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お好み焼きカウンター秩序

──比較的空いている。
 数歩歩けば、そこから先は、人、人、人なのに。

 俺は安心する。お好み焼きが食べたかったかというと、そうでもない。駅チカで「人の少ないところ」で、思い浮かんだ店が、ここだった。お好み焼きの口と、人の少ないところ、を天秤にかければ間違いなく後者に軍配があがる。

「いらっしゃいませー」

 威勢のいい掛け声を耳に迎えながら、ガラリと重たい引き戸を、集中して閉める。カウンターかテーブルを選べという。
 即座に空間把握した俺の脳内調べによると、左方面は基本的に四人掛けテーブル席だが、二人客が三組もすでに腰掛けてほぼ埋まっている。
 右方面。二人掛けが一つ飛ばしで空いているが、間に割って入るほど、他人の空間に対して無神経じゃない。俺は、まだ誰も座っていない、カウンター席の一番手前より一つ隣の角っこに座る。俺はカウンターがあまり好きではないが。五十円、割り引いてほしい。

 豚玉を注文する。QRコード。俺の右斜め死角、僅か3メートル先に、手持ち無沙汰の店員が立っているのに、俺は自分のスマホ画面を見ながら、黙って豚玉をオーダーする。

「ご注文ありがとうございまーす」

 一年前なら俺が呼び寄せて注文しているはずのホール店員という職種の人が、まだ機械には真似のできない肉声で、オーダーが入ったことを俺と厨房にお知らせする。

……そういえばこの店は以前、男性店員が多数だったはずだが、鉄板での調理担当もホールの運び屋も女性に変わっている。
 ジェンダー平等の波は、こんなところにまで及んでいるのかもしれない。

 厨房の奥で、キャベツを刻み続ける音が聞こえている。或いはそこにいるのが、男性かもしれない。


 ガラリと扉の開く音は聞き逃していたが、店員の掛け声で、客が来店したことを知る。俺は、お好み焼きが出来上がっていく様子を、いつだってジロジロと眺めていたいが、大人なので、そんなことはできない。こういうときだけ、外見が少年になれたらと思う。夢中でなにかを見ていい権利は、幼ければ幼いほど付与される。それは、大人が子供を舐めているからかもしれない。だが、子供はマクロな宇宙の観察者だ。お前が見失った時間を、彼彼女は眺めている。そんなわけで俺は、文庫本を開くまでもない待ち時間に、さして見る必要もないスマホのSNSを開いては閉じ、待ち受け画面を右に左にスワイプしていた。すると、一人の中年親爺が、気が付くとカウンターに腰掛けた気配がした。

「なんで、そこやねん」

 ここは広島風お好み焼きだ。

 L字のカウンター席は、広々と空いている。カウンターに腰掛けているのは、俺一人だ。だのになぜ、お前は、視界がぶつかり合う可能性の限りなく高い、ピンポイントL字交錯ポイントに着席したのだ。なんとなくそちらを見るのは憚られ、憚られつつも俺がそちらを一瞥もくれないことに力を得ているであろう親爺の不躾な視線に耐えられず、俺は重い腰を上げて、感じた視線の糸を辿った。──イワンコッチャナイ。急いで視線を逸らしても、もう遅い。視界に入る俺のことを、手持ち無沙汰なお前は、俺と同じ豚玉を注文したあと、鉄板を見るような素振りをしつつ、視界の端に必ず収まってしまう俺のことを見ていたことは、知っているんだぞ。
 辿った糸の先で鉢合わせた視線は、静電気のように弾け、親爺は急いで眼球を明後日のほうに向きを変えた。お前もなにか居心地悪そうにしてるやんけ。なんやね、これ。こういう接触事故は、予め防げたのに、おまがそこに座ることからすべては起こってしまったんやで。ことの重大さが、おまにわかるんか。わかっとるんか?


