小説『天使さまと呼ばないで』 第21話
ミカが「精神的豊かさ」をブログに書き始めて2週間経った。
(今日は何を書こうかしら・・・)
精神的豊かさと言って思い浮かぶのは、やはり夫婦愛や家族愛のことだろう。
(あーあ、こういう時、子供がいたら色々とネタが書けるんだろうなあ〜写真とかも載せれるし・・)
去年まで妊活に必死だったミカも、最近はあまり熱心ではない・・・というより、今はカウンセリングとハンカチ作りで忙しく、そこまで考える余裕がないのだ。
今のミカにとって"家族"は、コウタしかいない。
コウタとのラブラブな写真でもアップできれば、『精神的豊かさ』の証拠になって良いのだが。
(でも、コウタって自分の写真を撮るの好きじゃないし・・・ネットなんかにあげたら絶対叱られるし・・・っていうか最近あまり口聞いてないし・・・)
クレジットカードを取り上げられて以降、ミカとコウタの仲はますます冷え切っていた。
ミカはカードを取り上げられた当初、コウタがもうちょっと寛大になってくれることを期待していたのだ。
『こんなに買い物したくなったのは、きっと僕が仕事ばかりで寂しい思いをさせてしまったからだね。ごめんよ・・・。だから120万円の半分は、僕が支払うよ!ミカは60万円だけ返せばいいよ。それに、返すのはいつでも良いから』(そしてぎゅっとミカを抱きしめる)
これがミカにとっての模範解答だった。
しかし、現実は違った。
「ミカ、4ヶ月先には120万円を返せると言ってたのだから、必ずそれを守るんだよ。守らなかった際は、君の親御さんにも相談するからね。借用書も書いておこう。こういうことはたとえ夫婦であっても、いや夫婦だからこそ、なあなあにせずしっかりしておかないといけないから」
そしてコウタはミカを抱きしめるかわりに、白い紙と朱肉を用意してきた。借用書を書くために。
もちろんこれはミカの自業自得な訳だが・・・ミカはコウタのあまりに事務的な対応に、がっかりしてしまったのだ。
コウタを見るたびに、その時のことを思い出し、フツフツと怒りが湧いた。
しかし、そんなことをぶちまけられるはずもない。傍から見れば自分が悪いことは明らかだ。
やり場のない怒りに苛まれ、近頃はできるだけコウタと関わらないようにしている。
コウタもそんなミカの空気に萎縮し、あまり言葉を発しない。
現実の生活でブログに書けるような甘い出来事が無いので、ミカは結婚指輪の写真と共にこんな記事を書いた。
実際には、焦って参加した婚活パーティーで年収がそこそこ高そうだったから自分から近づいただけなのだが、こう書くと何だかとてもロマンチックな出会いに見えた。
ブログを書きおわり、ハンカチ制作に没頭していると、コメントが来ていることに気がついた。
ミカはにんまりと笑った。
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コウタとの出会いエピソードを載せてから3日後、ミカは焦っていた。
明後日のスペシャルカウンセリングのハンカチがまだ完成していないのだ。
思ったより早く帰ってきたコウタと共に夕食を食べる。今日は少しでも制作に時間をかけられるよう、おかずはスーパーで買ってきた惣菜にしていた。
(早く食べて洗い物を済ませたら、すぐにお風呂に入ってハンカチの制作に取り掛からなくちゃ・・)
ミカが急いで食事する様子に、コウタが尋ねた。
「ミカ、なんか急いでる?」
本当はできるだけ自分の胸の内を明かしたくなかったミカだが、もしかするとコウタも何か手助けをしてくれるかもと、ここは正直に答えた。
「うん、実は売り物のハンカチがまだ完成してなくて・・明日には完成させなくちゃいけないのに」
「そうなんだ」
(『洗い物でもしようか』ぐらい、言ってくれればいいのに)
期待通りの返事がこないことにイライラしながら食器を片付けていると、コウタが言った。
「何か手伝おうか?」
いつもならここで「別に」と言ってイライラをさらに蓄積させるミカだが、今日は勇気を出して素直に甘えてみることにした。
「・・うん、ありがとう。お皿洗いやってくれる?その間私、お風呂に入ってるから」
「いいよ」
コウタの返事を聞いて、ミカは喜んで脱衣所に入った。
化粧を落としてからふと"良いこと"を思いつき、スマホで自撮りした。
そしてすぐさまその画像の肌や目を美しく加工し、このような文章とともにブログを更新した。
一時間後、風呂から出てくると、洗い物はまだ流しに積んであった。
コウタはソファでくつろぎながらテレビを見てゲラゲラ笑っている。
「これ・・・」
流しを指差して言うと、ソファから首をこちらに向けてコウタが言った。
「ああ、テレビ見終わったらやるから置いておいて」
イライラする。どうして面倒な仕事を先に片付けないんだろう。どうして私の頼み事を、率先してやってくれないんだろう。
こんなふうに置いてあるままだと、まるで私に『これはお前の仕事だからやれ』と言われているように感じる。
ミカは涙目になりながら洗い物をした。コウタがキッチンに来て言う。
「いいよいいよ!僕がやるから」
「別にいいわよ!やらなくても!」
「僕がやるってば〜」
「あのね、今すぐやらなきゃ意味がないの!こんなふうに置いてたら油汚れも落ちにくくなるし、かえって迷惑!なんですぐにやってくれないわけ!?」
「だって、すぐにやってって言われなかったから・・・」
「もう!子供じゃないんだからそのぐらいわかってよ!」
険悪な空気が流れる。コウタは気まずそうにソファへ逃げた。
洗い物を片付け、洗面所に戻って髪を乾かしながらスマホを見ると新たにコメントがついていた。
ミカはブログを読み返す。
スマホの画面には加工のおかげで陶器のような肌をしたミカが、愛されているという自信に満ちた顔で微笑んでいる。
目の前の鏡を見ると、そこには小ジワと毛穴の目立つ、疲れた顔をした30代女性が立っていた。
(ブログの中の私、すごく幸せそうだな・・・)
ミカの心にはただ虚しさだけが残ったのだった。
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第22話につづく