小説『天使さまと呼ばないで』 第9話
1月下旬ー
ミカは繁華街のデパートに来ていた。
もうすぐミカの誕生日なので、コウタからのプレゼントを自分で買いに来たのだ。
ミカの夫は女性に人気のブランドや流行を知らないので、誕生日やイベントのプレゼントは、予算を現金で渡してもらい、自分で欲しいものを選んで買って来るようにしている。
何を買うか悩んだり、ミカの長い買い物に付き合ったりする必要がないのでコウタも気が楽だし、ミカも好みではないものを渡されるより自分の欲しいものが手に入る方が嬉しい。なのでこのやり方が二人にとってベストだったのだ。
今回の予算は2万円(最初は1万5千円と言われたが、ミカが値上げを要求した)。
新春セールが過ぎた頃だからか、いつもよりも静かなデパートで、ミカはまず化粧品売り場をチェックした。
(とはいっても、コスメはクリスマスに買ったばかりなのよね・・・)
夫からのプレゼントとしてもらったのはクリスタル・ディオンヌのクリスマスコフレだった。
Factbookには、そのときの様子をこう載せた。
本当は夫はお金を払っただけで、自分でチョイスし買ってきたのだが、このくらいの見栄ならまあ可愛いものだろう。
投稿には、エリやユカ達からたくさんコメントが来た。
こうしたコメントがくるたび、ミカは心が躍った。
自分が理想的な妻として見られていて、『愛されている女』であるとみんなが思っていることが、嬉しくて誇らしくて仕方がなかった。
化粧品にピンとくるものが無かったミカは、ふと化粧品売り場の近くにある高級ブランドのショーウィンドウに目が止まった。
それは革製のバッグで有名な、ルウィ・ビートンのものだった。
一際目を引く場所に、美しい白いバッグが飾られている。
(良いなぁ・・素敵・・)
表示されている値段を見ると、25万円とある。
(予算の10倍以上高いから、到底無理だけど・・・)
諦めて他の売り場を見回ったが、他にピンとくるものはない。
(やっぱりあのバッグがいいな・・・)
ルウィ・ビートンのショーウィンドウに戻り、改めてよく見た。
(この白くて清楚な感じ、"天使"のイメージにぴったりね)
(ちょっと試しに持たせてもらおうかしら・・・)
恐る恐る店内に入り、販売員の女性に声をかけた。
「あのぅ・・・表に飾っていたバッグがとても素敵だったので見てみたいのですが・・」
「かしこまりました。すぐお持ちいたします」
販売員がショーウィンドウからバッグを取り出した。
「こちらでございます」
ミカはそっとバッグを手に取った。
大きすぎることも小さすぎることもなくミカにちょうどいいサイズだし、軽くて持ちやすい。清楚でフェミニンな服装が好きなミカのワードローブにも合いそうだ。
少しアイボリーに近い白い革と、持ち手のベージュの色の組み合わせが上品だし、ゴールドの金具がラグジュアリーな雰囲気を醸し出していた。
何より、カバンの表面にハッキリと『LB』のロゴプレートがあり、誰が見てもルウィ・ビートンとわかるデザインなのが良い。
ミカが鏡を見ながら手に持ってみると、脳内にエリたちの声が響いた。
「お客様にとてもよくお似合いですよ」
販売員は天使のように優しく微笑み、続けた。
「こちらのバッグ、限定品で人気商品のため、こちらが最後の一点となっております」
天使のような顔から出た、悪魔の囁きだ。
欲しい、どうしても欲しい。
(でも・・・予算ははるかにオーバーしてるし・・・)
しかし、その時ふとひらめいた。
(差額は自分で払えば良いんじゃない・・?)
つまり、25万円のうち2万円は夫からの現金で支払い、残りの23万円は自分の貯金から出す。
幸い、これまでのカウンセリングでの売り上げと、パートで稼いだ分でミカ個人の預金はちょうど25万円近くあった。
ミカは急いで預金をおろし、バッグを購入した。
「ただいま〜」
「おかえり。・・良いものあった?」
コウタは今日は家でゆっくりしていた。
「うん!とっても素敵なバッグがあったから買っちゃった〜!ありがとう!でも、ちょっと予算オーバーしたから差額は自分で払ったの。ごめんね、事後報告で」
「そうなんだ、別に良いよ」
コウタもまさか"ちょっと"の予算超過分が23万円だとは夢にも思っていないだろう。
少し良心が痛むが、「ちょっと」というのは相対的な言葉だから、嘘はついていない。
コウタはバッグの値段について何も疑問を感じていないようだ。ブランドに疎い人で良かったとミカは思った。
その夜、ミカはバッグの写真と、バッグを持った自分の写真をFactbookにアップした。
すると、思った通り20件以上の「いいね」がつき、エリたちからのコメントが寄せられた。
たくさんの称賛を見て、ミカはにんまりと笑った。
子供の時のことを思い出す。あの頃は、私は羨望の眼差しを送る側だった。
ミカの家は裕福な方では無かったから、誕生日やクリスマスの時以外におもちゃを買ってもらえることはなかった。それに母は子供のオシャレに無理解だったから、高校に入ってバイト代で自分で洋服を買えるようになるまでは、洋服を買ってもらえるのは近所のスーパーだけだった。
小学校の時、最新のゲーム機で遊ぶ友達が羨ましかった。
中学校の時、かわいいブランドのショッパーに体操服を入れているクラスメイトが羨ましかった。
こうして誰かに褒められると、あの頃の自分が欲しいものが全て手に入れられたように感じた。
しかし、スマホで預金残高を見ると、途端に現実に舞い戻る。
(バッグが手に入ったは良いけれど・・・あと1万円ちょっとしか口座にない・・・)
バッグを手に入れた熱が冷めると、急激に自分が何も持っていないような感覚を覚えた。
(カウンセリングを週に2回するとしても、ひと月に稼げる金額は16万円ぐらいか・・・)
パート代の小遣い合わせればそれでも20万円近くにはなるが、こうして素敵なバッグを1つ買うだけですぐ無くなってしまう。
(もっと手っ取り早くたくさん稼ぐ方法ないかなぁ・・・)
その時ふと、ひらめいた。
(私+多人数で集まるイベントをすればいいんじゃないかしら)
1時間2万円ではなく、3時間1万円ぐらいの参加費にして10人集めれば、一気に10万円も集金できる。
それにミカの刺繍入りハンカチを用意する必要もないから、準備の負担も減る。
(よし、お茶会を開こう!)
スピリチュアル会で繋がった人たちからの情報で、スピリチュアルや自己啓発セミナーの世界では、人気のあるカウンセラーやセミナー講師が、まるでアイドルのファンミーティングのように"私と仲良くお話しできる権利"を『お茶会』として自分で販売していることを知っていたのだ。
早速ミカは告知をすることにした。
少し前まで、『どうやって綺麗な言い訳をしようか』に悩んでいたはずなのに、いつのまにかミカはすっかり言い訳が上手になっていた。
お客様の要望なんて嘘だ。しかしミカは自分が嘘をついているという自覚はなかった。
これはただ、天使さまのイメージを損なわないためのほんの少しの見栄であり、立派な企業努力だった。
Factbookの通知が鳴り響く。
「参加したい」というメッセージがすぐに5件も来ていた。
ミカは、預金残高があとわずかなことはすっかり忘れて、ネットでお茶会のために着る新しい洋服を探し始めた。
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第10話につづく