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本当に「変わらなくちゃいけない」の??

ふっこです。

さっきね、Facebookで
リール動画をなんとなく流し見
していたんですね。

そこに出てきたのは、

・エクササイズ系
・自己啓発系
・自己表現系
・著名人の名言系

が多かったかな?


自己表現は別として、
その他の動画の根本には

「こうすれば変われるよ!」
(痩せられる、売れる、人気者になる、等)

というメッセージが
含まれているように
感じられました。


で、それらの動画を
見ている内に

「そんなにまでして
人は変わらないといけないの?」

という素朴な疑問が湧いてきました(笑)


これだけの動画が
上がっているということは、
そういう「ニーズ」が
あることがうかがえます。
 
変わりたくない人は
動画を見ないでしょうから、

注目されている動画ほど
人の深層心理がそこから
伺えます。


ダイエットにしろ
価値観にしろ
性格や人生の選択にしろ

「こうしたらいいんだよ!」

というメッセージは
世の中に数多くあります。

どの人も、自らの体験や
知識から得たものを
惜しみなくシェアしてくれています。


でも、だからこそ敢えて、
それを見ている側の方に
聞いてみたいのは、

「本当に変わりたいの?」

という疑問。


2015年、起業したての頃のふっこ。


そんなことを書いている私も、
起業した当初から比べると
色々と「変化」したことはあります。

「今のままではダメ(売れない)」

と考え、見た目を整え、
内面を整え、
やるべきことをこなし、
人に出会うために行動し、

それらの体験のおかげで
起業前の自分と比べて

・前向きになれた
・沢山の知識と出会えた
・世界が広がった
・毎日が楽しくなった

など、得たものもあります。


ですがこのどれもを
持っていなかった頃の自分と、

根本的なところは
何も変わっていない事にも
気付かされました。


そうなの、変わったのは外側ばかり。


背伸びを頑張っていた自分が、
背伸びすることがちょっとだけ
上手になった、みたいな。


もちろんそれらの経験が
ムダだったとは思いません。

だけど、自分に合ってないことって
長続きしないこともわかったし、

外側だけを素敵に繕っても
中身が伴っていなければ
楽しくないんだな~とも。


「自分らしさ」って
「変化」とは真逆の方に
向かう感じがします。

変えようとするのじゃなくて、
今の等身大の自分を
見つめる感じ。

誰かみたいになろうとするのじゃなくて、
誰にもなれない、自分のまんまを
見つめる感じ。


それを知っていくことも
「変化」と言われたら、
そうかもしれませんが

目新しいものを見つける
のとはちょっと違うので、

変化とも言い切れないのかも?


むしろ「変わらない自分」に
出会っていく感覚です。



なんでこんなことを
書いたかって言うと、

世のお母さんたちの事をね
考えていたんです。


それは起業する前の
自分の姿でもありましたが、

・日々の終わりのない子育て
・火事と育児、仕事のバランスに忙しい
・自分の時間は持ちにくい
・子供の成長と共に心配が尽きない
・自分を磨く時間やお金がない
・次々にやるべきことがやってくる
・心のゆとりを持つ暇もない

