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ケンカ

分断、という言葉がなんだか刺さる1週間だった。世界情勢のことではなく我が家のことである。

非暴力の暗黙の了解は崩れ、晩餐会でも一食触発の状態。交渉のテーブルでも話合いが前進する気配がない。力や言葉の武力行使が日常的になった。交渉が決裂する日も増え、これまた暴力の連鎖である。

つまり、姉弟ゲンカや親子ゲンカである。

先日は娘と息子が大ゲンカした。双方ケンカが下手である。力加減も攻撃の仕方もなってない。叩いたり蹴ったりしてもなんだか見ていられないほどのへなちょこぶりだ。

私にとってはケンカはスポーツである。弟が中2で私が高1ぐらいまでは体格の差がなく、顔をグーパンチで殴り合うようなケンカをしていた。170cm近い背の弟と165cmの姉が蹴り合いとかをするのである。狭い家がさらに狭く感じる瞬間であった。

小学生の頃から一緒に剣道をやっていたからケンカをしても稽古の延長みたいなものである。ちゃんと考えて殴る蹴るをやっていた。さぞ動物園のような家だっただろう。飼育員のような母はそんな私たちを叱ったり呆れて放っておいたりしながら毎日山ほどの食事と2Lの牛乳を与えた。おかげでよく食べ、よく動いた。二人一組でいつも一緒くたにされていたので、特別仲がいいとは思わないが、いまでも関係はいいと思う。

母が与えた食べ物のおかげで私たちは大きく丈夫で立派なクマみたいな姉弟に育った。ただ、丈夫すぎて無理が効く。突然大病してしまうのは弟も私も同じである。

そこへ来ると我が家の子ども達はフラミンゴのような姉弟である。いつも一緒に楽しく遊んできた。ケンカもしないし、私や弟と比べると行儀もいい。かわいくて、細っこくて、よわっちい、と見せかけてしぶとい。見た目は私と弟よりずっといい。

だから、ケンカが下手である。

その分口ゲンカはなかなか上手い。よくもまあそんなに嫌なことを言い合えるものだと感心するし、態度も腹立たしいの極みである。今の時代、口ゲンカが花形だろう。体を使った上手なケンカの仕方なんて全然役に立たないと思う。暴力を振るうことは悪いことだ、とわかっているからである。叩く瞬間スナップを効かせてあんまり痛くないようにするとかそんなことは今の時代習得しても持ち腐れる。

ただ、ちょっと思うのである。ケンカは自分の欲しいものを手に入れるためにするが、お互いのダメージが最小限になるように「気を遣って」やるのである。相手を再起不能になるまで追い詰めたり、恨みを買うようなひどいことはしない。

今の時代、人付き合いも極端に思えてならない。良い時の距離の近さもすごいが、悪くなった時はその反動だろうか、と思うほど徹底的に相手を叩いてどこまでも突き落とすような感じがあって怖い。私はもし仕返しされたらどうしよう、と思って怖くなるからひどい攻撃はできない。そんなへなちょこな理由で、と言われてもいい。誰かに痛めつけられるなんて考えただけでも嫌だから自分もしない、それだけだ。

我が家の子どもたちは体を使ったケンカはへなちょこだが、口ゲンカはなかなか上手い、と書いた。さらに言うと、ものすごく感じが悪いくせにちょっとユーモアがあってシリアスなケンカなのにクスッと笑ってしまうことがあるのだ。

ああいうケンカは子どもたちを見てはじめて知ったスタイルだ。私も子どもたちを見習って、カッとなった時は「今怒ってるから本気の相撲取ろう」「むしゃくしゃするからプロレスしよう」と言う。たまに相手をしてくれても私が勝ってしまうのでつまらない。強すぎるのか、手加減されているのか。もちろん後者である。そういう気の遣われ方はくやしい。相手に気を遣っていると悟られるとは、やっぱり彼らはケンカが下手である。

では、また。ごきげんよう。