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小説『天使さまと呼ばないで』 第54話
ミカは今までコウタの会社の最寄駅は知っていたものの、会社まで来たことはなかった。
けれども電車に乗っている間、スマホで最寄駅と社名を検索すると、場所はすぐにわかった。
駅から少し離れた場所にあるコウタの会社に、ミカが到着したのは18時過ぎだった。
コウタが勤めている会社は大手メーカーのA県支社で、研究施設があるため社屋は広く、門の前には警備員がいた。
ミカは警備員に怪しまれないよう、門の近くで待ち合わせのふりをして立つ。
カバンから鏡を取り出す。こんなことになると思ってなかったので、今日の化粧は適当だし、服装もいつもと変わらないスキニージーンズに、白いVネックのニットだ。
もっと綺麗にして来ればよかったと少し後悔するが、だが等身大の自分でいられるこの格好で良かったような気もする。
ふと、鏡から顔を上げて門の方を見ると、見覚えのある顔が見えた。
コウタだ。
「コウタ!」
思わず声をあげる。涙が出そうだ。
コウタはをびっくりした顔でこっちを見て、近づいた。
「ミカ・・・」
2年ぶりにその優しい声を聞いた途端、懐かしさがこみ上げた。
「どうしたんだ、こんなところで」
「あー、ごめんちょっと近くを通りかかったもんだから、なんか久しぶりにコウタの顔が見たくなっちゃって。もしかしたら会えるかもって思って、来てみたの」
未練があると思われるのが恥ずかしくて、咄嗟に嘘をついた。
「別に良いけど、連絡してくれればよかったのに。ずっと待ってたのか?」
コウタのその反応に、着信拒否をされてないことを知り安堵する。
「ううん、本当に今来たところなんだ。すごい偶然だよね」
これは本当だ。
「コウタ・・・少し話したいんだけど、いい?」
そうミカが聞くと、コウタは時計を見てから言った。
「近くに公園があるから、そこで少しなら大丈夫だよ」
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その公園は、中央右手に大きな桜の木が1本だけあって、奥の方に滑り台と砂場だけがある、小さなものだった。
ミカとコウタは桜の木の少し横にあるベンチに座った。見上げると、桜の枝越しに薄暗くなっていく空が見えた。
今年は暖かくなるのが早かったからだろうか。桜はもう満開が近く、時折花びらが舞い落ちていた。
「あ、ちょっと待ってて」
コウタは座るなりそう言って、荷物を置いたまま立ち上がり、すぐそばにある自販機で飲み物を2つ買った。
コウタは自分用のホットコーヒーを持ちながら、ホットの紅茶をミカに渡した。
自分が本当はコーヒーより紅茶派なのをコウタが覚えていてくれたことを、ミカは嬉しく思った。
「最近、元気にしてた?」
コウタは座りながらそう尋ねた。
「うん、元気。コウタは?」
「元気だよ。今はうちの会社も『働き方改革だー』って言って、残業が減ってさ。だから今日もこの時間に帰れた」
「そっか〜、良かったね。3年前とか毎日帰り遅かったもんね」
そう言いながら、別れてから2年以上の月日が経っていることを思い出す。なんだかとても長いようで、短かった。
「・・・ミカは、今もあの、カウンセラーの仕事、続けてるのか?」
コウタが恐る恐る尋ねてきた。
「あー、それなんだけど・・・実は半年前から、もうやってないんだ」
ブログとSNSを消していない以上、『辞めた』と言うと嘘になる気がして、ミカは『やってない』と表現した。
コウタは驚いた顔をして言った。
「えっ?」
「・・・あのね、コウタが言ってたこと、私ようやくわかった。
実は去年、私"ネット炎上"ってやつしちゃってさ。めちゃめちゃ色んな人から仕事のこと叩かれて馬鹿にされて・・・しかも頼ってたコンサルタントまで詐欺でさ!もー散々な目にあって。
でもそこでやっと、自分のしてたことが普通の人から見て『真っ当じゃない』ってわかったんだ。それに、信じてた人に裏切られる辛さが初めてわかった。
コウタはずっと前から教えてくれてたのに・・・本当にごめんなさい。
私、目先のお金とか賞賛に目が眩んで、人として本当に大切なことを見落としてた」
ミカは紅茶を一口飲む。ほのかに甘く、あたたかい。
「そっか・・・」
コウタは小さくそう言って口を閉じたが、その口角は少し上がっている気がした。
「それでね、今は何の仕事をしてると思う?」
「うーん、OL?」
コウタはミカの姿を見ながら言う。
こうして話していると、最初のデートを思い出す。
あの頃、コウタは明らかに女性慣れしてなくて緊張した様子で、ぎこちなく微妙な話題を出してはしばらく黙るを繰り返していた。
ミカはそんなコウタに、色々な話題を提供し、できるだけ沈黙が続かないよう心配りをしたものだ。
「ブッブー!今ね、私『掃除のおばちゃん』やってるの!」
そう言ってミカは笑った。
「昔の私を考えたら信じられないでしょ?あんなにプライドが高くて嫌な女だった私が!」
「確かに・・・ちょっと想像できないかも」
「でもね、掃除ってやってみたら結構楽しいし、奥が深いんだ!それに、一緒に働いてる先輩もすごく良い人で。
厳しいこと言われる時もあるけど、そのおかげで自分が"プライドが高くて嫌な女だった"って気づけた。
