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Photo by
ヨハネス・フェルメール / メトロポリタン美術館
西洋音楽との出会い(「うた」におそわる)
我が国は
明治維新がなされ、
日本という国の輪郭を諸外国に
示していかなくてはならないという
宿命が訪れました。
明治政府は、
歴史上はじめて
日本という国を対外的に整えて
国柄(国体)というものを
世界に顕わさなくては
ならなくなったのです。
日本は江戸時代に
諸外国がどれだけ野蛮であるかを知っていました。
鎖国体制のなか
惰眠を貪っていたわけでは
ありません。
ポルトガルにはじまり
オランダ・アメリカ・イギリス・ロシアなどが
奴隷を何人も使い
植民地化という侵略と略奪をして
そこの文化や美徳を破壊していきます。
傲慢と不遜
金と力の世界が
そのまま日本に入って来ないように
新しい統一された国造りが
求められました。
明治5年 「学制」発布
新たな教育体制
西洋式教育制度を学びに
井沢修二は
アメリカに渡ります。