目隠し投げ銭の準・便利屋さんをする理由
私は「目隠し貯金箱」に「後払い」で作業の代金をいただく「なんでもお手伝い屋さん」をやっています。
なんで「目隠し」「後払い」なのかというと、代金がいくらだったかを私が知り得ない状態を作るためです。
あと、「お手伝い屋さん」を名乗る理由は、簡単なことしかできないからです。
逆にいうと、簡単なことしかできない私でも、生きていけるかどうかの実験をしているようなものです。
基本的な生活コストの高い都会ではできない実験なのですが、私の場合は地方都市で行なっているので、仮に実験がさほどうまくいかなくてもまぁなんとかなるのでやってみています。
この「お手伝い屋さん」には、サービス料金表はありません。ホームページには以下の文章を載せて、事前にご理解をいただけるように心がけています。
私の「お手伝い屋さん」の特徴は「目隠し貯金箱による投げ銭決済」です。
これはお客様のサービスに対する満足感とお支払額がちょうど良い状態を作り出すための工夫です。
仕事現場までの移動及び運搬などに係る自動車のガソリン代は実費をいただきますが、お手伝い内容の代償としていただく賃金については「何円を支払ったか」はお客様しか知らない状態で決済をしていただきます。
先に金額を決めていたり、時給計算で賃金を決めていると、仕事が終わった後にお客様の心の中に「思ったほどのいい仕事はしてもらえなかったなぁ。なんか払いすぎて損した気がする・・・」とか「1時間に満たない時間が半端に残ったら、ついでにこれもやってもらわないと損だわ・・・」とかモヤモヤした気持ちが生じてしまうと思っています。
逆に仕事を受ける側の私にも「払いすぎたって思われていないかな大丈夫かな・・・」とか「こんなに働かされてこの金額じゃ割に合わないな・・・」とかの心のモヤモヤした邪念が生じてしまいます。
もちろんボランティアでは続かないので無償奉仕はできないのですが、満足してもらっていないのにお金をくださいとは言いたくないし、無理やり仕事を増やして帳尻合わせできっちりした時間を拘束されるのは嫌なのです。
そこで、目隠しにしておいて、お客様が「この仕事内容ならこれぐらいお支払いがちょうどスッキリ!」という額を投入してもらえたら一番良いのです。
このスッキリした気持ちがお客様から心からの「ありがとう」がいただける源泉になったり、その「ありがとう」を聞けたこちらからも本当に役に立てたと感じて、心からの「ありがとうございます」が言えて、心のつながりの満足感と次のやる気につながると考えています。
これによってお金で雇い雇われた主従の受発注関係ではなく、フェアな支え合いの関係が生む長期の信頼関係になるのだろうと考えています。
ちなみに、「目隠し貯金箱」は月末まで箱を一度も開けません。
月末に箱を開けた時には、いろいろな方の「ありがとう」の集合体としての合計金額だけがわかります。個々のお客様がいくら支払われたかは本当にわからないのです。
ただし、一つ一つの仕事に何分の時間がかかったかは記録しておきますので、結果的な時給はわかります。全体の拘束時間(現場までの往復移動時間)で割ると、時給がわかります。仕事に費やした時間だけで割ると業務の時給がわかります。私はそれを見て、自分の社会的な価値がだいたいわかるという仕組みです。さすがに時給が500円を割っていたら続けられないのですが、今のところそんなことは生じていません。ありがとうございます^^。
お客様によっては、金額を決めてくれないと困るとか、気持ち悪いから先に値段を知りたいというお客様もおられます。その場合はお仕事はお断りをせざるを得ません。なぜなら私はこの「目隠し投げ銭」という仕組みだからこそ、この「お手伝い稼業」をしようと思っているからで、そうでなければやろうと思わないからです。
どうしてもお客様から支払い金額を決めるヒントが欲しいと聞かれたら、こう答えることにしています。「お客様が逆の立場に立って同じ内容の仕事をされた場合、これぐらいは欲しい、という金額がちょうど良い金額だと思います」・・・と。
このスタイルで仕事を始めた理由がもう一つあります。
特別なスキルがなくてもお手伝いできる仕事はたくさんあるということを証明したいのです。
田舎でも都会でも「ちょっと猫の手でも借りたい」というシーンは日常にたくさん転がっていると思います。それを紡いでいけば、誰にでも仕事はあるということを証明したいです。
これは料金表を明示してしまったら成り立ちません。なぜなら絶対に損をしない料金表を作らざるを得ないからです。技術が必要なサービスであれば、他に頼めないから高くても成り立つでしょう。
でも、お手伝い仕事は誰にでも頼めるので、先に損が出ないように整った金額を見せたらあまり頼もうとは思わなくなってしまうし、仮に頼んでもサービスのレベルに文句の一つも出てこようというものです。
それだと誰でも参入できる仕事になりませんし長続きしないと思っています。
時間ある人なら誰でも参入できる仕組みづくりが「目隠し投げ銭」方式なのではないか、と思って実験的にやっています。どうかご理解をいただけたら幸いです。