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小説『天使さまと呼ばないで』 第33話
エリのスペシャルカウンセリングから、2週間が経った。そろそろ、コウタのボーナスが支給される頃である。
ミカが無断で使った200万円が入っていた『子育て資金用』の口座への貯金は、いつもATMで直接入れていた。そうすれば、振込とちがって手数料がかからないからだ。
普段通帳とカードを家で管理しているのはミカだが、預入をするのは通勤の時にちょうどATMに寄れるコウタだった。こうして役割分担をすることで、『お互いに管理している口座』という意識を強めていたのだ。
ミカは、コウタの「ボーナスが出たから、子育て資金用の通帳とカード貸して」という言葉がいつ飛び出してくるか、気が気ではなかった。
2週間前には120万円だったお金は、今は150万円に増えた。来週にはまたセミナーで大金が集まるから、そこまでの辛抱だ。
それまでに、どうかコウタには貯金のことを忘れてて欲しい・・・いや、思い出したとしても、どうか預入は自分にさせて欲しい・・・
そう祈りながら風呂上がりに髪を乾かしていると、コウタが帰ってきた。
「ああおかえり、今ご飯用意するね」
少し前まで夕食は適当に惣菜で済ませていたが・・・今のミカは少しでもコウタに機嫌良く過ごしてもらわねばならない。ミカは準備していた手料理を温め直そうと、急いでキッチンへと向かった。
「ご飯はこのくらいで良い?」
「うん、そのぐらい」
他愛もない会話をして、できるだけこの場をやり過ごそうとする。
テーブルに夕食を並べ終わると、コウタが椅子にどかっと座った。
「そういえば、今日さ・・」
何の話だろう。心臓がバクバクする。
「ボーナスが出たんだけど」
キターーーーーーーーーー!
以前ならこの一言を聞くと胸が躍ったが、今日のミカの心は真逆の動きをしていた。
「うん」
平静を装って答える。
「その・・ボーナスの額が、思ったよりも多くてね」
まさか、『子育て資金に多めに入れようと思う』という言葉が続くのではないか・・そう思っていると、コウタの口から出て来たのは意外な言葉だった。
「折角だから、食洗機を買おうと思うんだけど、どうかな?」
ヘナヘナと、全身の力が抜けた。食洗機・・・?
「ホラ、いつもミカ食器洗い大変そうだし・・その、職場の人も使ってるみたいなんだけど、結構便利らしくて。うちは賃貸だからビルトインタイプは無理だけど、据え置きなら大丈夫だろう?」
コウタは、以前食器洗いのことでミカを怒らせてしまったことを、彼なりに何とかしたいと考えていたのだ。
そこで思いついたのが、『食洗機を買うこと』だった。
「そ、そっかぁ・・食洗機かぁ・・・たしかに、便利らしいわよね」
「僕はどんなのが良いかよくわからないから、ミカが好きなのを選んでくれたらいいよ。どれが良いか決めてくれたら、ネットで買うから」
「うん、わかった。早速見てみるわ」
そう言って、ミカはスマホを取り出してダイニングのすぐそばのリビングのソファへ移動した。
『据え置き 食洗機』と検索すると、様々なメーカーの食洗機が表示される。
「ふぅ〜ん、色々あるのねぇ」
そう言いながら、頭の中は『どうか子育て資金のことは触れないで』ということでいっぱいだった。
食洗機を買う・・・カウンセリングを始める前のミカなら、この提案を喜ばしく思っていただろう。
しかし、正直今はそんな提案全然嬉しくない。そんなものを買うぐらいなら、ブログやSNSで自慢できるバッグや服を買って欲しい。据え置きの食洗機なんて、全然"SNS映え"しない・・というかそもそも、うちが賃貸という事実がバレてほしくない。"天使のミカ様"に似合うのは、据え置きの食洗機のある賃貸のマンションではなく、ビルトインタイプの食洗機を備えた都会のタワマンか、郊外のオシャレな注文住宅だろう。
(食洗機って、良いものだと10万円もするんだぁ・・)
10万円もあれば、テファニーで手頃なジュエリーだって買えるのに。食洗機より、そっちの方が断然欲しい。いや、むしろ現金でいい。それと自分の貯めたお金を合わせてゴージャスなバッグを買いたい。
(コウタに、『食器は自分で洗うから、その分現金でちょうだい』って言おうかしら・・)
しかしそんなことをすぐ言うのは憚られる。コウタもコウタなりに、ミカを喜ばせようとして言ったことはミカにだって理解できたからだ。
(ひとまずここは、悩んでいるふりをしておいて・・何日か後に、『あまりピンとくるものがなかったから、ジュエリーの方が欲しいわ』と言ってみようかしら)
とりあえずそう決めて、ミカはこう答えた。
「今すぐに決めるのは無理そうだから、どれがいいか、ちょっと色々調べておくわね。
・・じゃあ、私そろそろ寝るね」
そうして、ミカはそそくさと寝室へ向かった。
「おやすみ」
そう言ってからコウタは、子育て資金の口座のことを思い出した。
(そう言えば、あの口座にも10万円入れなきゃな・・)
ミカにそう言うのを忘れていた。
(まあいいか、また明日にでも通帳とカードを出してもらおう)
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第34話につづく