私たちは頭数でしかない。
東京の街なか、縦横無尽につながる電車に乗っていると、ふと思う。
人間を、単数1で見ていることに。
その人にも生活があって、家族があることは頭では分かっている。
それでも数多の1がある。あるいは、1つの群衆という大きな単位でしか捉えられない。
似たような感覚が連日ニュースでやっている。
観客○名、死傷者○名、感染者○名…
数字で言われた途端、それはまるで自分に関係のないものであるかのように錯覚している。
その数の1つに自分も含まれることがあると、忘れてしまう。
数字ではたった1でも、そこには様々なストーリーと人生と感情と思想とがつきまとっている。
1対1で話し合った時、初めてその単数1が名前をもって、今日まで生き続けた人間であると認知する。
自分にとっては、その1がとても大事なものなのに、
他人にとっては、組織にとっては、社会にとっては、ただの1。
あぁ、数字はなんて恐ろしいものなのか。
あぁ、私はなんてちっぽけなのだろう。