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小説『天使さまと呼ばないで』 第35話

タエコのカウンセリングを終えて、ミカは一通りの家事を済ませ、一人で夕食をとっていた。

そこに、いつもより早くコウタが帰ってきた。

「ただいまー」

「あ、おかえり」

少し前までは帰宅が遅いことにイライラしていたのに、今のミカはコウタの帰宅が少しでも遅くなることを望んでいた。しかし、そんな時に限ってコウタは早く帰ってくる。

コウタの食事をいそいそと用意していると、一番聞きたく無かったあのセリフが出てきた。

「ミカ、USO銀行の通帳見つかった?」

「・・あぁ!ごっめーん忘れてた!また探しておくね!」

嘘だ。本当は四六時中そのことを考えている。

「あー、僕が探そうか?」

そう言いながら、コウタが戸棚の引き出しを開けている。

「いいよいいよ!仕事で疲れてるでしょ!」

「あれ・・ないな・・・」

普段通帳類をしまっている引き出しを探りながら、コウタが言う。ミカは夕食の準備をやめて、コウタに近づいた。

「明日にでも探しておくから!あ、私がコウタの代わりにATMにも行くわ!」

「いやいや、USO銀行のATMってこのあたりにないだろう?会社の最寄駅にあるから、そこで入れてくるよ」

「いやいや、いいっていいって!ただでさえ仕事で疲れてるのに寄り道させるの申し訳ないし、私がかわりに行くよ!」

「でも、交通費まで払ってATMに行くなんて馬鹿みたいじゃないか」

良いってば!私がやるから!!!

ミカの頑なな様子に、コウタは何かすごく嫌な予感がした。

「ミカ・・・まさか・・・」

一体、何を言うつもりだろう。

心臓の音って、こんなに大きかっただろうか?鼓動がうるさくてコウタの声が小さく感じた。

まさかとは思うけど・・・勝手にお金を使ったりしてないよな・・・?

「えっ!?」

「疑いたくはないけど、ホラ、この間のリボの件もあったから・・・」

何と答えればいいだろう。『使ってない』と言ったところで、通帳を見られればバレてしまう。それは自分がお金を戻した後でも同じだ。

第一、こうしてすぐに否定できない時点で、罪を認めたも同然だった。

「・・・・・ごめんなさい」

ミカは力無くそう答えた。

「通帳とカードを、出してくれ」

いつもより一際低い声でコウタは言った。

ミカは自分の部屋へ行き、クローゼットの中からあの天使の空き缶を持ってきた。

そしてその缶から、通帳とカードを取り出した。中に万札の束がびっちりと入っているのが見えて、コウタはゾッとした。

「あのね・・・本当に、悪いんだけど」

ミカは唾を飲み込みながらゆっくりと喋る。

「その、どうしても、欲しいものがあって・・・あの、口座から、一度お金を借りちゃったの・・・」

実際には"借りた"のではなく"勝手に使った"のだが。

コウタはしばらく黙っていた。

時が止まったように感じる。

「・・・何を買ったんだ?」

ミカは自分の首元のネックレスを指差して答えた。

「このネックレスと、あと靴とか・・・」

「・・・いくら使った?」

ミカはただ、うつむいて黙っていた。自分のした事の重大さが、今頃になって身体全体にのしかかっているような気がした。

コウタはため息をつきながら通帳を開き、自分で額を確認することにした。

「20・・・」

最初は、20万円に見えた。しかし、残高の欄が「0」になっている。真っ青になりながら桁をよく数えてみると・・・

それは、『200万円』だった。


「どういうことだよ!おい!!!200万って!!!!」

「返せるから!ちゃんと返すつもりだったから!!!」

半泣きになりながら、ミカは空き缶の中の札束を取り出した。

「ここに、150万円あるの!あと少しで返せるところだったの!」

「返すとか、返せないとかじゃ無いんだよ!勝手に使うことがおかしいんだ!!!だいたい何でそんなモノ買ったんだ!」

「だって・・・だってぇ・・・

コウタがあんなにダサいネックレス買うから!あんなの全然欲しくなかったのにぃぃぃ!!!

だから本当に欲しいやつを買ったの!!!ちゃんとしたやつを!!!」

ミカは、コウタを責めることで自分が被害者であるようにアピールし始めた。

しかし、そんな自分勝手な"泣き落とし"はコウタに通用するはずがない。むしろ一生懸命選んだ自分のプレゼントまで貶されて不愉快な気分にしかならなかった。

「そんなことは理由にはならないだろう!」

ミカはただうつむき、黙っている。

「だいたい、そのお金は何だ!?何故ここにしまってあるんだ!?この間80万円を僕に返したばかりじゃないか!そんな大きな額、どうやって稼いだんだ!?」

「これはその・・・パートと、ハンカチ作りで稼いだお金で・・・」

本当に?

