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008. 無印シールと葛藤
ここ最近、電車に乗っているときも、道で信号機に止まっているときも、なるべくスマホを見ないようにしている
それっぽく言うと、日常の何気ない小さな幸せを摘める人でありたいと思っているからだ
※スマホ依存を無くしたい思いもあり、、
そう思いながら今日も電車に乗る
高田馬場から山手線で大塚に向かう途中、池袋駅に止まる
ここからたった一駅、たった2.3分の中で葛藤が生まれることになる
池袋駅で乗られた女性の服に無印良品の"サイズがかかれたシール"が貼ってあるのだ
恐らく自分の母親くらいのお歳の女性だった
これは自分から言うべきか、言わんべきか
勢いのまま話しかけようと一歩前に出た
しかし一歩目で足が止まる
ここで話しかけたら
自分が相手の立場だったら
とふいに思考が回る
恥ずかしくてその日の夜は眠れないだろう
そんなことを思ってしまい、出した一歩を元に戻す
そしてもう一度、冷静に思考してみようと思う
確かに、山手線の中でどれだけそっと言われても恥ずかしさは生まれるだろう
一方で、それを付けたまま休日の東京を歩き続け、帰ったときにそれに気づいたらその方はもっと恥ずかしくなるのではないか
この方が自分の母親だったら、、なんてことも考えてしまった
はたまた、「恥ずかしさ」というのは自分の軸でしか考えられておらず、その方にとってはそんなシールあってもなくても何も気にならないかもしれない
結局、そんなことを考えてるうちに大塚につき、何も言わず電車を後にしてしまった
やっぱり相手のことなんてわからない
電車に偶然乗り合った人なら尚更だ
どうすればよかったのか、、
短絡的な結論になってしまうが、結局は自分がどうしたいかなのだと感じる
ここまである程度考えて、行動を起こさなかったのは正解だと取れる
でもどこかなんかもっと最適に伝える方法があったのではないかとも思う
思考して、選択して、間違っていたら少しずつ正しいと思う方向に整えていく
今回は行動しないという選択を取った
結果、間違ってはないと思うが、もっと何かできたのかもとも思う
きっとその繰り返し
螺旋階段のように、繰り返しながら、少しずつ自分らしく、誰かのためになれるアイデアと選択を取れるようになっていくはず
たった3分の中ではあったが、自分にとってはただの移動時間がとても貴重な時間になったのだと思う
次同じ機会があったらどうしようかな、、
またゆっくり考えよう
2024.11.15