。

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