コウタはじっとミカの目を見る。ミカは怖くなった。パートを辞めていることを、もしかしたらコウタは知っているのだろうか。

何と答えればいいかわからず黙っていると、コウタはダイニングの椅子に座った。

「とりあえず、座って」

コウタの言葉通り、ミカはコウタの向かいに座る。

コウタはポケットからスマホを取り出し、操作しだした。

「・・・これ」

差し出された画面には、自分がお茶会でみんなと談笑している様子が映っていた。

ミカは目を見開き、視線をスマホからコウタに移した。

「この日、ミカはパートだって言ってたよな?

・・悪いけど、後をつけさせてもらった。何時までいたか手帳にメモも取ってある。

何で嘘をついたんだ?」

「それは・・・その・・・パートを休んでお茶しに行くとは、言いづらかったから・・・」

モゴモゴと答えると、コウタはため息をつきながら、スマホを見た。

「この時、この場にいる人たちからお金も受け取っていたけど、一体何の繋がりで、どういう関係なんだ?」

ミカはもう、頭に何も浮かばなかった。

「・・・パートは辞めてないんだよな?」

コウタが再度確認する。ミカはただ、黙っている。

「パート先に電話してもらっていいか?いや、僕が代わりに電話するよ。『次のシフトはいつですか』って」

やめて!

ミカは咄嗟に叫んだ。

もうダメだ。全て終わりだ。ミカは観念した。


「じつは・・・パートは8月いっぱいで、やめてたの・・・その、パート先の人間関係が良くなくて・・・おばさんに嫌味とか言われちゃったりして・・・

心配かけたくなくて、言えなかったの。ゴメンナサイ」

ミカは指をぐるぐると回しながら、うつむいてそう答えた。

「それはまだいいんだ・・・まぁ勝手に辞めるのも問題だけど、200万円使うよりずっとマシだ。

今知りたいのは、ミカが持っているそのお金はどこから来たのかだ。ミカはハンカチを売ったって言うけど、悪いけどハンカチを売るだけで2ヶ月で150万円も稼げるとは信じられない。

この写真の時に、ミカは同席してる人たちからお金を受け取っていたけれど、もしかしてそれが収入源なのか?

だったらこれは何の集まりで、何でこの人たちはミカにお金を払っていたんだ?」


ミカは頭の中で、どうすればより自分が善人に見える言い訳ができるかを必死に考えた。

そしてとうとう、口を開いた。

「実はね・・・驚かないで欲しいんだけど、私、小さい頃から、"天使"が見えるの」

「はぁ?」

「ほらやっぱり!やっぱりそういう反応するじゃない!だから言いたく無かったのよ!」

ミカはさも自分が被害者側かの様に振る舞った。コウタは黙ることにした。

「コウタは、理系だし非科学的なものは信じないと思うけど・・・要は、霊感みたいなものがあるのよ。

それで・・・・その力を使って、悩み事の相談とかにのってたの。ホラ、占いとか、心理カウンセリングとか、そういう感じ!ハンカチはそのオマケとして渡してたの」

「・・・」

俄かには信じ難いが、コウタはただ黙っていた。

「コウタは、そういうの嫌いかなって・・・信じてくれないかなって思って黙ってたの・・・

それで、この写真の時は、クライアントさんとの親睦会みたいな感じで、お茶をしたの」

「親睦会なのに、何故みんなミカにお金を渡すんだ?」

「それはその・・・みんな私目当てに来てると言うか・・・うーん、ファンの集いみたいな感じだから!そう、この人たちは私のファンなの!

