ポール・ケアホルム展 in KYOTOに行く。
昨日はお休みを頂き、京都の両足院で開催されている「ポール・ケアホルム展」にいってきました。
両足院は建仁寺の塔頭寺院で、年に数回、期間限定で特別公開されるのみで普段は非公開だそうですが、今回はフリッツハンセン主催の「ポール・ケアホルム展」が開催されるにあたり、公開されていました。
少しわかりずらい場所にありますが、立て看板があるのでわかりました。
両足院は年に数回、期間限定で坐禅会もあるそうです。
古の日本建築の荘厳さがある、静寂した空間です。
まず、ポール・ケアホルム作品が分解されて展示されているスペースです。
ここは本堂でしょうか。
手前はPK0 Aラウンジチェアがバラされています。手前奥はPK26 ハンギングソファです。
PK25 はスチールのフラットバーのフレームにフラッグハリヤード(ヨットの帆を張るときに使うロープ)が編まれただけのラウンジチェアです。
本堂にバラした作品が並んでいます。
手前中央は左からPK25、PK9、PK11、奥は左からPK26、PK33 タブレットスツール、PK71 サイドテーブル、PK91 ホールディングスツール。
ケアホルムの最もメジャーなチェアの一つ、PK22。ラタンを編んでる途中のものです。
ボルトなどのパーツや大理石、石、ガラス、アクリルなど天板に使う素材が置いてありました。
彼は「私は、自分自身の個性よりも、素材の個性を表現したい。」といっていたそうなので、こうやって素材も展示してあるんですね。
当時、木材を使った家具が主流だったデンマークで、スチールを主材にしたポール・ケアホルムの家具は異才を放っていたんでしょう。
ケアホルムはフリッツハンセン社に見出されて22歳の若さで入社していたそうですが退社した経緯があるんですね。
自分の家具が発売されないのは、当時フリッツハンセン社が特に注力していたアルネ・ヤコブセンのせいだと思い、自信を招き入れてくれたソーレン・ハンセンに猛抗議した結果、クビになったらしい。
その後は、ハンス・J・ウェグナーの事務所で勤務していた時に知り合ったEjvind Kold Christiansenと作品を作り上げ、E. Kold Christiansen社から発売されていました。
その後、ケアホルムが亡くなるまではE. Kold Christiansen社製でしたが、彼が他界した2年後、1982年からは、1951年〜1967年にかけてデザインされた作品の製造・販売を現在も、因縁のあるフリッツハンセン社が行っております。
両足院の照明。和洋折衷の様式。
庭の中にPK71とPK40のフレーム。
日本と北欧の共鳴。
ここは座ることができます。
左からフラッグハリヤードのPK4、
ケアホルムでは珍しい曲木のチェアPK15、亡くなる1年前の作品ですね。
ハイバックのキャンティレバーチェア PK20、
これが日本初公開のPK23。
約70年の時を経て、ついにその姿を現したポール・ケアホルムの幻の名作、だそうです。
ここにもフレームが。
別棟にも展示がありました。
PK9とPK54のセット。買えばいくらすんの?
ペンダントライトはJORN UTZON /ヨーン・ウツソンのコンサート。フリッツハンセンより発売されています。
当時、フリッツハンセンの技術を持っても安定的に量産することは困難で、プロトタイプのまま日の目を見ることがなかった、幻のPK0。それを2022に復刻したPK0 A。
当時の技術では3次元のプライウッド形成が難しかったんでしょう。
もしかしたら日本の天童木工の技術だったら作れていたかも。。。
縁側で庭を見ながら2人で座れます。
PK31スリーシーター、PK33 タブレットスツール、PK61とPK62が重なってます。
手前はPK80 デイベッド。
PK4、PK71もあり。
人が多くて写真が撮れませんでしたが、PK55 オフィステーブル、PK11、PK24なんかもありました。
全部座ったり触ったりできましたよ〜。
外はフリッツハンセンの提灯がありました。
なかなかこうやって一同にポール・ケアホルムの作品を見たり座ったり触ったりすることはできないので、いい展示会でした。
今回は、現行の作品ばかりでしたので、またどこかでオリジナルやヴィンテージ品の展示会があったらいってみたいと思います。
この後、すぐ隣にある、建仁寺にもいってきました。
そのことはまた後日の投稿で。