「土用の丑の日」を謳ったコピーライター平賀源内に罪悪感はあったのか?
どうもこんばんは。今日の仕事をようやく終え、昼間に買っておいた う巻きで晩酌中のコピーライターkosakuです。
旬の記事を狙っての表題なのですが、この「土用の丑の日」という言葉が江戸時代中期の発明家・平賀源内によるものだったという話は聞いたことがある人も多いのではないでしょうか?
夏場に売れ行きが伸びない鰻(夏の鰻は食欲が細く痩せて美味しくなかった)に困り果てていた鰻屋が、アイデアマンと評判だった源内に相談したところ出てきたのがこのコンセプトでした。
「土用の丑の日には“う”のつく食べ物を食べると縁起がよい」
鰻屋はなるほど!と膝を打ち「本日土用の丑の日」というチラシを店先に貼り出しました。すると夏の鰻は大ヒット!面白いほど売れに売れ、このブームは江戸中に広まることに。やがては夏の風物詩として現代に受け継がれていったという話です。
ちなみにこの「土用の丑の日」というフレーズは、日本で最初に生まれたキャッチコピーとも言われています。
しかし、ここでひとつの疑問が沸いてきます。源内は夏場の不味い鰻を売りに売って、罪悪感は無かったのでしょうか?
改めて、平賀源内ってどんな人だった?
当然ですが、私は平賀源内に会ったことがありません。なので生成AIに源内がどんな人だったか聞いてみました。
なるほど、うん。
これは「罪悪感まったく無し」ですね。
恐らく平賀源内は、西洋の資本主義的な考え方もいち早く自分の中に取り込んでいたのではないでしょうか? 要するに「売れなければ価値がない」という考え方です。源内は夏の売れない鰻を自らのアイデアで価値あるものにしたことに、達成感や満足感はあれど罪悪感など微塵も抱いていなかったことが想像できます。夏の哀れな売れない鰻を多くの人にとって価値あるものにしたのですから。
ちなみに夏の鰻が美味しくなかったのは「天然物」しか無かった過去の話。養殖技術が発達した現代では、夏も美味しい鰻が食べられるそうです。
平賀源内が「夏の鰻は不味いので、他のモノを売りましょう!」と鰻屋にアドバイスしていたら、いま私が食べている美味しい鰻も無かったでしょう。だからこの鰻に舌鼓を打てるのも、罪悪感なく不味い鰻をおすすめできた源内のおかげかなぁと思うのです。
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