アイドルの握手会だって、お金を払って行くじゃない?それと同じよ」

この平凡な主婦のミカとお茶をするために、お金を払う人間がいるとは驚きだ。

「天使が見えるとかは・・・ちょっと僕には信じられないけど、それはまあ置いておいて・・・要は占いとか、カウンセリングみたいなことをしてるんだな。

それで、その占いで、2ヶ月で150万円稼いだと」

「うん・・・」

「一体、いくら取ってるんだ?」

「えっと・・・それはその・・・1時間で5万円ぐらい。あ、でもこの間まで2万円で、最近値上げしたんだけど・・・」 

(スペシャルカウンセリングは10万円だけど・・・)とミカは心の中で言った。

「5万円・・・!?」

相場はわからないが、かなり高額に感じる。果たしてこれは"普通"なのだろうか・・・

「その・・・ちょっと情報が多すぎてついていけないんだけど・・・その占いみたいなやつは、どこでやってるんだ?」

「えっと・・近くのカフェとかでやるの。だから、店舗とかじゃないよ。もちろん、うちの家にお客さんを入れたことも無いし!」

そう言うことで、ミカはとにかくコウタを安心させようとした。しかしこれが墓穴だった。

「じゃあどうやってお客さんを呼び込むんだ?」

「あ・・・それは、ブログとかSNSで・・・」

マズい、とミカは思った。しかしもう遅い。

「そのブログとやらを、見せてくれ」

コウタはミカにスマホを差し出した。

仕方なく、ミカはコウタのスマホで

『ミカ 天使 カウンセリング』と検索した。

すると、ミカのブログがトップに出てきた。

「これ・・・」

ミカはコウタにスマホを返した。コウタはしばらく黙ってそのブログを読んでいた。

ブログの中では、実物よりも数倍綺麗なミカが、いかに自分が『豊か』であるかや『愛されてる』かをアピールし、たくさんのブランド品を自慢していた。

それだけならまだ良い。しかしブログの中でコウタが一番気がかりだったのは、『天使の力さえあれば幸せになる』『天使のおかげで夢が叶う』と断言されていた事だ。

「これは・・・霊感商法じゃないか」

ミカにとってその言葉は心外だった。霊感商法というのは、ダサい服を着た怪しい新興宗教のおばさんが、高価な壺を売りつけるようなイメージだったからだ。

「ちょっと、そんなんじゃないわよ〜」

笑いながら否定するが、コウタの目は真剣だ。

「じゃあこの『幸せになれる』っていうのは、再現性は取れてるのか?」

「さいげんせい・・?」

「実際にカウンセリングを受けた人の何%が、夢を叶えたり、年収が上がったり、結婚できたりしたのかのデータは取ってあるのか?」

「それは無いけど・・・」

「ミカのカウンセリングを受けて、不幸になった人は1人もいないのか?皆全員、必ず、幸せになってるのか?」

ミカの頭には、流産したユウコや、就職活動がうまくいっていないエリの顔が浮かんできた。

ミカはただ、黙るしかなかった。

「どうなんだ?」

コウタが畳み掛けて質問した。

ミカはとにかく弁解しようとした。コウタと、それと自分自身に。

「・・・ホラ、『幸せになれる』っていうのは、言葉のアヤみたいなもんよ。

宣伝する時に少しでも良いことを言うのは、商売として当たり前のことでしょう?

「でも・・・」コウタの口から、すぐに否定の言葉が飛び出した。

「でも、このブログの文章だと、読んだ人は『絶対に幸せになる』と信じてカウンセリングに申し込むわけだろ?そのために5万円も支払うんだろ?それで『言葉の綾』で済ませるのは・・・なんか、不誠実だと思う。

物を売る時・・・例えばエアコンだったら『快適な温度になる』『従来より省エネで動く』という効果がちゃんとある。それは宣伝で謳っていることと変わらないだろう?

美容院なら、『美しくなる』っていう曖昧な謳い文句を使っているかもしれないけど・・・ちゃんとした『髪型で印象を変える』という目に見えたサービスがあるじゃないか。

でも、ミカのカウンセリングはどうだ?

実際にしているサービスは『話を聞く』ことであって、『幸せにする』ではないんじゃないか?

だったら、きちんと事実を書かないと。ミカが提供してるのは、『話を聞くこと』とか『アドバイス』であって、『幸せになる方法』じゃないんだよ」


コウタの言葉が、胸にグサグサと突き刺さる。要は自分のやっていることは、誇大広告であり、もっと嫌な言い方をすると詐欺であるということをコウタは言いたいらしかった。


「でも、それだったら・・・それだったら、お客さんが来ないじゃない!」


嘘をついてお金を稼ぐぐらいなら、正直で稼げない方がマシだ!嘘をついて手に入れたお金に、どれだけの価値があるというんだ?

それはただ、自分の尊厳とか信用という、本来ならお金にできない価値を、安く買い叩かれているだけじゃないか!

コウタの言葉が、ガンと頭に鳴り響いた。

自分のやっていたことは、間違いだったのだろうか・・・?

素晴らしく崇高だと思っていたこの仕事は、自分の価値をただ貶めるだけの仕事だったのだろうか・・・?


「僕は占いやカウンセリング自体は否定しないけれど、ミカのやっている手法で続けるのなら、到底、認めることができない。

こんな商売を続けるなら・・・別れてくれ、ミカ

「えっ・・・」

「こんな商売を続けるのなら、僕と今すぐ離婚してくれ。その代わり、使った200万円はもう返さなくて良い。

僕との生活を望むのなら、この商売をすぐに辞めることだ。そして、真っ当な仕事で稼いだお金で、200万円を返して欲しい」


頭の中が真っ白になって、思考が働かない。

自分も周りの世界も、時間が止まってしまったように感じる。

喉がカラカラになった。


「ごめん、考えさせて・・・」

ミカは掠れた声でそう呟いた。


「わかった。・・・用意してもらったのに悪いけど、僕は今日は外で食べてくるよ。ちょっと家で食べる気にはなれないから」


そう言って、コウタは上着を着て家を出て行った。


家の中はいつもよりしんとして暗く、空気が重く感じた。

ミカはダイニングチェアにへたりこむように座り、テーブルに肘をつきながら、ただぼんやりと虚空を見つめていた。



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第36話につづく


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