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自分の幸せより相手の不幸を優先しちゃう【悪癖】

最近、父が私の人生に口出ししてくるのを止めた。いや、仕事のこととか年収のこととかは相変わらず口出しされるんだけど結婚について言及することがなくなった。
やっと解放されたと喜べるかと思ったけどそんなことはなくて、湧き上がってきた感情は「ふざけるな」だった。

何が原因で止めたのかは分からない。私が歳を取ったから諦めたのか、母が注意したから改めたのか。いずれにせよそんな些細なことで止めるような覚悟なら始めから何も言うなよ。甘ったれた意思で他者の人生に口出しするな。
私はそんな軽い意見のせいでこのコンプレックスを一生抱えて生きていくことになってる。いや、一生抱えるかは自分次第だけど、少なくともじゃあ今までの苦しみはなんだったの?今の苦しみはなんなの?
今更止めるな。勝手に降りるな。リングに上がれ。どっちかが倒れるまで戦い続けるから早く戻ってこい。ふざけるな。


これは私の悪癖で、誰かと言い争いになったり喧嘩したりした時に優先順位が
相手のマイナス>自分のプラス
になっちゃう。要は自分にプラスがあろうがマイナスがあろうが関係なくて相手にマイナスを与えることしか考えられなくなっちゃう。多分自分のこと大事じゃないんだろうね。
自分の中のマイナスは相手のマイナスでしか相殺できない。これからどれだけ自分の中のプラスを増やしても、自分の中のマイナスは無くならない。「幸せになることが一番の復讐」みたいな考えができない。自分を納得させるための嘘じゃないの?
たしかに幸せになりたいならそうやって自分を納得させてマイナスは意識せずにプラスを増やしていくことが最短・最適なんだろうな。それができる人はすごい。
でも私はできない。自分が幸せになることより世界が公平であることを優先しちゃう。公平世界信念(人の行いに正しい結末が待っていると思っちゃう認知バイアス)が染みつきすぎてるから。あと自分のこと大事じゃないから。おかしいじゃん。他人を苦しめた人間に罰がないのはおかしい。
実際は因果応報はあったりなかったりするのは分かってるんだよ。この認知バイアスのせいでなにか理不尽な目に遭ったらその人に報復がないと許せないし私が罰を与えたくなっちゃうし、なんなら嫌な目に遭う(≒罰が与えられる)ってことは私が悪いのかなって自責しちゃうし、なーーーんも良いことない。悪癖。
辞めたいけど辞め方が分かんない。〝義〟の心が強すぎるし、思考が潔癖すぎる。困っちゃうよね。

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