![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/39314378/rectangle_large_type_2_b02afadeb38dc8923fdc5ea79f5e0fae.jpeg?width=1200)
小説『天使さまと呼ばないで』 第6話
コウタからの思わぬ(そしてあまり嬉しく無い)プレゼントをもらった日から一週間経った。
今日は、ユカのカウンセリングの日だ。
スピリチュアル会が行われた自然派カフェ『The SOURCE』で、今ミカはまさにユカのカウンセリングを行うところである。
ミカはユカに尋ねた。
「ユカさんは、一体どんな理由で、天使のハンカチが必要だと思ったの?」
『何が悩みですか』とは聞かないことにした。そんな直接的な聞き方をしたら、"天使の力で悩みを読み解く"というコンセプトに合わない・・正直に言うと、自分に不思議な力などないと失望されてしまう気がしたからだ。
「実は、私まだ独身で・・」
「うんうん」
ミカは優しく微笑みながらうなずく。
「もう31歳ですし、そろそろ結婚したいなとも思うんですけど、なかなか出会いがなくて・・」
「なるほど」
やっぱりそうか、とミカは思った。2,30代の独身女性が"天使"に頼ることなど、恋愛や結婚についてがほとんどだろう。
「本当は、20代の時に3年間付き合った彼氏がいたんです。私は結婚するつもりだったんですけど、29歳の時に振られてしまって・・元々付き合ってる時から浮気性な人ではあったんですが、私がちゃんと彼に愛を注げば、いつか治るだろうって信じてたんです。
でも・・彼、私を振った後にすぐ私よりずっと若い子と結婚して」
「えーっ、それ最低ですね」
思わず、友人の愚痴を聞くテンションになる。ちょっと天使っぽくなかっただろうか。
しかしユカは、ミカに共感してもらえたことでかえって安心した様子だった。彼女は「自己責任です」と言われることを恐れていたのだ。
「・・たぶん、付き合ってる時から二股をかけられてたんだと思います。
私って男運無いんですよね。昔から付き合う人は浮気症だったり、お金にルーズだったり・・」
ユカの口調から、男性に対する底知れぬ不信感や諦めのような意識を感じる。ミカは少し、ピンとくるものがあった。
ユカは続ける。
「・・もう男の人はこりごりって気持ちもあるんですけど、でもこのまま一人で生きることも怖くて・・でもまた裏切られるのも嫌だし・・・」
「うーん・・・ユカさん、なんだか話していると、『どうせ男なんて・・・』って思ってるような印象を受けるんですけど、
そう思うようになった根本的な原因って、なんだと思いますか?」
「・・・うーん、17歳の時の初めての彼氏に二股かけられたことかなぁ」
あまり実感が湧いていない様子のユカを見て、ミカはこう思った。
(もっと根本的なところに原因があるんじゃないかしら)
「そうじゃなくて、もっと根本的な・・たとえば一番身近な男性である"お父さん"に不信感があるとか」
「えっ・・」
ユカが目を見開いてこちらを見てくる。
「どうしてわかったんですか!?
実は・・私の父は、私が小学生の時に不倫して家を出て行ったんです・・」
ユカがうつむく。
ミカは優しく、ゆっくりと話しかけた。
「やっぱり・・・。なんだかユカさんには、男の人に対して『どうせ裏切るだろう』『どうせ愛してくれないだろう』という強い不信感・・というか偏見がある気がしたんです。
だから、無意識のうちにその偏見を裏付けできるような、ダメな相手を選んでしまうんじゃ無いかなって。
だって、信じてた相手に裏切られたら辛いけど、『どうせ裏切るだろう』って思いながら裏切りそうな相手と付き合えば、裏切られた時にそこまでショックにならずに済むじゃないですか」
「・・・なるほど!!!」
「だから、ユカさんが本当に幸せな結婚を望むのなら、まずは『男の人はどうせ裏切る』という意識をなくすことが必要なんじゃないかな・・って思います。
その意識がある限り、裏切りそうな相手を選んでしまうんじゃないでしょうか」
「ミカさん、すごいです!おっしゃる通りです!
