独立後初イベント「楠匠展」②
皆さんお疲れ様です!🙋🏼♂️
記事を覗いていただきありがとうございます!🙇🏼♂️
今回は、前回の記事の続きで「楠匠展」についてです!
「楠匠展」が生まれる流れや企画当時にぶち当たった壁について書きます!✨
今回の見出し画像も前回に引き続き「微妙顔テカリ」ですね、別ショットでね(笑)でも前回よりは笑顔ですね、
「微妙顔テカリ」てなんやねん、ばーか、
と思った方は、一旦、前回の記事の冒頭だけ読んでください(笑)しょーもないですけど(笑)
ちなみになんですけど、この見出し画像を撮ってくれたのは、
過去の記事に登場した、、、あー、
やっぱり書くのやめます(笑)長くなりそうなので(笑)
危ないですね、また余談ばっかするところでした。(既に余談ですけど 笑)
では本題へ、
企画の始まり
前回の記事でなんとなくどんな展示会で、どんな想いで企画したのか、わかっていただけたと思うので、企画当初の頃を振り返ります。
企画の始まりは開催した3月中旬から遡ること約4ヶ月、2020年の11月にこの企画に取りかかりました。
約4ヶ月間水面下で動き開催にたどり着きました。
実は、企画した当初は展示会ではなく、コンペの開催を企画していました。
コンペの大会の中止がきっかけでしたので、そのまま私の個人開催でコンペを開催しようとしていました。
第1の壁
コンペ企画を進めるなかで、無名の私個人が開催したところでそもそも高校生は乗ってくるのか、高校生がプライベートの時間を削ってまで私に作品を提供してくれるのか、この壁にぶち当たりました。
この壁を越えるために私が出した答えは、
「審査協力、協賛として企業や大学の教授を絡めよう。」
これでした。
私は、まちづくりをしている会社の社長さんに話を持ちかけ、大学生にこの企画に興味がありそうな教授がいないか聞き、企業と教授の2方向で話を進めました。
「企業や教授の名前に私の名前が潰されてもいい、高校生のためにコンペを開催したい!」
そんな想いでした。
第2の壁
第1の壁を乗り越え、企業や教授の協力の方向性で企画を進めていましたが、
ここでまた壁にぶち当たりました。その壁とは、
「企画が大きくなり過ぎて開催まで時間がかかり対象の学生が卒業してしまう」
また、企業の社長さんからは
「企画はすごくいいけど、個人開催でする企画にしては大きくて時間がかかる、一般企業がするような企画」と意見をいただきました。
これが第2の壁でした。
完全個人開催では高校生にメリットが少なすぎる、コンペとして成立しない。
企業や教授の協力を得れば時間がかかり学生が卒業して間に合わない。
振り出しに戻った感じでした。
振り出しに
企画の取り掛かりが遅過ぎたのか、
そもそも個人開催のコンペが企画としてダメなのか、
対象の3年生が卒業まで約4ヶ月、3年生を見送り次の学年を対象としたほうが良いのか、
しかし、何もせず3年生を見送るのは違う、社会に不安を持ったまま、コンペの機会を逃したまま社会へ出てしまう、それは防ぎたい、
すごく悩みました。
私の名前が少しでも広がっていればできたのでは、
何が一番ベストなのか、
やはり無名でコミュニティの狭い私では無理なのか、
悩んでいる間も刻々と時間は過ぎ、
「やはり無理なのか、目の前で見送るしかないのか、、、でもそれは嫌だ、でも私にできることは、、、あるのか、、、」
この想いの日々が過ぎました。
企画案変更
一人で悩んでいる時、企業の社長さんから質問されました。
社長「中止になった大会以外でコンペ作品は他に作ったりしてないの?」
私 「おそらく1つはあると思います。確かではありませんが」
社長「もし作品があるなら、展示会ってゆうカタチは?」
この時から企画を「コンペ」から「展示会」にシフトチェンジしました。
もちろん展示会ができると決まったわけでもなく、まだ作品があるかも分からず、作品があったとて学校が作品提供してくれるかも分からず、展示会の企画もどのような展示会にするのか、場所がいる、などまだまだ課題は山積みでした。
課題は山積みでしたが「展示会」の方向で動き始めました。その時すでに企画発足から1ヶ月は経ち、12月になっていました。学生の卒業まで残り3ヶ月。
「展示会」をしようと動き出して、約3ヶ月後、いろんな壁がありながらも結果、「楠匠展」を開催するまでいきました。
この3ヶ月間の中での壁や出来事については次回の記事で書いていきます。
今回のまとめ
「楠匠展」は企画当初「コンペの大会」で、
「コンペ」から「展示会」に企画変更するまでに何度も壁があり、悩んだ末に「展示会」のカタチになった。
最後までお読みいただきありがとうございます!
今回は以上となります!
次回は「楠匠展」開催までの3ヶ月間について書きます!✨
ではまた!🙋🏼♂️
ありがとうございました!🙇🏼♂️🙇🏼♂️🙇🏼♂️