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子が父へ、父が子へ成長するBL『憂鬱な朝』の魅力
2018年に完結した漫画『憂鬱な朝』の感想、考察を述べていく記事です。
※ネタバレしていますので読む際はご注意ください。
凄い漫画を読んでしまった…面白いのはもちろんなんですが、ここまで突出していると面白い、面白くないで語って良いものじゃないような…語りたいことは山ほどあるけどありすぎるし、様々な感情が沸き起こってどれから話せばいいか分からない。最終回読んでそんなフリーズ状態になってしまった漫画です。こんな凄まじい作品がそんなに有名じゃないなんて、日本の漫画業界のレベルの高さに空恐ろしさを感じます。
ジャンルはBL(ボーイズラブ)漫画。読むハードルが上がってしまう方もいるかもしれませんが…それで読まないのはもったいない!個人的には老若男女幅広い世代が読むべきだと思うくらい、壮大な歴史大河ドラマとなっています。明治時代の華族社会が舞台となっていますが、当時の社会制度、風俗などが緻密に華麗に描かれ、歴史漫画として読んでも相当面白い。また華族社会における複雑な人間関係の描写も様々な切り口から考察、語る事ができ、読めば読むほど新たな発見や感想を抱く事ができるとても稀有な作品といえます。個人的にこれはBLである前に父子の運命を描いた物語だと感じました。その点について述べていきます。
あらすじ
明治時代。父の死後、十歳にして子爵家当主の座を継いだ久世暁人(くぜあきひと)。教育係を務めるのは、怜悧な美貌の家令・桂木智之(かつらぎともゆき)。社交界でも一目置かれる有能な桂木は、暁人を何故か憎んでいる素振りを見せる。桂木に惹かれる暁人はそんな現状に耐えかね、ある夜桂木と無理矢理身体の関係を結んでしまう。二人の関係はどうなっていくのか?桂木の真意とは?
※「家令」とは皇族や華族の家の事務・会計を管理し、使用人の監督に当たった者を指す。使用人の中では最上位の役職となる。
「父」の桂木、「子」の暁人
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1話にて教育係とその教え子として出会った桂木と暁人。桂木は作中、暁人の亡き父、暁直に所作や思考パターンが似ていると様々な場面で言及されています。つまり暁人にとって桂木は単なる教育係ではない「父親」そのものであったとも言えます。二人の関係は擬似的な「父子」(父=桂木、子=暁人)としてはじまったのです。
本当は「子供」になりたい桂木
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では、桂木は「父」の役割を全うしていたのか?となると…正直全然果たしていないように見えます。彼は自身の謀略をめぐらせながら暁人に接していたので当然と言えば当然で、暁人に対して父性愛みたいなものは全くなかった。その証拠に桂木は暁人に対して途中までは非道で酷なことしていますね。殺すとかそんなことはありませんが、直系血族による「家」の存続を重んじていた華族社会においては重大な裏切り行為です。
上記のような背景もありますがもう一つ理由として、桂木は「父」になりたいんじゃなく、誰かの「子供」になりたい、だから「父」になりきれない、そんな想いも感じます。桂木の最終的な願いとは生まれてきただけで子供が親から無償の愛情を受けるのと同様に、損得抜きにありのままの自分を誰かに愛されて認められたい、そこに尽きるんじゃないかと思うんです。実家の桂木家でもどこかよそ者扱いで本当の親子の愛情というものを得られなかった桂木。更に、久世家に引き取られてからは暁直に息子として愛されようと努力したが、最終的にこの関係も成就せずに終わります。損得抜きで愛されるって、親がいれば基本は誰しもが経験できるもの。だが、出自の経緯からその誰もが味わう自己肯定感を味わうことができずにいました。その欠落は桂木の人生に暗い影を落とし、暁人から当主の座を奪うことで埋めあわせようとします。
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「誰かの子として愛されたい」という彼の願望は性格にも出てきているように感じます。端的に言うと桂木は結構「子供」っぽい。容姿や立場の印象から理知的に振る舞うかと思いきや、意外と感情的に行動することが多い。何かあるとすぐに顔に出ますね。腹芸できるかどうかで言えば年下の暁人の方が一枚上手な印象があります。石崎にもその稚拙な性質を見抜かれています。
