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昭和タイムスリップ
近藤です。寒風吹きすさむ田んぼの一本道だったのに、今週は汗ばむ陽気の山の我が家です。
私の住む町では全ての校区にコミュニティースクール(学校運営協議会制度)というものがあります。
これは地域、保護者、学校が連携して学校運営に意見を反映させる仕組みのことですが簡単にいうと「子どもたちの成長の為にみんなで協力して地域の学校をよりよくしていきましょ」というもの。
山の学校のある地域は元々ディープに地域と学校が関わっているので今まで同様の繋がりを大事にしつつお互い助け合ってやっていきましょうねという感じです。コミュニティーの中で小・中学生が地域の行事のお手伝いをしたり、地域の人が学校の行事を手伝ったり、一緒にイベントを運営したり。これまでより中学生の姿が目立つなあ、いいなあという印象があります。がそれと同時に、忙しい今の中学生、お休みの日もボランティアに出てきてるけど休息時間は取れてるかな、と思ったりもします。
(またこんかいよ、は またきてね、の意味)
先日、地域に新しいトーテムポールが立ちました。中学生たちと地域の人たちが協力して50年ぶりに新しいものを立てたのです。山から木を切り出すところからスタートし、木を乾かしたり、彫ったり、色を塗ったりして長い時間をかけて完成しました。
私はPTA新聞の取材で参加したのでいろんな所から写真を撮っていました。
山の谷間にたくさんの人が集まって、トーテムポールの完成をお祝いしている様子はなんだかとっても古い時代のことのように見えました。昭和生まれの私には馴染みのある光景。自分の中学生の頃の写真だと言ってもわからないぐらいの。
令和の今だけれど、よくよく考えてみれば昭和も平成も令和も人の生き方の基本がそう大きく変わったわけではないのかも知れません。
みんなで何かするのはちょっと面倒だけどやってみたら楽しい。終わったら寂しい。それは私が小さかった時もおばあさんになった時もきっと同じ。
同じグループの中でいろんな役割の人がいろんなことをするのって人が生きているうちはずっと続くことなんだろうと思います。
この数十年の間に人の生き方や価値観は変わりました。けれども長い目で見ればそうでもないところもあり。
歴史が繰り返されるのだとしたらそれは人間が変わらないからなのかもな。
なんてトーテムポールの取材をしながら考えたのでした。
では、また。