小説『天使さまと呼ばないで』 第34話
コウタのボーナスが支給されてから、2日が経った。
昨日の朝、コウタは会社に行く前に
「ミカ、いつも貯金してるあの口座の通帳とカード、用意しておいて」
と言った。ミカは、いきなりの言葉にドキリとしながらも
「あの口座?」と、理解していないふりをした。
「ほら、子育て資金用の、USO銀行のやつ」
「ああ、そうね・・どこにしまったかしら?また探しておくわね」
と、適当にその場を流しておいた。
コウタも出勤する直前だったので、ミカの曖昧な返事を特に気にすることもなく、そのまま会社へと出かけていった。
とりあえず、あと1週間・・
あと1週間凌げば、何事もなかったようにまた200万円を口座へと戻そう。
そうすれば、何でもない元の穏やかな日常に戻れる。
ミカは心に固く誓った。
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その日は、新規のカウンセリングが入っていた。
今日の依頼主は、タエコという38歳の女性だ。
待ち合わせ場所のカフェ、The SOURCEに着くと、そこにはヨレヨレの色褪せた黒いトレーナーと、裾がほつれて糸だらけになったジーンズを履いた小太りの女性がいた。
黒い髪はボサボサで所々フケと白髪が目立つ。化粧もしていなければ眉も整えていない。目は生気がなく、低い鼻には毛穴が目立つ。
・・・どこからどうみても、『美しい』とは言えない容姿だった。
(うわぁ・・・)
ミカはげんなりした。女性だからと言って別にいつでも綺麗に化粧をする必要は無いが、ここまで容姿にテキトーな女性は軽蔑してしまう。
(こんな見た目で外を出て、恥ずかしく無いのかしら・・・)
席につく。ミカはとびっきりの営業スマイルを見せた。
「はじめまして、タエコさん。私が天使様と皆様をお繋げする役目をいただいてる、ミカです♪
いきなりで申し訳ないんですけど、まず初めにカウンセリング料の5万円をいただきますね」
「ぁ・・・はい。よろしくおねがいします・・・」
ヨレヨレの茶封筒をおどおどした様子で差し出しながら、蚊の鳴くような声でタエコが言う。
ミカは中身を確認して、また笑顔で言った。
「はい、確かに♪ありがとうございます!」
(よっしゃー!5万円ゲット!!!)
昨日もカウンセリングとオンラインカウンセリングが入って収入があったし、200万円まであと少し!!
心の中でガッツポーズを決めながら、涼しげな顔をしてミカは切り出した。
「今日はタエコさん、どうして天使さまの声を聞きたいと思ったのかしら?」
「あの・・・私・・・えっと・・・」
(・・早く喋れよ)
内心イライラしながらも、ミカは尋ねた。
「どうしたんですか、タエコさん」
「けけ・・・結婚したいんです」
「結婚、したいんですね」
オウム返しは『あなたのことを理解してますよ』とアピールするテクニックだ。
「はい・・・こんな私でも・・・できるでしょうか・・・」
まずはダイエットして化粧を覚えて、ヘアサロンで白髪染めと髪のケアをして、高くなくても良いから綺麗に見える服を着なさい、できたらハキハキと喋りなさい、じゃないとそんなこと言う資格もないわよ、とミカは言いたかった。
しかし、こうした正論のアドバイスをオブラートに包まず言うと、相手を傷つけて逆恨みされる可能性がある。
ミカはこう答えた。
「そうですね・・・そもそも、どうして『結婚したい』と思ったんですか?」
「親がしろしろってうるさくて・・・実家暮らしなんですけど・・・私も家から早く出て行きたくて」
「そうなんですね」