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つまり、桂木という人物は立場上「父」の役割を課せられたが、本当は誰よりも「子」供であることを希んでいたのではと考えられます。
逆転する2人の人間関係
物語が進むにつれて、暁人と桂木の関係性はどんどん変化していきます。
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最初は暁人を自分の主とも認識していなかった傲慢な桂木。
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暁人の激しい恋情に触れることで桂木は変化していき、紆余曲折ありながらついに二人は恋人同士となります。
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すんなりとはお互いを思いあえない二人でしたが、桂木は久世家の使用人以外でも生きがいを見出し精神的に成長していきます。物語終盤の桂木は1巻の暁人を見下していた頃と全く違う。敬うことはもちろん、自分の行動の模範として暁人を参考にするほどに変化していくのです。
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一方の暁人も物語序盤では立場は桂木より上のはずなのにしてやられてばかりでした。
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二人の関係が深まるにつれて名家の当主としても成長していく暁人。終盤では桂木の「主人」として堂々と振る舞うように。桂木を庇護して可愛がりたい、ちゃんと認めてあげたいという想いが端々で垣間見えます。
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二人の関係性で象徴的だった場面。「生まれてきてくれてありがとう」なんてそれこそ親が赤ん坊が生まれたときにその子に向けて言うような言葉です。ただ生まれてきてくれただけで祝福され、愛されるとは、ありのままの剥き身の自分を愛してもらうと同義ではないでしょうか。これこそ桂木が長年求めて手に入らなかったもの。この場面は恋人達の交歓というより、親子の愛情確認のような趣もあります。桂木が暁人の「子供」になる決定打となった台詞です。
疑似的な父子関係がもたらす愛の結末
『憂鬱な朝』とは
暁人目線では、無力な「子」供から、威厳ある「父」(=当主)になる物語。
桂木目線では、生きる為の手段として課せられた「父」から、愛される「子」になる物語。
とりわけ興味深いのは桂木の変化の過程です。字面を見ると父→子へとは退化しているように見えますが、実際は幼少期から欲していた無償の愛を得て、自己肯定感を満たし精神的に成長していきます。二人の関係が親密になり、精神的に成長していくほど、二人の上下関係は逆転、疑似親子の役割も逆転していきます。(父:桂木、子:暁人→父:暁人、子:桂木)
ってことは桂木は自分が理想とする親(モデルが先代、暁直)として暁人を育て、暁人に子供にしてもらった、という立場になるのか…何そのすごい状況…源氏物語の若紫の逆バージョンみたいな。
この二人の関係性って一言で言い表せない。師弟でもある。「家」を存続させる一大プロジェクトを成すための主と部下でもある。恋人でもある。そして互いが互いの父と子でもある。こんな一筋縄じゃいかない人間関係に難しい時代設定も絡めて、ご都合主義を感じさせないラストに落とし込むなんてとんでもない漫画だ、と思った次第で。
設定や人間関係の描写は複雑ですが、この作品が描きたかったテーマは非常にシンプルだと感じます。立場や人間関係が変わろうが、相手が何者であろうが、自分が愛したい人をただただ愛したい。恋愛の在り方が多様となっている現実社会においても根っこの部分はすごく共感できるストーリーで、とても古くてとても新しい物語なんだと。
無理だと思うけど、いつかNHKで本当に大河ドラマにならないかなあ。濡れ場のシーンが地上波では厳しいけど…暁人や桂木役の俳優さん探すのすごく大変そうだけど…徹底した時代考証のもと再現された実写の「憂鬱な朝」見たい…