それに、今の勤務先がオフィスビルだから、仕事中って色んな会社の色んな人を見るんだけど、みんな見えないところですごく頑張ってたり、苦しんでたりすることもわかったんだ。
私今まで、自分ばかり頑張ってるとか、自分ばかり大変だとか思ってるところあったけど・・・全然何も見えてなかったなあって気づけた」
そう言って、ミカはコウタとの結婚生活を思い出す。
「・・・コウタのことも、結婚してる時は全然ちゃんと見えてなかった。ごめん」
ミカはそう言ってうつむいた。コウタはただ、黙ってミカを見つめていた。
「コウタと別れて、ネット炎上とか、コンサル詐欺とかあってから、初めてわかったの。
コウタが私のこと、本当に大切にしてくれてたこと。ちゃんと私のこと、愛してくれてたこと・・・」
あふれそうな涙を必死にこらえる。どうして自分は、もっと早く素直になれなかったんだろう。
「私、結婚してた時、不安だったの。コウタにちゃんと愛されてるか、自信が無かった。子供がいないと、歳をとると、いつか捨てられるんじゃないかっていつも怖かった。
だから早く子供を作らなきゃって焦ってた。そして自分と同じように焦ってくれないコウタに、何だかイライラしてた。
コウタはちゃんと、私のこと大事にしてくれてたのに。
なのに、コウタのちょっとした言動にいつも目くじら立てて、『私が寂しく感じるのはコウタのせいだ』『不快な気持ちにさせるコウタが悪い』って、自分のイヤな気持ちを全部コウタのせいにしてた。
それで、自分が不安やイライラするのも仕方ないって居直ってた・・・っていうか、そう思うことで逃げてた。自分に向き合うことから。素直になることから。
本当は、素直になるのが怖かっただけなのに」
コウタはただ、黙ってミカの話を聞いていた。
「私、ちゃんとコウタに自分の気持ちを素直に言えば良かった。『あなたに愛されたい』『ずっとそばにいたい』って。
でもそうしたら、自分の弱さがバレちゃう気がして、怖かった。弱いところを見せたら、馬鹿にされるんじゃないかとか、負けちゃうんじゃないかって、そう思ってた」
一体自分は、何に"負ける"と思ってたのだろう。愛に勝ち負けなんてあるはずもないのに。
目を潤ませながら話すミカを見て、コウタは優しく首を振った。
「ううん・・・僕も悪かった。ミカがどれだけ寂しい思いをしてるか、気づいてなかった。
あの時は確かに仕事が忙しくて、しかも慣れない土地に連れてきてしまって、ミカにはいっぱい辛い思いや寂しい思いをさせたと思う。
僕はもっと、ミカと話し合うべきだったんだ。そして、ミカの不安を理解するべきだった。寂しさを埋めるように努力するべきだった・・・ごめん」
「ううん・・・コウタのせいじゃないよ。私が悪かったの。私が勝手に殻に閉じこもってただけなのに、コウタに自分の姿をちゃんと見てもらえないことを嘆いてた。
殻に閉じこもってる限り、コウタに私の姿なんて見えるはずもないのに。
でもなんか、私のことを本当に愛してるならその殻を壊して、こじ開けて、助け出してくれるんじゃないかって、期待してたんだ。
でも今思うと、それって愛じゃなくて、ただの甘えだった。
まずは私が、勇気を出してその殻から出るべきだったんだ。そしたらきっと、コウタは私のことちゃんと見えるようになったと思う」
「ミカ・・・」
「結婚してた時に、コウタが言ってくれたことやしてくれたことは全部、私のことを思ってくれたからこそだったんだなって、やっと気が付いたの。
それなのに、結婚してた時はそれを疎ましく思って、コウタに酷いことばかり言って・・・本当にごめんなさい。
それから、ありがとう。
私なんかのそばにいてくれて、結婚してくれて、本当にありがとう」
そう言って思わず、ミカは頭を垂れた。
「ううん。こちらこそ。ミカとの結婚生活は、なんだかんだ楽しかったよ・・・最後の方はちょっとスリリングだったし」
そう言ってコウタはお茶目に微笑んだ。
ミカも思わず笑う。
コウタは言った。
「それにしても・・・今日会えたのは良かったよ」
「えっ?」
「実は4月から東京に転勤になってさ。
来週は、引き継ぎとか引っ越しとかでバタバタするから、多分会えなくなってたと思う」
「そう・・・なんだ」
急に身体中が冷えていく感覚がした。
(今日を逃すと、もう会えなくなるんだ・・・)
ミカは唾を飲み込んだ。
天使のネックレスを今日見つけたのは、本当に運命だったのかもしれない。
今この瞬間を逃すと、もう一生コウタと会えなくなるのかもしれない。
ミカはこれまでずっと閉じ込めてきた、自分の本当の願いを、殻から出て伝えなければいけない気がした。
素直になる、最後のチャンスな気がした。
ミカは恐る恐るつぶやいた。
「コウタ・・・」
これだけで、心臓から全ての血が搾り取られるような感覚になる。でも、伝えなくては。
ミカはコウタを見つめる。これ以上泣きたくないと思ってるのに、目がジンジンする。紅茶を飲んだばかりなのに、口の中は渇ききっているように感じた。
人生で経験したことのないほどの勇気を出して、ミカは自分の一番奥底に隠していた言葉を吐き出した。
「・・・私たち、やり直せないかなあ?」
ミカの目からは、一筋の涙が流れた。
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第55話につづく