「天使様のサポートがあれば、何でも叶うんですよね。私、今まで彼氏いたことないんですけど、こんな私でも結婚できますか・・・?」
「もちろんです」
ミカはニッコリと笑う。ブログでそう語ってるのだから、『できない』などと言うことはできない。
いつものミカならここで、『なぜ結婚したいのか』についてさらに深掘りして質問していっただろう。そしてタエコの過去や家族に原因がないか考えたことだろう。
だが今日のミカは、あまりに外見に無頓着なタエコの様子を見て、何とかこの外見だけでも変えてほしいという気持ちに囚われた。
「叶いますけど・・・どれだけ素敵な商品も、宣伝がされないと売れないように、タエコさんの魅力をもっと周りに伝えていった方がいいと思うんです。そうすれば、さらに早く夢が叶うと・・天使様はおっしゃってますね。
タエコさん、素材は良いんだから、もうちょっと見た目を変えてみるとかどうですか?たとえば、少しダイエットするとか♡」
"素材は良い"なんて全く思ってなかったが、これはミカなりに配慮した表現だ。語尾に♡をつけることで圧を弱くする。
「えー、でも、わたし今の生活ストレスがすごくて・・食べることだけが唯一の楽しみなんですー・・・」
(はぁ?贅沢言ってんじゃ無いわよ)
甘ったれた言葉にムカつくが、こんな時は相手の言葉をオウム返しにする。そうすれば、自分の感情を露呈せずに済む。
「なるほど、ストレスが多くて、食べることが我慢できないんですね♡」
「はい・・・」
「・・じゃあ、もう少し華やかなメイクをしてみるとか♡」
「メイク・・うーん、苦手なんですよね。それに肌が弱くてすぐ荒れちゃうし・・」
(ハイハイ、言い訳言い訳)
「あ〜そうなんですね♪私もけっこう敏感肌なんで、気持ちわかります〜〜!あ、でも最近は、肌にやさしい素材のコスメもけっこう出てますよ♡」
「でも、そういうのって高そうだし・・・
それに、素の自分を見せない恋愛をしても、苦しいだけじゃないですかー・・・」
(はぁ?素の自分を愛して欲しいだ?テメェは努力から逃げる言い訳をしたいだけだろうが!
スーパーで店頭に並んでる野菜だって農家さんが品種改良した上で色つや形の良いものを選んでんだよ!選ばれたかったら甘ったれんなこの豚野郎!)
ミカはそう脳内で口汚く罵りながらも、慈母の微笑みを崩さなかった。
「じゃあ、お洋服を変えてみるとかどうですか?例えばかわいいワンピースを着てみるとか♡」
「えぇ・・・私には似合わないですよ・・・それに、サイズだって合わないし・・・」
(じゃあせめて新しい服を着ろ!そのトレーナー、首のところが伸びて薄くなってるじゃねえかよ!)
「そんなことないですよ〜!今は色んなサイズの可愛い服を揃えたお店も多いですし・・・あっ、ヘアサロンで髪型をチェンジしてみるとかどうですか♡」
「美容師さんってチャラチャラしてる人多いから、苦手なんですよね・・・それに、お金が勿体無いですし・・・」
いったい、この女は何がしたいのだろう?
ただ努力をしない言い訳だけを並べ立てる。そうして自分の醜く分厚い脂肪でできた殻にぬくぬくと閉じこもろうとする。
しかし、こうした客は珍しくは無かった。特にミカがブログでカウンセリングのことを『夢が叶う』『絶対に幸せになる』と断言しだしてからは、タエコの様な依存心の強い客の割合は増える一方だったのだ。
イライラして仕方なかったが、頭の中で必死にさっき手にした5万円のことを考えて、精神を保つ。
(・・・まあ、努力しなくてもブス専に見染められる可能性はあるわね。見た目のことをとやかく言うのはやめよう、私!)