私、昔は父のこと『子供を捨てて不倫相手の方に行くってことは、私がダメな子供だからなのかな』とか、
『私や母よりも浮気相手の方が愛されてたからなのかな』とか、思ってしまって辛かったんです・・
だから、その辛さから逃れるために、いつしか『男はみんな裏切るものなんだ』って思うようになってました・・」
ミカは大きくうんうんと頷いた。
「その気持ち、わかりますよ。『男の人はそういう生き物なんだ』ってレッテルを貼ることで、
『自分が愛される価値が無い人間なのかもしれない』という恐怖から、自分の心を守りたかったんですよね。
それに、そう思えば、お父さんのことも『男だから裏切っても仕方がなかったんだ』って、憎む気持ちを持たずに済みますもんね」
「そうです、そうなんです・・・私は優しい父のことが大好きでした。大好きだったからこそ、出て行ってしまったことが辛くて悲しくて。
でも、父のことを憎んじゃいけないって、そんな酷いことを思っちゃいけないって、ずっと思ってました」
「・・ユカさん、お父さんのこと、憎んだって良いんですよ。
こんなに素敵なユカさんを置いていくなんて、ひどいお父さんです。
どれだけ優しいお父さんだったとしても、裏切られて悲しかった気持ちを否定することはないんです。
お父さんにどれだけ醜い感情を抱いたとしても、ユカさんの価値は変わらないんですよ」
ユカを慰める言葉をかけているうちに、いつしかミカの口はひとりでに動いていた。そこにミカの意思は必要なかったのだ。
なぜなら、ミカはユカがどんな言葉を必要としているかを、本能的に理解していたからだ。
「ユカさん、あなたは愛されています。
たとえお父さんを憎む気持ちがあったとしても、それでも良いんです。
だから大丈夫ですよ。
あなたは、ありのままで、愛されるんですよ」
その言葉は、ミカが幼い時にかけて欲しかった言葉そのものだった。
-----------------
ミカの母の口癖はこうだった。
「私の家系は元を辿れば有名な地主だったのよ。大金持ちだったの。
それがおじいちゃんが事業に失敗したせいで貧しくなって、お母さんは小学生の時から大変な思いをしたの。
おじいちゃんの事業が成功していれば、私はもっと大金持ちの人と見合い結婚でもさせてもらえたでしょうね」
ミカは事あるごとに、母からこの話を聞かされることにうんざりしていた。
「もっと大金持ちの人と結婚できていただろう」と言われると、ミカは『お父さんなんかと結婚しなければよかった』と言われている気がした。それはつまり『お前なんて産まなくてもよかった』という意味だと思えてしかたなかったのだ。
その言葉でどれだけミカが傷ついているのかを、ミカの母は全く理解していなかった。
父も父で、仕事が忙しく家庭には無関心な、ミカにとっては存在感のない人だった。
また、ミカの母は何につけても自分の感覚を基準に判断するので、繊細なミカの気持ちに真摯に向き合ってくれなかった。
ミカが「このおかずが嫌い」と言えば、「お母さんが小さい頃よりずっと恵まれてるんだから、そんなことを言ってはダメ!」と言う。
「膝を擦りむいて痛い」と言えば「こけた自分が悪いんだから、痛いなんて言わないの!」と叱る
「好きなテレビが終わって悲しい」と泣けば「そんなしょうもないことで泣くなんて」と嗤う。
「テストで80点を取れた!」と喜べば「ふぅん」と興味無さそうに言う。『だからその程度で満足してはダメ』という無言の圧をかけながら。
こうしてミカの母親は、ことあるごとにミカの感覚を無意識に否定していたので、
ミカはどんな時に自分が美味しいと感じ、嬉しいと感じ、楽しいと感じるのか、すっかりわからなくなってしまった。
そのかわり、母や世間からミカが教わったのは、「どのような物を手に入れれば幸せそうに見えるか」ということだった。
すなわち、そこそこの学校を出て、ちゃんとしたオフィスで働き、年頃になればそれなりの相手と結婚をし、子供を産む人生・・
いつのまにか、そうしたものが、幸せで価値ある人生なのだとミカは思い込むようになっていた。
ミカの母が世間一般で言う『毒親』と呼べるかといえば、難しいところである。
母はミカを飢えさせたり、寒さに凍えたりしないようきちんと養育していた。誕生日にはちゃんとおもちゃとホールケーキを用意してくれたし、時々は遊園地にだって連れて行ってくれたのだ。それに何より、ミカを大学までちゃんと進学させてくれたのだ。
世間的には、ミカの母親は『良い親』であった。
だからミカは、自分がどれだけ自分の存在や感覚・・もっと言えば尊厳を、母に否定されているかに気がつかないまま大人になってしまった。
ミカは、もっと愛されたかったのだ。
それはベタベタと甘やかすこと・・お菓子をくれたり遊園地に連れて行ってもらったりすることだけではなく、
自分の感情を、つまり心そのものを、どんな時にも認めてほしかったのだ。
悲しい時に悲しいと感じ、嬉しい時に嬉しいと感じること・・
自分のありのままの心を、どんな状態であっても存在していいものだと、認めてほしかったのだ。
-----------------
ミカは20代まで、大変な生きづらさを抱えていた。
