『仕事はつらいよ』2024年8月18日、日曜日
ツグミ・セイヒツです。
わたしは熊日新聞を配っているのですが、8月に入ってから、毎日新聞を配っていた職員さんも、熊日の会社に入ってこられました。
合配といわれるそうですが、今まで熊日新聞のみを配っていたのを、毎日新聞も一緒に配ることになったのです。
変わったのは8月からですが、それ以前に毎日新聞を配っていた会社が、店を畳まれたのか?
詳しくはわかりません。
今日で3、4日ほどになりますが、わたしの後についてきて、道順を覚える配達員のかたは70代です。
わたしの父と同じですが、父は60歳で、役所を定年退職いたしました。
頑張っているお年寄りを見ていると、「お父さんも働かないのかな?」と思うときがあります。
しかし、一度、世間から離れて退職すると、もう一度他人に仕えるのは億劫になってしまうもののようで。
新聞配達は、対人ストレスがほとんどない職場ですが。
わたしは、3時過ぎてからと、起きるのが遅いので「6時までに配ってくれ」といわれている新聞配達も超過してしまうときがあります。
といっても、ほぼ6時までには配ってしまいますけど。
ただ、あまりゆっくりと運転しないので、ついてくるお年寄りのかたは大変かもしれません。
夜の街を、スクーターで走行しながら、なるべく安全運転を保って、事故に遭わないよう、注意しながら新聞配達をしております。
この仕事のつらいところは、どんなにきつくても、まず休めないところにあります。
所長が変わって、おやすみをとったことは、ほとんどありません。
本当は、体調が悪くて休みたいときもあります。
しかし、「今日だけは頑張っていこう」と思って出勤し、なんとか仕事を終えて、帰ってから泥のように眠る日々を送っております。
父は働きもせず、外食ばかり「行こう、行こう」とせがみます。
まるで、子供のようです。
意思判断も、母に任せることが多くて、「本当にそれでいいのかなあ?」と思うことはあります。
そんな父に限っていう、決まり文句は「自分の頭で考えろ」です。
思春期からずっと、これを言われて、過ごしてきました。
うろ覚えながらも、これが役に立った機会はほぼないといって、過言ではありません。
そんな父ですが、定年退職するまで、何度も「仕事を辞めたい」と母に言ったそうです。
そのたびに、わたしたち「子供たちが路頭に迷う」と母はいい、父を繋ぎ止めてくれました。
母の支えもあり、無事に父は定年退職するまで、仕事を辞めずにいることができました。
それもこれも、神様のおかげですね。
アーメン、感謝です。
そして、これを読んでくださった、あなたにも祝福がありますように。
ハレルヤ。