遅刻してもへっちゃらな上級生 【 いにしえの高校時代 3 】
通学には、運と根性と健脚が必要だった。
毎朝、必死である。
高校は山の上にあったので、電車の最寄り駅から高校の近くまで、毎朝、私鉄系の路線バスがこの高校のためだけにピストン運転をしていた。
短時間に生徒と教師で1300人ほどを運ぶので、バスは超満員である。
バスに一人でも多く乗せるために暗黙の了解があった。
座った人の膝の上に、立っている人たちのカバンがうずたかく積み上げられるのだ。知っている人とか知らない人とか関係なく、近くにいる人たちのカバンが全部ヒザに乗せられた。
うっかり座ると太ももがペチャンコになる勢いだ。
ドラマで見た江戸時代の拷問を思い出した。
二度と座るまいと決意するのに充分な重さであった。
そして、超満員のバスが何往復もするのに、毎朝、積み残しが出た。
そうなると手段はタクシーか徒歩になる。
自分の前に並んでいる人数を数えて、ヤバそうだとなると、どうするか大急ぎで決定しないといけない。
なにしろこの辺りはタクシーがめったに来ないのだ。一か八かの賭けになる。
運よくタクシーが来たら見知らぬ人たちと4人で相乗りをする。
たまに教師と相乗りになることもある。教師が一緒でも、生徒だけのときと同じように割り勘である。こんな時だけ平等なのだ。
徒歩の場合は、気合を入れて30分ほどゆるい坂道をのぼり続けることになる。早足である。休憩は許されない。根性が必要になる。
そして、運よくバスに乗れても、バス停で降りてから学校までが最難関の地獄坂だった。とどめである。
遅刻しそうでも絶対に走れない急な斜面だ。おしゃべりをすれば息切れである。
おかげでみんな三年間ですっかり立派な太ももの持ち主になった。
ある朝の授業中、教師が窓の外を見て怒り出した。
遅刻している生徒が見えたらしい。
バス停から校門までは地獄坂だけれど、校門を入れば校内は平らなので、急ぐふりくらいは出来るのだ。
しかし、その上級生はまるで散歩のようにのんびり歩いていた。
教師は教壇で、
「走れ!」
「走れ!!!」
「走れ!!!!!」
と、何度か発声練習をしてから窓際に歩いて行った。
生徒たちの脳内では、教師が勢いよく窓を開け、
「走れ!!!!!」
と、ビシッと怒鳴る光景が浮かんでいた。
だが実際は、教師は、そっと静かに窓を開け、
蚊の鳴くような小声で「…走りなさいよ……」とささやいたのだ。
上級生は、何事もなかったかのように素知らぬふりでブラブラ歩いて行った。
「笑ってはいけない!」と、私たち生徒は口を真一文字に結んで、肩を小刻みに震わせながら吹き出すのを必死でガマンしたのだった。