しかし、20代中頃になって自己啓発本を読んで、それは自分の自己肯定感が低いのが原因であるということに気づくようになった。
そこでまず辞めたことは、自分で自分を貶したり、卑下することだった。
そうすると随分と楽になったので、それまでの自分が抱えていたモヤモヤとした感情は、全て自分が自分を卑下していたせいなのだと思っていた。
しかし、ミカはまだ気がついていなかったのだ。
自分の生きづらさの原因が、幼い頃に自分の感情や存在を認めてもらえなかったことにもあるということを。
そうして今の彼女にもなお、「ありのままの自分を認めて欲しい」「ありのままの感情を受け入れて欲しい」という、過去に消化しきれなかった欲求が存在していることを。
ユカに「ありのままで愛されるんですよ」と優しく語りかけた時、
ミカは自分自身の心に、そう語りかけているような感覚を覚えた。
知らぬ間にカラカラに渇いていたミカの心が、「ありのままで愛されるんですよ」という自分の言葉を聞くことで、瑞々しく潤った気がした。
ミカはユカを癒そうとしたのではない、ユカにかける言葉を通して自分自身を癒そうとしていたのだ。
ミカの言葉を聞いて、ユカが涙を流す。
それを見て、ミカの目からも涙が落ちた。
ユカは思った。
(ミカさんって、なんて優しくて愛に溢れた人なんだろう・・私のために泣いてくれるなんて。
きっと心の底から他人のために尽くしたいと思ってるお方なのね。
なんて素晴らしい方なのかしら。
まるで、本物の天使みたい)
しかし、ミカが泣いているのはユカを想ってでは無かった。
ミカは、ミカ自身の心が癒されたことで泣いていたのだ。
しかし、ミカ自身も、そのことには気がついていない。
ミカはこう思ったのだ。
(ユカさんの話を聞いて涙が出てくるなんて・・
私は、ユカさんの役に立てたことに本当に心から感動しているのね。
私って、なんて善い人間なのかしら。
やっぱり、私にはカウンセリングが向いているのかもしれない。
だって、私、こうして人の役に立てることを
心の底から嬉しいと思っているんだから。
これからも、たくさんの人を救ってあげなくてはね)
ひとしきり泣いた後、ユカは言った。
「ありがとうございます、ミカさん・・。
なんだか、自分の抱えていたモヤモヤの、根本的な原因が分かった気がします。
本当にエリさんの言った通り、ミカさんには不思議な力・・天使さまの力があるんだと思います!
これからは、『どうせ男の人なんて・・』って意識を無くせるよう、頑張ります!本当にありがとうございます!」
「ううん・・お力になれたなら何より。あ、そうだ」
ミカは紙袋からラッピングしておいたユカのための刺繍入りハンカチを取り出し、こう言いながら渡した。
「これ、天使のハンカチ。『ユカさんが幸せになりますように』って、祈りながら縫ったの。
だから、きっと大丈夫よ!」
絶対に幸せになる保証など何も無く、ほとんどハッタリだが、それで良い気がした。
要は、ユカがこのハンカチを持つことで、『自分は幸せな結婚ができる』と信じられることが大事なのだ。
ハンカチを手に取ったユカは、ラッピングのセロファン越しにまじまじと見つめ、目を輝かせた。
「うわぁ!ありがとうございます!本当に素敵〜〜!
しかも星模様なんですね♪私、星が好きなんで嬉しいです!」
「うふふ。喜んでもらえて良かったー」
「私もミカさんみたいに素敵な旦那さまと結婚したいです〜!ミカさんって旦那さまとラブラブですもんねぇ。あ、そのネックレスも旦那さまのプレゼントですよね!」
そう、ユカはFactbookのミカの投稿を見ていたのだ。
ミカはコウタからのプレゼントのネックレスを1ミリも気に入っていなかったが、『天使』がモチーフだったので、この場にふさわしいと思い、つけて来ていた。
ミカは答えた。
「うふふ〜でもこれ、安物なのよ〜!
まあ、誕生日でも結婚記念日でも無い日だったから仕方がないんだけど」
そう答えることで、謙遜しつつ自分のプライドも保つ。
『安物』と言うことで謙遜はするものの、『でも大事なイベントの時にこんな安物を贈られるほど粗末にはされてないわよ』というアピールだ。
「いいなぁ〜!私もいつかそんな人と出会いたいなー!」
「大丈夫よ、ユカさんなら!」
ミカは茶目っ気たっぷりに言った。
コウタからのプレゼントをもらった日、久々に性交渉ができた。
それもあって、ミカの心には余裕があったのだ。
(私は夫から愛されて、人を救うことができて、人の幸せを願える、素晴らしい人間である)
ミカの中にはそんなセルフイメージが出来上がりつつあった。
こうして、ミカの初めてのカウンセリングは無事成功した。
その日の夜、Factbookを開くと、ユカが写真を投稿していた。
そこには、今日渡したあのハンカチが映っていた。
噂の天使の力を持つミカさんのカウンセリング☆
やっぱりすごかった!めっちゃ感動〜〜!
もらったハンカチも超可愛い!!本当おすすめです♡
そこにいいねが20件もついていて、コメントも何件かついていた。
うらやましい!
私も受けたいな!どうすれば受けられるの?
ハンカチ可愛い〜♡私も欲しい〜♡
ミカはそっと、ほくそ笑んだ。
-----------------
第7話につづく