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女の背中

大阪へ行った時のことである。大学時代の友人と十数年ぶりに会った。お互いにマメではないので一年に数えるほどしか連絡を取らない。そして、お互い口も上手くない方なのでそっけないもんである。

大阪へ用事があるんだけど、と連絡すると、天王寺の彼女のよく行く本屋で待ち合わせとなった。時間はだいたい6時半から7時の間。本屋だからどんなに早くても、どんなに遅くても待つのに困らないからな、そんなざっくりした約束だった。

当日、広い本屋の中を探したが、友人の影も形もない。本当に全く見当たらないのだ。もしかしてこの十数年の間に痩せたり背が高くなったり、服の趣味が劇的に変わったりしたのか?もしくは私の一番よく覚えている20代の彼女を無意識に探しているのか?とにかく似た人が一人もいないのである。

探し出す自信があったのだがもう探す場所もない、と思い彼女に電話したら「ごめーん、ちょっと用事があって無印良品行っとったわ」という返事であった。ざっくりした約束にはざっくりした行動がつきものである。数分後に現れた彼女は遠くから見てもすぐ分かった。前回会った時とあまりにも変わってなくて拍子抜けしたほどである。

飲み屋でモツ煮込みをつつきながらビールを飲むというのはきらびやかな学生時代から変わってしまったところだが(当時はバブルだったのでカクテルやおしゃれなおつまみをいただくのが普通だった)、こっちの方が性に合ってるよなあ、とお互いの仕事の話なんかを熱く語った。

いい加減出来上がった頃、私の娘が飛び入りしてきた。友人の隣に娘が座った途端、どちらからともなく口から出たのは「この子若い時のちかちゃん(自分)に似てるよなあ」だった。自分達は全然変わってないように思ったけれど娘が座った途端にものすごい変わってますやん、とお互いツッコミを入れた。

ゆっくり歳をとっていくというのは変化も飲み込んでいくということやな、と友人が言った。二人だけでいたら「お互い変わらんなあ」で終わっていただろうがタイムマシーンに乗ってきたかのように私とそっくりの娘が現れた途端に「あらま、年取るはずやわ」となったのである。

天王寺の改札で娘と二人、友人を見送った。仕事のために買った何冊もの本を持って帰る友人の背中はそれなりに丸みを帯びて年相応になっていた。思慮深くて、察する力がありすぎる彼女は職場でも家でも小さく憤ったり傷ついたりしながらもたくましく生きているんだろう。きっと頼りにもされているはずだ。いろんなものを背負ってきた彼女の人生を思うとなんだか涙が出そうだった。そして心の底から「あんた、いい背中してるなあ」と思った。

では、また。ごきげんよう。