 親爺の居心地の悪さに居心地の悪さを覚えなくてはならなくなった俺は、豚玉を食す前からこの店を出たくなっていた。七十五円、まけてほしい。

 豚玉が目の前に置かれると、最後にソースを塗りますね、とペンキのような筆で、二度撫でられた。……お好みソースが、少なすぎやしないか。俺は席を立ち、追いソースとマヨのネーズをセルフで持参した。かと思いきや、俺は席を立たずして、四等分にする予定の、一区画をキリトリ、皿に載せ、一口目を頂戴した。意思に反して。案の定。ソースの掛かり具合が物足りなかった。俺は、満を持して、「味が薄いと感じた」という経験を人質にして、ソースとマヨを取りに行った。「だって、薄かったんだもん」という言質を無言に放ちながら、身体を空間の中で移動させた。

 せっかく調理したものに、最初からソースを行くというのは、調理した人に失礼なのではないか、作ったばかりのお好み焼きに、ソースを二度しか塗らなかったことには、彼女なりの理由・秘伝があったのではないか。これは、素材の味を楽しめるお好み焼きなのだ、という「きんさいや」の、店としての、矜持だったのではないか。なかった。薄かった。なにも塗らないお好み焼きの味は、仄かなキャベツの味しかしなかった。知ってた。知っていて、知らないフリをした。顛末はいつも知っている。俺は同じ目に遭うことを知りながら、誰も傷付かず、誰かを傷付けた可能性があるかもしれないという感覚に傷付きたくないという利己的な思いから、落とし穴の存在に気付いていながら、気付かないフリをして、落ちる。痛い思いをするのは、俺だけでいい。よくない。全然よくない。ボンボンボンバイエ。


……先程の親爺が、おもむろに席を立った。豚玉が届く前から、あろうことか、ソースとマヨネーズを取りに行ったのである。それも、私の行動を模倣して。
 俺は俺の豚玉に集中した。おたふくソースとマヨネーズの味に集中した。俺は豚玉と一つになろうと試みた。頷きながら、味に集中していることを自他に認めさせ、景色の一部に溶け込もうとした。

 秩序は、親爺の暴挙によって破壊せられた。親爺の前に届けられた豚玉は、なんの躊躇いもなく、追いソースとマヨネーズによって、見るも無惨な化学調味料の味に仕立て上げられた。そしてその暴挙が行われたのは、鉄板の上、である。

 この鉄板は、誰が掃除すると思っているのか。俺の二分の一が平らげられた豚玉の痕跡と、お前が、今から食しようとする豚玉の載った鉄板。汚れ具合は歴然だった。

 親爺はいつの間にか、得意気になっていた。それは薄々感じていた。俺が、鉄板の上ではなく、取り分けた皿の上で、一切れ一切れが置かれるたびごとに、追いソースと、マヨネーズをかけていた段階で、親爺がなぜか、力を取り戻していた気配を。理由は、これだったか。

 だが、鉄板の上にそれをするのが、主流、広島風、ツウ、だったとしても、俺はそれを敢行しない。断じて、断じてだ。なぜなら、汚れ具合が圧倒的に、圧倒的だからだ。お前は、汚した鉄板の掃除のことも考えず、得意気になって、見立て、七、八等分するのであろう縦斬りの豚玉に、「これが、広島風じゃきぃー」とでも言わんばかりの得意満面な所作は、後片付けを度外視した、傍若無人な振る舞いであるということに、思い至れないお前の視野狭窄加減を、俺に露呈しただけであった。そうとも知らず、得意になっているお前が、私は悲しい。


 現金しか受け付けなかったはずの勘定は、あらゆるペイに対応していた。レジからほど近い厨房を覗くと、キャベツを刻んでいたのは、年配の男性だった。


 いつかQR読み取りの注文方法が主流になり、口頭で注文するという時代があったことを懐かしみ、そんな時代があったことを口伝でしか知らない子供たちが大人になった世界が訪れたとき、俺が親爺の所作に感じた古臭さや、そこから立ち現れた俺の感情の荒野は、時代の砂礫に埋もれ、誰も知らず、誰も思い返さず、あったことさえ忘れられてしまうのだとしたら、こんな瞬間さえ、愛しいと言えるかもしれない。……でもいまはむり。

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