ボードゲーム
子どもたちが思春期に入ってからというもの、彼らのどちらかが嵐になればどちらかが凪になり親に優しくしてくれる、というようなことがよくある。時には更年期の夫と私も同じでどちらかがなんとなく調子が出なかったりするとどちらかが元気になってみたりして家庭が暗黒の世界になるのを防いでいる。
最近機嫌のいい息子がボードゲームをしようと数日前から言い出した。どこ行ったけな、と探して2日後、思いもかけないところから見つかっていざ対戦とあいなった。が、昔はあんなによく遊んでいたのにいい手を思い出せない。あっさり負けてしまって悔しいというより寂しかった。普段の自分ならここでちょっと拗ねたりするのだが今回は息子も私も普段言いにくい話をしながらだったのでゲームのおかげかいい雰囲気で終わった。
子どもが生まれる前から我が家ではゲームをすることが多かった。それというのもとても親しかったオランダ人夫婦がとにかく家の中でゲームをよくしており、それに影響されたのだ。日本人も外国人も入り混じり大の大人が週末になると集まって飲み物片手にゲームに熱中するなんてなかなにかおかしい。多い時には10人近くで夜中まで遊ぶ。よくまあ飽きもせずやったものだと思うが互いに今週はこんなことがあった、なんてゆるゆる話しながら過ごすのは悪くなかった。
ちなみにゲーム、と言ってもとてもアナログなものである。紙と鉛筆を用意して得点を記録する。お箸みたいな棒を倒すのやらおもちゃの椅子を積むのやらサイコロを振って点数を競うのやらトランプやらブロックを並べるのやらといったものや人生ゲームなんかで思いっきり人間臭いものばかりだった。
うまくいっている話はどんな時でも楽しく聞けるし、茶化したりもできるが、いい話ではない時こそゲームは最強である。夫の会社が苦しかった頃などは「そうか、つらいな。大丈夫か。あ、それ、俺の勝ちだ」なんてついでのようにいいながらなぐさめてくれる友人たちに随分救われた。本当に大変な時にはあんまり大袈裟にされると心が固くなってしまうもんである。ゲームにバカ話とそっけないなぐさめはよく合うのだ。
あの頃一緒にゲームをした友人たちの国では燃料不足でこの冬は寒さが厳しいと聞いている。どこでもドアがあったら彼らはきっとどかどかやってくるに違いない。寒いよ、参ったよ、しばらく会わなかったうちにいろいろあったんだ、とバカな話をしながらこたつでゲーム。考えただけでもワクワクする。今となってはぜいたくなことである。
では、また。ごきげんよう。