突然、高校の入試制度が変更に 【 いにしえの高校時代 9 】
私が育ったのは、空気と水がきれいで静かな新興住宅街である。
メチャメチャ教育熱心な地域だった。
私が通った地元の公立小学校は、公立にもかかわらず超進学校だった。難関私立中高一貫校を受験して旧帝大を目指すのが当たり前だった。
近くの教育水準が高いはずの大きな街から越境入学してきた児童がいたくらいだ。この少年は、難関中学を受験して合格した。東大一直線コースだ。
また、成績がトップクラスではない男子生徒は、中学から大学までエスカレーター式のお坊ちゃま学校に進んだ。
ゆとりのある家の女子は、成績に合わせて、ふさわしい私立中学を受験した。レベルはいろいろだが、いずれも裕福な子弟の通うお嬢様学校である。
思えば、公立の小中高を過ごした中で、この小学校の勉強が一番厳しかった。公立中学に入学したとき、勉強が楽で驚いたほどだ。
ご近所の私立小学校に通う少女は、会うと「ごきげんよう」とあいさつした。私は庶民なので、「こんにちは」と返していた。
幼児のころにはお互いの家を行き来して遊んだものだが、彼女がお嬢様学校の小学生になってからは一緒に遊ぶことはなくなった。
お隣さんは、難関私立中高一貫校に通う中学生だった。彼も旧帝大を目指していた。別のご近所は、兄が東大、妹が有名私立の女子高に通っていた。
お金のあるお家は難関私立から旧帝大へ、庶民は公立中高から旧帝大など国立大学、または有名私立大学を目指す、そんな地域だった。
庶民で勉強のできる生徒は公立中学から隣町の県立高校へ進学した。隣町の県立高校は優秀な進学校だったのだ。
隣町の勉強嫌いな生徒たちは、わが町の県立高校に通っていた。
生徒たちは、それぞれが自分らしい高校に進学できて満足していた。
それが、ある日突然、高校受験の条件が変更された。小学校の学区で進学できる高校を分けられてしまったのだ。青天の霹靂である。
そうなると、私たちは隣町の県立高校は受験できない。いや、受験はしても、結果として自分の学区の高校に回されてしまうのだ。
わが町の県立高校に進学するしかない。
私のご近所の優秀な生徒たちが、こぞってアホ校と言われる地元の県立高校に進学するはめになった。庶民にはどうすることもできなかった。国立大学や有名私立大学入学への道が遠のいたと思った。
大人の都合に振り回され絶望した。大人に勝手にルールを変えられ、自分たちの未来が変わり、アホ校とバカにされる高校に行くのはイヤだった。憂鬱な気分で地元の県立高校に入学した。
だが意外なことに、わが町の県立高校はアホ校と呼ばれてはいたが、通ってみるととてもいい高校だった。入学してみないとわからないものである。