小説『天使さまと呼ばないで』 第48話
あれからどうやって家に帰ったのか、よく覚えていない。
起きると、家のベッドにいた。
ちゃんと化粧も落として部屋着を着ているが、昨日風呂に入ったり着替えたりした記憶がまるでない。
ミカは、枕元に置いていたスマホを恐る恐る手に取る。
Factbookもブログも、1万人近くいたフォロワーは、いつの間にか2000人ほどになっていた。
Factbookだけでなくブログのさまざまな記事のコメント欄にまで、ミカの自作自演騒動のリンクが貼られていたので、それを見てフォローを辞めた人もいたようだ。
あれからまた1人、スクールのキャンセルがきていた。だがもうミカは、認定講師養成スクールをやる気にはなれなかった。
カウンセリングもお茶会もセミナーもやる気が出ない。とは言っても8割方の予約はキャンセルになってしまったが。
あれからずっと、ショウに言われた言葉が頭の中をぐわんぐわんと駆け巡って、とてもじゃないが天使の声を聞くふりなんてできそうもなかったのだ。
個別に返信するのもめんどくさいので、ミカはひとまず、Factbookとブログを更新することにした。
以前、批判的なブログを見てショックを受けた時に、信者を試そうと「辞める辞める詐欺」をしたことはあったが、今度は本気だ。メンタルがやられ過ぎると、絵文字を使う気力すら湧かないことをミカは初めて知った。
この内容に、何人かのミカの熱心なファンが優しいコメントを寄せてくれた。
しかし、このミカのあまりに無責任で一方的な連絡の仕方に、とうとう愛想を尽かした信者も少なくはなかった。
そして今もミカのフォロワーは一人、また一人と減り続けている。
カウンセラーとしての活動はできないが、金は稼がねばならない。
家賃も食費もかかるし、何より300万円の借金がある。
しかし、今は何をする気にもなれない。
幸い、家には買い置きしているカップ麺やインスタント食品が山ほどあるし、口座には数万円は残っているから、1ヶ月ぐらいは食べるのに困らないはずだ。
少し元気になったら、ひとまずローンの月々の返済額を減らそう。それから、とりあえずモルカリで売れるものは全て売ろう、それまではただずっと眠っていよう・・・
ミカはまた、ベッドに横になった。
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それからミカは、ただ寝て起きて食べるだけの暮らしをした。
たまにテレビをつけては、ぼんやりと眺める。でも内容はちっとも頭に入ってこない。
怖くて最近はFactbookもブログもアプリを起動することすらない。今、フォロワーは何人ぐらいなのだろう。0人かもしれないと思うと怖くて仕方がない。自分が誰にも必要とされていないことを直視するのは辛すぎる。
普段は無表情で過ごしているが、たまに涙が出る。出始めるととまらなくなる。本当は誰かに話を聞いて受け止めて欲しいが、それができる"誰か"などどこにもいない。だからそんな時はただダンゴムシのように布団をかぶり、子供のように大声で泣いた。
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1週間ほど経って、ミカは徐々にモルカリに服飾品を出品するようになった。
あれだけ魅力的に思えたハイブランドの服やカバンも、もう身につける場所もなければ、自慢する人もいない。そう思うとただの布切れにしか見えなくなってしまった。
ミカは最初に購入したルウィ・ビートンの白いバッグとCHAMELの白いワンピース、ペリー・ウィルキンソンのネックレスだけは手元に置いておき、あとは全てモルカリに出品した。中々買い手がつかなさそうなものは質屋に売り捌いた。
購入した時は全部で2000万円以上したはずだが、モルカリや質屋ではわずかな金額にしかならなかった。
それでも100万円ほどにはなったので、これでしばらく生活はできそうだ。
ローンはそれまで、1年で完済するつもりで月々25万円の支払いに設定していたが、5年返済に変更し、毎月6万円ずつ返済することにした。
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それから、3ヶ月が経った。そろそろ貯金も尽きてきた。
(いい加減、働きに出ないとな・・・)
鉛のように重い身体をベッドから起こし、スマホで日払いのバイトを検索する。
高給な仕事となると、現場仕事やホステスの仕事しか出てこない。アラフォーに差し掛かろうとしている体力も衰えてきたミカにはどちらも難しそうだ。
接客業は、前のスーパーのパートがストレスフルだったことを考えるとやりたいと思えない。
他にこのあたりの地区で募集があるのは、事務や清掃の仕事だった。
(時給1000円かあ・・・)
セミナーを開けば一度に100万円以上稼げていたミカからすると、あまりに安すぎる。必死に一日働いても、1万円も稼げない。
(こんなの無理無理!)
ミカは検索していたスマホの画面を閉じ、ベッドに放り投げた。
(仕事のことは、お金がなくなってから考えよう・・・)
もう11時だが、まだ何も食べてない。
最近は節約も兼ねて少しずつ自炊を始めてはいるのだが、今日はなんだか作るのが億劫で、インスタント食品を保管している戸棚を見た。
(何もない・・・)
仕方なく、何か作ろうとしたものの、冷蔵庫にもほとんど食材が入っていなかった。
ミカは近くのスーパーに行くことにした。
昔買った、少し毛玉のついたウニクロの黒いセーターとスキニージーンズを履き、カーキ色のダウンジャケットを着て外に出る。
適当に安いカップラーメンやスパゲティ、おつとめ品の野菜や卵などを買い、家に戻ろうとした帰り道に、スターブックス・コーヒーの前に差し掛かかった。
(あ・・・今年の期間限定ドリンク、美味しそう)
店の前に置いてある看板には、ホリデーシーズン限定のストロベリー・ホワイトモカの絵が描いてあった。
カウンセラーとして活躍していた時は、スターブックス・コーヒーはよく来たものだ(そして来るたびにFactbookやブログにドリンクの写真を載せたものだ)。しかし、9月のあの炎上騒動以降は全く来ていなかった。
無職で無収入なうえに、貯金も底をつきそうなミカにとって、スターブックス・コーヒーのドリンクなど超がつくほどの贅沢品だった。
(たまにはいいかな・・・でも)
食材を買い溜めたエコバッグを見る。長居すると食材が傷みそうで怖いが、今は12月で気温が低いし、少し休憩するぐらいなら大丈夫そうだ。
それにもうお腹がペコペコで、家に帰る前に少しでも何か甘い物を口にしたかった。
ミカは意を決して、店内に入った。
平日だからか、店内は空いている。ミカはあとで席を取ることにし、ひとまずレジに向かった。
「ご注文は何になさいますか?」
「えーと、この期間限定のストロベリー・ホワイトモカのSサイズと、シナモンスコーンをください」
「かしこまりました。880円でございます」
「はい・・・ちょっと待ってくださいね」
そう言いながら財布の小銭入れの中の硬貨を数えると、100円足りない。
慌ててお札を出そうとしたが、中は空だった。
(やば・・・スーパーで使ったんだった)
お金をおろしに行こうにも、このあたりにATMは無い。
クレジットカードも、これ以上借金が増えるのが怖くて最近は持ち歩いていなかった。
(どうしよう・・・)
冷や汗が出てきた。
普通なら『すみません、お金が足りないのでキャンセルします』と言えばいいだけの話だが、リアルにお金が無い状況のミカにとって、それを正直に言うことは憚られた。
(880円も用意できない貧乏人なんてバレたら、恥ずかしすぎる・・・)
しかし、どうすればいいだろう、固まっているミカを、怪訝そうな顔で店員が見る。
すると、後ろの方から声がした。
「・・・これ、落としましたよ」
ミカが振り返ると、そこには意外な人物がいた。
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第49話につづく