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コミュニケートの乱高下による人間関係の亀裂についての個人的備忘録

 おれにはコミュニケーションがポンコツになる日がある。

 べつに精神面も肉体面も調子が悪いサインが出ているわけでもなく、それが意識に上ってくるレベルではないような日でも、人とコミュニケートしてはじめて「あっ、今日ポンコツだ」と思い知る。

 なにでそう判断するのか。それは、伝えたいことと言葉の選択があまりにも不一致で、引き出しからペンシルを取り出して渡そうとしたのに、ハサミを(しかも刃を相手に向けている)渡している、みたいな感じだ。そんなだから、相手もキョトンとする。「あれ、この人、こんな疎通に難ある人だったっけ?」……とまでは思われはしないだろうけど、そんなニュアンスで、「あれれ?」と思われているのは表情を見ればわかる。これは仕事でもプライベートでも関係なく発揮される。その日の初コミュニケートの出たとこ勝負だから、蓋を開けてみるまで分からない。だから、初対面でそれが発動すると、大抵次回からは下に見られる。初対面で出目がいいと、次回からそれ相応。でもなんか「?」となる日もあるから狐につままれたような頓狂な顔をしてる。関係性をある程度築けている人には、言葉の援護射撃、アシスト、汲み取ろうとする姿勢、を見せてくれるため、事なきを得るのだが、このおれのコミュニケートの波は一体なんなのだろう。
 黙々と一人でこなす仕事の業務に関しては、タスクの予定通り、「順調」と言ってもいいくらいに進められた。だからこそ謎だ。そしてたいてい、このことが原因で関係に亀裂が入ったりする。「亀裂」とまでは言わないけど、うっすらと「警戒」「距離を置かれている」感じ。それは、当の本人さえ自覚していない度合いの、動物的本能、嗅覚と言える警戒心と言ってもいい。
「なんかこの人今日、おかしいな」と思ったら「あなたに対して態度を悪くしている」だとか思わないでほしい。完全に自分の問題だから。本当にこの操縦席はどうなっているのか。明日にはハンドルの位置が数センチズレていたりする。ブレーキがなぜかアクセルに模していたりすることもある。事故るだろ。

 10年以上ぶりに映画『羊たちの沈黙』を観た。これぞ映画、って感じだ。クラリスに個人的質問をするシーンで、なぜレクターが体ごと反対側を向くのか、そのことにクラリスもなぜ言及せず普通に答えているのか。なんか理由がありそう。カウンセリングしてる感じ。
『ハンニバル』はなぜか有料なので、三作目の『レッド・ドラゴン』を観ながら寝ようと思う。

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