そう切り替えて、『恋愛』に話題をシフトする。
「タエコさんって、実際に好きな人はいたりするんですか?」
「いいえ・・・というか出会いもなくて・・・今日だって半年ぶりに家を出たぐらいで・・」
「あら、じゃあお仕・・」
お仕事は何をされてるんですか、と聞こうとしてあわてて口をつぐんだ。もしかしたらこの質問は地雷かもしれない。
「・・普段は、何をされてるんですか?」
「えっと・・・家事手伝いを・・」
タエコはそう言って誤魔化したが、目が泳いでいる。ミカの予想通り、タエコは引きこもりのニートだった。
「そうなんですか〜、じゃあ婚活とか、合コンとかは興味はないんですか♡」
「いえ・・・そう言う場に来る人って、やっぱり遊び人が多そうですから、そういうのはちょっと・・・」
(その遊び人にすら相手にされない容姿のくせに、何言ってんのよ)
この女と話していると、こちらまで陰鬱な気分になる。ミカは無限に湧き上がるイライラを必死に抑え、現実的なアドバイスをしてみた。
「なるほど〜。確かに、遊び人に遊ばれて終わり・・だと悲しすぎますもんね!
家事手伝いとのことですけど、この際アルバイトや派遣でお仕事を探してみるのはどうですか?何かいい出会いがあるかもしれませんよ♡」
そうして社会に関わることで、化粧ぐらいは人並み程度にできるようになるかもしれないという期待も込めた。
「うーん、でも・・・・派遣とかアルバイトって、安定した、ちゃんとした仕事じゃないですよね・・・けど正社員の仕事なんて私にできるわけないですし・・・ブラック企業だったら嫌ですし・・・」
自己肯定感が低いくせにプライドが妙に高い。行動して傷ついたり、自分の無能さを直視したりするのが怖いからと言い訳ばかりして行動をしない。タエコはそんな人間だった。
(あーめんどくさ。変わりたいならとにかく行動しろっつーの)
面倒くさくなってきたので、とりあえずいつものように甘い言葉をかける。
「タエコさん・・・今まですごく、頑張ってこられたんですね」
「えっ・・・そんなことないですよ」
「いえ、あなたは頑張ってきたんです」
やる気のなさそうな人間にもひとまず「頑張ったね」と声をかける。
大抵こう言う人間は、うだうだ文句ばかり言っている自分に問題があることに、薄々気づいているのだ。
そして、「こんな自分じゃダメだ」と自分を責めてばかりいて、でもそうして責めてばかりいるものだから、また心が病んで力が出ないのだ。
彼らが望んでいるのは、ダメな自分でも自分なりに十分に生きている、頑張っているという誰かからの承認なのだ。
「タエコさん・・・『頑張ってきた』というのは、天使様が教えてくれたことなんですよ。天使様は、タエコさんがいつも頑張ってることを気付いてましたよ。
ただ、ちょっと勇気が出ないだけなんですよね」
「・・・・!」
タエコは涙をポロポロこぼし始めた。
「タエコさん、きっと繊細で、頭が良い方なんですね。だから、先のことを考え過ぎて、つい傷つくことを恐れて、色んなことに躊躇してしまう・・違いますか?」
タエコはしばらく泣き続けた。
どのぐらい時間が経っただろう、タエコは泣きながら喋り始めた。
「・・・『頑張ってるね』なんて・・今まで誰も言ってくれなかったです・・・父も母も・・・」
やっぱりそうか、とミカは思った。タエコは、恐らく昔から両親に否定ばかりされて生きてきたのだろう。だから、何か行動しようとしてもまず頭の中に『否定』が出てきてしまう。
「私、中学の時いじめられてたんです・・・。学校に行きたくないって言っても、母は『学校へ行って当たり前だ』『いじめられる方が悪い』って言って・・・。
学校へ『普通に』行くことだって、私にとってはすごく大変なことだったんです・・・。
私、頑張って行ってたんです・・・なのに、認めてくれなかった・・・」
「そうだったんですね・・それは、悲しかったですね。
タエコさん、十分頑張っていたのに」
「はい・・・」
ここでトドメの『魔法の言葉』の出番だ。
「タエコさん、あなたは愛されていますよ。天使様は、頑張ってきたあなたのことを、ちゃーんと見てきたんです。天使様の愛は、見えなくてもずっとすぐそばにあったんですよ。さあ、タエコさんも言ってみてください。『私は愛されてる』って」
