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連載124 2024年8月のエッセイ「しゅふ、爆誕!」

There are as many styles of housewife work as there are housewives.
(しゅふの仕事は、しゅふの数だけ流儀が存在する)


しゅふ。

ひらがなで書いたとき、その字からどんなイメージを抱くだろうか?

今回のしゅふは、主夫。主婦ではない。そう、ボクの家事の話だ。

 一般的なしゅふにはどんな仕事があるだろうか。料理、洗濯、掃除、ゴミ出し、お風呂・トイレの掃除、子供がいる場合はそのお世話もある。あとは言葉にできない細かな色々なことがある。上に挙げたワードで収まりきれない。

ボクはちょっと前までは、このうち料理しかやってこなかった。働いて、毎日の夕食を作る。それでも十分、しゅふ、のつもりだった。

最近、料理以外のこともやるようにした。

やってみると、実に色々な仕事があった。料理だけやって、主夫なんて気取るのはちゃんちゃらおかしい、そう気づいた。やってみて何が一番きつかったか?

こういうとまた怒られそうだけど、きつい仕事はなかった。

どれも、それなりにこなせている。洗濯は洗濯機にまかせてるし、まぁ、乾燥機はないので干すのは手動だけど、かえって気持ちいい。掃除も掃除機をかければ済むことだし、お風呂やトイレの掃除も短い時間なので、そう苦ではない。ゴミ出しも分別すれば決まった日に捨てるだけ。なんてことはない。分別も一回慣れれば、覚えるし、分別表もある。

そう、きつかったのは、不要物の断捨離かな。

2ヶ月ほど前、家中の不要なものを捨てる覚悟を決め、整理しはじめた。そうしたら、出るわ出るわ、いらないもの。こんなん、いままで取っておいたんだ・・・
愕然とした。何かを買った時の包装の段ボールの箱、もう着ない洋服、古い機械、
そしてもう読まない本と雑誌。まさにうじゃうじゃだ。なにしろ、その不要な荷物のせいで真ん中の部屋が物置になっていたくらいだ。暑い最中、それを徹底的に要不要を判断し、捨てる手筈を整えた。捨てる前の日には玄関が見えなくなるほど、物が積み上がった。普通のゴミに出せない機械や大型のゴミは、専用の施設に2回も捨てにいった。今思えば、それらが一番きつかったと思う。

ちょっと主夫の話から逸れてしまった感はあるけど、そういう感じだった。今はスッキリした部屋になってるし、気持ちよく暮らせる。これは重要だ。写真にあるように本棚の一部もすっきりと整理し、まだ読んでいないコーナーも作ることができた。

未読本コーナーを作ることができた

いまも習慣化している主夫業。夕食も二人分作るし、なんならお弁当も作るし、自分の分の洗濯もするし、掃除もするし、ゴミ捨てもする。どこに出しても恥ずかしくない主夫・・・ということでもないんだろうな・・・。

ボクがやったあと、つれあいがなんかやり直してたりするし、何が気に入らないのかよくわからないけど、違う感じに仕上がってることもままある。要は人によって“しゅふ”の仕事の流儀は異なるということ。ボクにはボクの、つれあいにはつれあいの流儀がある。そしてボクの仕事ぶりはたぶん、つれあいからみればまだまだなのだろう。まぁ、これが手始めだ。一通りの家事ができれば、何が起きても大丈夫。

あとやれるとしたら・・・

裁縫かな。これは中学校以来やっていないので、ボタン付けすらできない。時間があったら練習してみよう。つれあいもきっと驚くだろう。


2024年8月現在、当時を振り返って
このエッセイは1週間前の月報検討会のプレゼン表紙にこっそり載せたものだ。
上にはいっぱしの主夫なんて書いているけど、ぜんぜんだよ。

うちには子供がいないので、子育てという面での主夫業をボクはやっていない。また、親とかの介護もやっていない。だから本当の意味での主夫はこなしていない。
偉そうなことを言ってごめんなさい。

でも、いまの環境がそうなのだから、その状況下での主夫ならそれなりにこなしてはいる。どう感じるかは人によって違うと思うけど、当事者の僕たち家族の中ではその認識だ。それでいいのだと思う、大事な人はそれだけなのだから。

子供は育てていないけど、つれあいという他人との暮らしはどこか子育てに似ているのではないだろうか。そこには愛もあるけど二律背反する憎しみもある。大人として互いに成長するために一つ一つやれることを増やしていく。ボクにとってはつれあいは大きな子供だ。ボクは試されている。


さて、今日は昨日のバタバタがあって混乱があるけど、前に進むための一歩の日だ。必ず勝つ、それだけを信じて今日を生きる。

じゃあね、お元気で。

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