当たり前にそんな毎日を
過ごしていました。

焦りや不安もあった気がしますが、
それよりも子供が第一で

自分を顧みることなんて
ほとんどなかったかもしれません。


私にはいわゆる「ママ友」という
繋がりがほとんどなくて、
数少ない友人とも引っ越しを機に
疎遠になってしまってからは、

誰かに話を聞いてもらうとか
そういう時間を持つこともなくて、

シングルマザーなので
育児に関して誰にも相談はせず、

なんだかんだ一人で色々と
背負いこんでいたかもしれません。


だけどね、嫌なことばかりでもなくて。

子供の存在が
私を強くしてくれました。

仕事も頑張れたし、
苦手な料理もできるようになったし、

一番は自分の存在価値を
子供が与えてくれた気がして、


「この子のために」って
奮い立つことができたのは
本当に大きかったかもしれません。


ありがたいことに
起業をして10年がたち、

今は周りになんでも話せる人がいたり、
何かあれば頼れる人がいたり、
同じ想いで活動している仲間や

その中で自分に何ができるのかを
知っていくこともできて、

「人との出会いや繋がり」

のパワーを人生で初めて
感じられました。


起業した当時は
「人見知りなんです」
「自分に自信が持てない」
って、よく言ってたのですが、

本当にそうだったというより
そういう「思い込み」の中に
自分を閉じ込めていたんだな~と。


そういう気づきに出会えたり
色々な体験ができたのも
息子の存在があったからこそで、

もちろん行動したのは
自分自身ですが、

我が子がいなかったら
もっと早くに挫けて
辞めてしまっていた気がします。



先日のまさみの記事、

お母さんたちの「現実」って
本当に沢山の「点」があって、

子供の発育とか
お金のこととか
家族との連携とか

色々考えないといけない
こともあるんだけど、


もっと目の前のところで

きっと

トイレの時間さえも
1人になれなかったとか
鬼泣きされて
ママも泣きたくなったとかね
沢山あると思うんだよね。

こんな小さなところから
お母さんって頑張ってる。


「未完成」で「未熟」だって
どこかでわかってるんだけど、

それでも少しでも
子供のためにって堪えて、

弱音を吐かない、吐けない

そんな瞬間が私にも沢山ありました。


その「がんばり」って

「こうすれば変われるよ!」

みたいなのもいいんだけど、
改善をしようとする前にね、

「がんばってるよね」

って、労うというのか、
共感というのか、、

「お母さん」になったことが
ある人なら、誰もが必ず
通ってきた道なんじゃないかなって。


それは我慢とか抑圧とか
そういう類のものじゃなくて、

「忍耐」

という美しい姿勢だったと
今なら思えるんです。


だけど現場では
そんな風には思えなくて、

自分の未熟さを責めたり、
そこから奮い立とうとしたり、
でも上手く立てなくて凹んだり、

そんなことの繰り返しで
ずっともがいていた気がします。


お母さんの頑張りを
美化したいワケではなくて、

ただね、家事や育児って
周りから見ているだけでは
理解されにくいことが
沢山あるような気がしていて、


「子育て」という
大切な大切な「仕事」を
自分の身を削ってでも
やり切ろうとしているのに、

自己肯定感が下がるとか
自分を責めてばかりいるとか
辛いのに吐き出す相手がいないとか
社会に属していない疎外感とか

なんだかそんな風に
感じながら過ごしているとしたら、

「そんなことないよ~!」

って、声をかけて
あげたくなるのって、


「母親」という
同じ仕事を担う「仲間」としての
絆のような、繋がりのような、

そんなものが
あるからなのかも
しれません。


もう既に頑張っていて
だけどそんな自分に
気付けないでいるうちって、

足りないものを埋めようとしたり
「もっといいお母さん」に
なろうとして、

また「がんばる」を
増やしてしまったり。


それがダメとは思いません。

だけど、余白(スペース)が
自分の中になかったら、
何を入れても入らないから。


だからね、まずは
緩もうよって。

繋がろう、繋がってるよって。

一人じゃないよって。


きっとね、そんな風に
声をあげている先輩ママも
沢山いるはずなんです。

みんな、知ってるから。

子育ては孤独だって。


私たちが個性を伝えたいのも
同じなんですよー。

子育てが楽になるし
お母さんが緩めるし

子供の個性を誰よりも
近くで愛でてあげられるのは
お母さんだから♡

「お母さん」という特権を
楽しんで欲しいから♡


変わるのじゃなく
既にあるものに
目を向けていくだけ。

頑張る方じゃなく
緩む方に、ホッとする方に。

一人じゃなくて
みんなで一緒に、ね♡


長くなりましたが、
最後までお付き合いありがとう♡



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