「私は・・・・愛されてる・・・・・・!」
良い感じだ。これであと少し、背中を押せば、タエコは一歩進めるかもしれない。
「タエコさん・・ちょっとだけ、前に進みましょう。結婚という大きなゴールではなく、まずは少し、お化粧してみるとか、アルバイトを探してみることから始めましょう。天使様も応援してくれていますから」
「えぇ・・・でも・・・無理ですよ・・・私なんて・・・
天使さまの力で何とかしてくれませんか・・・そのために、今日は5万円も払ったんですから・・・」
もし、ここでミカが本当に"愛のある天使"だったら、あえて厳しくこう言っただろう。
しかし、ミカはそんなことはできなかった。厳しいことを言って5万円を自分に捧げてくれたタエコを逃すことが怖かった。また、自分のブログで『天使のサポートさえあれば夢が叶う』と謳ってるのだから、それに反することを言うこともできなかった。そんなことをしたら、「ブログで言ってることと違う」と吹聴されて評判を落としてしまうかもしれない。こうして、自分の過去の発言にがんじがらめにされて、目先の金に目が眩んだミカは、ただタエコに迎合するしかなかった。
ミカは深呼吸した。
「そうですか・・・。今、天使様に聞いてみましたが、天使様も、タエコさんが今は動ける状況にないことを全ておわかりになっていました。『今までよく頑張りましたね』ともおっしゃってました。
もし、タエコさんが天使様への感謝の心を忘れなければ、これからたくさんの幸福が雨あられのように届くそうです」
(こう言えば、もし良いことが起きなくても『自分の感謝が足りないせいだ』って思うから、私が責任を問われることはないわね)
(でも一応、"保険"をかけとかなきゃ・・)
ミカは続ける。
「・・ただ、天使様がいらっしゃるのは天界ですから、天使様の元にタエコさんの気持ちが届くまでは、どうしてもタイムラグがあります。ですから、幸福が訪れていないように見えても、諦めずに待っていてくださいね。
諦めたら、それまでどれだけ天使様に感謝の気持ちを捧げていたとしても、途端に天使様との繋がりが消えてしまいます。そうなると、タエコさんの元に来るはずだったたくさんの幸福も、届かなくなってしまうのです」
(これで、幸せになったように思えなくても『今はそういう時期なだけ』と思えるはず)
(そして、『天使様なんていないんじゃないか』と疑うこともできなくなるはず・・)
(あとはもう少し、"思い込み"がしやすくなるように、助けてあげましょう)
「そうだ!天使さまと繋がりやすくなるためにも、天使様に感謝を伝えるときはこのハンカチを持ちながら伝えてください。ここには特別なエネルギーが込められていますから」
そう言ってミカは、制作に10分もかからなかったであろうカウンセリングのおまけのピンクのハンカチを渡した。
「うわぁ〜・・・かわいいです〜!ありがとうございます!」
「うふふ。かわいいでしょう?
あ、もちろんこのハンカチも十分高い波動がありますけど、スペシャルカウンセリングのハンカチは手刺繍ですから、さらに高い波動のエネルギーが入ってます。持てばますます天使さまと繋がりやすくなりますよ」
ミカは満面の笑みを見せた。タエコは愛おしそうにハンカチを両手に抱えている。
(今日もうまくいってよかったわ)
ミカは、自分がタエコにとってベストなカウンセリングができたと信じて疑わなかった。
(だって、私の前で涙まで流してくれたしね)
ミカは、クライアントが涙を見せるのは、心が洗われている証拠で、それはこれから幸せな人生を歩む第一歩になることだと信じていた。
カフェを出てタエコと別れたあと、ミカはふとトイレに行きたくなった。
そこで、近くの商業施設のトイレを借りることにした。
トイレを済まし、手を洗っていると横で清掃のおばさんがゴミ箱のゴミを集めていた。
(うわぁ・・私だったら絶対こんな仕事無理ぃ・・・)
視線を鏡に戻すと、そこには綺麗に化粧をした自分の顔がはっきりと映っていた。
(お金をたくさんもらえて、人々を幸福にできる、私のカウンセリングって、なんて尊くて素晴らしい仕事なんだろう!)
ミカは改めてそう思った。
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第35話につづく