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【『孤狼の血 LEVEL2』評論/ライター/ インタビューア・平田真人】

上林の無自覚に光の消えた目を意識下で具現する。
それこそが俳優・鈴木亮平の凄味だ!

 おそらく『孤狼の血 LEVEL2』を観て、こう感じた人もいたはずだ。
「これ、実質的に鈴木亮平の映画じゃないか!」と。
 それほど、鈴木が演じた極悪非道なヤクザ・上林成浩のインパクトはすさまじかった。

 何しろ映画の冒頭から無慈悲なこと極まりない。出所したその足で、ムショ内でいたぶられた看守の妹を惨殺しに行くわ(しかも、メシでも食いに行くようなノリで)、自分の親分筋だろうと構わずに手を掛けるわ、とにかく息をするように暴力をふるう。傍から見ていると、もはや残虐だとか残忍だといった概念がすっ飛んじゃっていて、理屈とか話が通じる相手じゃないんだなと、ある種の諦念を抱かざるを得ないから、余計に手に負えない。変種のサイコパスとも言える〝狂獣〟のようなヤカラだが、松坂桃李演じるところの日岡刑事によって築かれた、伝説の刑事・ガミさんこと大上(役所広司)亡き後の広島裏社会の〝かりそめの秩序〟を空気を読まずにブッ壊していくさまは、どことなく爽快だったりもする。けっして関わりたくないタイプなのに、やたらと気になってしまうのは、おそらく上林が無自覚に規格外なヤツだから──と、そんなふうに思えてならないのだ。

 そう、上林自身はクレイジーであることを自覚していないし、自分を凶暴だなんて1ミリだって思っちゃいない。生きるために両手を血に染めた少年時代のあの日から(映画を見た人には、どのシーンのことかおわかりかと思う)、彼には失うものなんて何もないのだ。そのかわり、何をしても満たされないし得るものもない。だから、ただただ壊していく。新しい何かを創造するために古き習慣や様式を壊すんじゃなくて、破滅させること自体が上林の原理なのだ。
 お前らみんな、俺と同じ空っぽにしてやるよ、とばかりに──。
 それは彼の顔を見てみればわかる。何をしていても目に光が灯っていないし、楽しそうにしていても目は笑っていない。
 その生気のない目を具現したところにこそ、鈴木亮平という俳優の凄味があるのだと思っている。

 鈴木と言えば、ストイックな役づくりがよく知られたところ。TBS系の連続ドラマ「天皇の料理番」(2015年)で20㎏減量したのち、「俺物語!!」(2015年)の撮影に合わせて倍近く体重を増量したという、往年のロバート・デ・ニーロばりのエピソードは語り草となっている。しかし誤解を恐れずに言うと彼に限らず俳優たる者、身体的なアプローチは誰もが可能なこと。鈴木自身も役と同化するために行っているだけであり、アプローチ自体を目的とはしていない。白石和彌監督作『ひとよ』(2019年)での吃音のセリフまわしにしても、稲村大樹という人物がそうであったから、リアリティーを追求したまでにすぎない。その流儀に則って真摯に役と向き合う中で、自身を同化させていくわけだが、上林に対しては精神的な面、とりわけ潜在的な意識のレベルにまで潜り込んで、「何が彼をモンスターのようにせしめたのか」を徹底的に追求したようだ。
 その結果、何をするにしても光が消えたような、あの目に行き着いた。
 見る者を戦慄させるのは、上林の残虐な行為そのものじゃない。意志はあるのに〝心〟が宿っていない彼の目ににじむ静かな狂気に人はおののき、なお惹きつけられてしまうのではなかろうか。
 あらためて思う。
 あの無自覚に空疎な目を意識下で具現できることこそが鈴木亮平の真骨頂なのだ──と。
 そのことを力説しつつ、制作が決定したばかりの続編=3作目でも上林をしのぐ強烈なキャラクターの登場を願うことで、『孤狼の血』シリーズへのエールとする次第である。

 ……てか、上林は不死身キャラってことで、また出しちゃっても良くないですか!?