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故郷も変わる

 年末年始に郷里の和歌山県田辺市に行って、元旦に開かれた親族の新年会に出席してきた。新年会に私の親の世代は居ない。すでに皆他界している。私の世代は私が最も若くて68歳だ。

 いとこは子供と孫を連れて出席したが、小学生はいとこの孫二人だけだった。世代交代が進んでいるが少子化も進んでいる。

 新年会は昼食会で、私はその後、運動がてら2時間ほど市内の海岸沿いを歩いた。今回宿泊させてもらっている兄の家から、歩いて5分で海に出られる。

 今は立派な防波堤が作られているが、私が小学生になる前の防波堤(以後、堤防と表記)は石垣で作られていて、度々台風の被害に見舞われた。その後、高さ4m程の堤防に作り変えられたが、それでも大きな台風が来ると地域の一部に被害が出た。

 今の堤防は20年以上前に作られたもので、港湾整備や地域開発と合わせて作られ、かなりの国費が入っていると聞いた。その頃私は地元に住んでいなかったので詳しく知らない。

 子供の頃、海岸線には白い砂浜が続いていたが、最も新しい堤防が作られたとき砂浜と海の一部が埋め立てられて、宅地、港、堤防が作られた。今の堤防は、最も古い石垣のものより何十メートルも沖に作られていて、堤防の真下は海になっている。

堤防から見た、整備された港湾

 堤防から一度道路に戻って田辺駅方面に歩き、再び別の地区の海岸沿いに出て歩いた。この場所は目良(めら)という地名で、この辺りも埋め立てられて堤防が整備された。

 埋め立てられて出来た土地に日本郵政が運営していた「かんぽの宿」があった。立派な宿泊施設だが、昔から利用者は少ないと聞いていた。その「かんぽの宿」は、今は民間のホテルに変わっていた。

目良の堤防から見える海と元島

 そこから更に海岸沿いに進むと天神崎につながっていく。天神崎は吉野熊野国立公園の一部になっていて日本のナショナルトラスト発祥の地だ。

 天神崎は一年を通じて温暖な気候で、陸から海まで続いている場所に多様な生物が生息している。その自然が最も魅力だが、最近は別の事で人気になっている。

 潮が満ちてきた岩礁の上に立つと、あたかも雨後のウユニ塩湖のように、自分の姿が逆の形で岩礁の上の海水に映る時がある。それが夕日と重なるとインスタ映えする写真が撮れる。

天神崎

 そういう事は以前からあったのだろうが、誰かがそんな写真をSNSで紹介して外国人観光客が増えたようだ。

 私が天神崎を歩いたのは午後3時過ぎだった。その時は満潮時でも夕暮れでもなかったので観光客は多くなかった。しかし、満潮の時間帯には写真撮影目的の人達が多くやってくるのだと思う。

 私は故郷を離れて50年になる。自分の思い出の中にある故郷は変わらないが、現実の故郷は変わる。当然のことだ。50年も経てば人も街もすっかり変わる。

 約20年前、私が48歳~49歳のときに、仕事にも人生にも行き詰まり、兄に助けてもらうように、都会からこの田辺市に戻ってきた。しかし、都会で暮らせなくなった人間が故郷に戻ってきてやっていけるとは限らない。

 結局、故郷の田辺市でも仕事にあぶれて生活できず、新たな仕事を求めてもう一度東京に出た。50歳だった。それからもうすぐ19年になる。私は19歳年を重ね、故郷も19年の変化があった。

 故郷も私も変わってしまい、今の故郷に私の居場所は無い。夢で子供の頃の故郷に戻る事は出来ても、現在の故郷は昔とは全く別の姿になっている。
当たり前の事だけれども、「人は誰もが前に進むしかない」と、故郷の変化を見て改めて感じた。


 

 

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