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當麻寺への道・1

中将姫と當麻曼荼羅 | 奈良国立博物館

 これの予習として當麻寺に行くことになった。

 折口信夫『死者の書』はハードルが高いので近藤ようこのマンガ版を読んでからポツポツ読んでいる。

死者の書(上) (ビームコミックス) Kindle版

図書カード:死者の書


 いつも奈良に行くルートは生駒山経由だが、當麻寺は葛城なのでまず大阪府を河内方面八尾市まで南下して二上山を越える。『死者の書』も二上山から話が始まるので。


 ……大阪府内なのに北摂の人間が知らん景色が広がってるな……
 ブドウ狩り農園とか……
 えっ伊勢物語『筒井筒』の河内国高安ってこんなところ? マジ?

「風吹けばおきつ白波たつた山 夜半にや君がひとりこゆらむ」

 って「カネモチの女がおるゆうだけでわざわざ夜中に山越えてそんなとこまで行かなあかんとか男の方は大変ですねすごいですね吾が君、おかわいそうに。まああんじょうおきばりやす」ってえげつないイヤミだったのか? 京都からこんなとこまで一晩で来れんの?

 道の駅とか寄ってみようかとも思ったが対向車線だったのでやめた。
 コンビニの駐車場がやたらと巨大で「公衆トイレ兼雑貨屋」という体裁に変わる。何か地産野菜も売ってるし。
 伊豆の国市大河ドラマ館もオフィシャルグッズの他にジャガイモやトマトや手作り蒸しパンなど売っていた。やる気があるのはいいことだ。

 ナビが紹介するので葛城観光駐車場というところに入ったが、ここは相撲館の最寄りで駐車場代は相撲館まで払いに来いとものすごく観光客の善意に頼っていて遮断機など機械的精算システムが何もなかった。
 當麻寺まで歩いて5分以上。

 黙って當麻寺最寄り駐車場に駐め直した。そちらは普通に下に跳ね上げ板と機会精算機がある。

 當麻寺が近すぎて当初、どこが當麻寺かわからず、ぐるぐる周囲を巡ってやっと山門から入って、境内裏口からぱっと見たら俺の駐めた車が見えた。

當麻寺・山門

 右の仁王さんは修復中。本尊から見たら左なんだが。

當麻寺・伽藍

 白鳳、天平、藤原、鎌倉時代の建築物が入り交じっている。「藤原」って何、と思っていたら「藤原京の時代」のことだった。694年から710年の16年。ピンポイント。

 結構お高い拝観料を取る。そのせいか、各御堂にはエンドレスでラジカセで数分の解説を流している。CDかもしらんが。

「平重衡の南都焼き討ち以来~」

 ……………………………………。

Googleマップ・東大寺から當麻寺まで徒歩経路

 通常「南都」と言えばこの辺です。
 いや……一応興福寺やら何やらに悪僧派遣して強訴運動してたらしいよ……すごい根性だな。
 そもそも悪僧とは墾田永年私財法で寺社にふるさと納税すると国への税金が安くなるキャンペーン開催で寺社名義の土地が増えて財が集まった結果、無戸籍などの人が寺社に身を寄せ……

 流石に重衡はこんなとこまで焼き討ちに来てないが、反平家寺社だったということで信心深い頼朝はかなり當麻寺に貢いだらしい。鎌倉時代に建てた御堂がある。
 南都焼き討ちで焼け残った仏像を引き取ったりもしたらしい。
 規模のわりに仏像コレクションが多彩。

當麻寺・庭園と五重塔

 中将姫が出家した御堂、みちびき観音とか五重塔とか本堂と別料金です。マジか。

當麻寺・蓮の花

 蓮の花を愛でるにはまだちょっと早い。蓮の花は朝に咲いて夕にしぼむので見頃の時間が短いのもあるが。

 宝物殿には中将姫に関する宝物、陀羅尼助丸を煎じた釜など展示されている。陀羅尼助丸の歴史は古くは役小角にまで遡り……
 奈良県の古い建造物、どこもかしこも役小角と弘法大師いるな。
 中将姫の舎利……あ、何となく綺麗な白い石ですねこれは。そんなもんなんですね。

 さて當麻寺の次は長谷寺。

桜井市初瀬の交差点

 何だかんだ初めて来る奈良県桜井市初瀬。てか桜井市がメチャ広い。

長谷寺・山門
長谷寺・登廊

 こちら、平安時代から映える観光地をやっているだけあってフォトスポットの圧が強い。この登廊は江戸時代とか明治時代に作ったやつだけど。銅の風鈴をメチャ鳴らして清涼感を……外気温32度で何もしてなくても表皮に汗がにじむけどな……

長谷寺・あじさい

 映えるための努力がとにかくすごい。この前の當麻寺の紫陽花はそろそろ季節的にキツくて切ってから三日ほど経ったキャベツサラダみたいになってたのに。
 いいんだけどここ、他にちょっとだけいる客がことごとくカップルだ。

 今なら入山料、ご本尊特別拝観、大講堂併せて2000円になるところを共通券を買えば1700円とお得に!
 ……本当にそれはお得に?
 首を傾げながら特別拝観に入る。

長谷寺の仏教ミサンガ

 手首に五色の仏教ミサンガを巻いてもらう。観音様との結縁を助けてうんたらかんたら、拝観後は外して持って帰れるように紙の袋つき。いろいろな工夫がある。
 本尊拝観前には手に塗り香を塗ってもらう。手のひらにシナモンとクローブ等を配合した香の粉をちょろっと落としてもらい、自分で塗り広げるが、最近のアルコール消毒の癖でつい指先に塗ろうとしてしまう。香なんだから手のひらに広げりゃいいんだって。
 確か前に大覚寺でもやった。
 今、俺流のアルコール消毒では素早く両手の指先に塗り広げた後に右手の指先を左手のひらで覆い、30秒ほどアルコールで蒸すのがトレンド。気持ちだ、気持ち。

 そして本堂に入り、全長1,018.0cmの十一面観世音菩薩立像の足もとに。
 全長10メートル、外から俯瞰すると「へー」くらいなのだが、足もとまで行って顔を見上げるとかなりの巨大感威圧感がある。
 そんで「観音様に願いを伝える」と称して足の指に触れる(※感染症対策のために紙1枚挟む)
 触れた後は観音様の周囲を右から1周する。

 ……巨大超越存在の足もとにひれ伏す儀式、予想よりマゾくてやべえな……
 これ考えたやつ変態じゃないの……
 他に人もいないのであまりに楽しくて3周してたら「その裏に他の仏像もありますよ」と係のお姉さんに訝られた。

 像自体は室町時代の作だがその前にあったやつが何度か焼失して作り直したらしい。菅原道真が書いた長谷寺縁起文によると……何か出発点から大ボラ吹いてない?
 8世紀の徳道上人が像を造ったらしい。

長谷寺縁起文・現代語訳

 ※撮影可、SNS投稿可部分。
 ……何か俗語で説明してくれようとしてる努力は感じるが悪いインターネットにかぶれてないか?
 ともすればバズりたいまでないか?
(「その声は李徴子ではないか」もあった)

 その後、枕草子の長谷寺詣での部分を確認。

 ……何か「寺に泊まった」くらいしか記述がないが……?

 また、講堂には「玉鬘観音」なるものがあった。源氏物語で玉鬘が長谷寺に詣でて運が開けていくのにあやかって作ったらしい。

 ……後世にファンアートが作られるこの感じ、何かすごく……
 いや、これくらいがっついて行かないと1200年生き延びてはこられなかったんだろう……

 既に當麻寺に行ったのに2に続く。

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