見出し画像

『神と家族とともに迎える、バースデー』

せいひつです。


先ほどまで、遠藤周作さんの映画化もされた『沈黙』を朗読していました。

棄教者として表現されている、主要人物のキチジローも登場しました。

いかにも、我が身可愛さの、卑しい存在として描かれていますが、彼はわたしたち信仰者の裏の顔を写す、鏡として描かれています。

牧師さんはいいます。

「わたしたちはみな、自分が可愛くて仕方ない」と。

その通りだと思います。

だからこそ、病んで床に伏しているとき、友となる主に赦しを乞いたり、癒しのお祈りをしたくなるんですね。

それは自分さえよければ、という心に何かしら、罪悪感があるせいかもしれません。

わたしも悔い改めなければならない、行いや想いがたくさんあります。

またひとつ歳をとってしまいましたが、天国に行く(あるいは地獄へ落ちる)前に、何かひとつでも真理というか、確信を得ることができるのでしょうか?

家族は元気にしております。

先日、図書館で、毎月だす季節のお便り20枚を書き終えました。

あとは29日の日に、ポストへ投函するばかり。

しかし、10月1日から切手料金が変わるので、9月に入ったら、早めにお便りに着手したいですね。

今月も10枚までは、わりと早く書けたのですが、半分まできたところで、気を抜いてサボってしまいました。

月の後半になって、飛ばして書いていくのはいつものことですが、切手料金が変わる、来月ばかりは半ばには書き終えておきたいところ。

最近、他人様(ひとさま)が書かれた文章から、性格や癖をなんとなく読み取れるようになりました。

文章って、そのひとの人生観が再現されているものだと思っております。

ある方は、あまりにも読書量が多くて、感情の起伏がなだらかだったり……
また、あるかたは、真面目すぎて文章が平坦に感じたり……
ほかのあるかたに限っては、言葉に感情を込めることが得意で、とにかく右へ左へと、飽きずに読める文章だったりと……

どれも、好き嫌いはひとそれぞれだと思います。

わたしの文章は、自分自身で客観的に、どう感じるかを判断するのは難しいですが、あまり汚い言葉は使わないよう、気をつけてはいます。

昨夜は、ナイトハイクをして、風景をスマホで撮影しました。
撮影したものを、「リアル夜廻」というタグを付けて、Xに投稿したりもしています。

踏切で過ぎ去る、貨物列車の残像です。


ホラーゲームのワンシーンのような、丘の上のベンチです。


電灯の灯りが輝いている、公園です。


無人の自販機でした。

行動範囲が限られているので、撮れる画像は、毎回だいたい決まってしまいます。

今日はここまでにしておきます。

ご読了ありがとうございました。