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自分のいないところで自分の話をされるのイヤだな。

お盆休みがやっと明ける。夏が終わる良いところは「有意義に過ごさねば」という幼少期の夏休みに植えつけられた強迫観念から解放されることだ。

さて、先日(唯一の)友人の結婚式に参列した。今まで結婚式に招待されたことなどもちろんなく、おそらくこれが最初で最後の結婚式だろうと人生経験も兼ねて出席することにした。とても良い式だった。
家族のあり方や人生の進め方について考えることとなったが、それはさておき今回はタイトルの話をしよう。

参列者の中には中高の同級生もいた。結婚して名字が変わったという同級生の名字を必死に思い出していると「今〇〇に住んでるんでしょ?その前はイタリアに行ってたんだよね」「〇〇から聞いたよ」と言われ、あ、私〝こういうの〟嫌なんだ、と気づいた。
思い返せば学生の頃にひとりぼっちだった原因のひとつに〝こういうの〟が嫌だったことがあげられる。
補足しておくと上述の同級生とは友人を介して6年ほど前に同級生の職場にサービスを受けに行くという形で一度会ったことがある。学生時代のことはよく覚えていないが一緒にお弁当を食べるほどの仲ではなかったと思う。

新婦である友人は決して面白おかしく噂話をしたわけではなく、同学の友に世間話をしただけなのだ。イメージされるような、噂話で気を引いてやろうだとか利用してやろうだとか、そういう邪悪な心は一切ない会話だったのだろう。
多分、〝普通〟の人は秘密(学生なら恋バナ、社会人なら家庭の事情など)以外は話すのかもしれない。あの人はこういう趣味があって、あの人の出身はどこどこで……私とて会社での会話はその前提で話している。

今回はなにが嫌だったのか。一番湧き出た感情は「そんなに仲良くなったつもりはない」だ。友人が同級生に私の話をした行為も、私の近況を同級生が知っているという状態も、どちらも気持ち悪かった。
友人に対しては「あなたは私の話をどこかで勝手にできるほど近い存在ではない」と思ってしまった。感覚としては私の持ち物を勝手に人に貸された気分だ。情報は渡した時点でその人のものだという理屈は分かるが、私のことは私だけのもので、預かり知らぬところで話されることに嫌悪感を感じてしまう。
例えば、他のクラスの友達Aが私に教科書を借りに教室にやってきたとしよう。その場に私がおらず同じクラスの友達Bが私の机から教科書を取り出して友達Aに渡したとしよう。(友人Bが教科書を貸せばいいのではというツッコミはさておき)私にとってそれは腹を立てるような行為ではない。だが、それが見知らぬクラスメイトの行動だとしたら?ヤバいやつだな、と感じることだろう。今回の友人に対する気持ち悪さはそれに近い。
同級生に対しては「あなたはその話を知っていいほど近い存在ではない」と思ってしまった。もしかしたら私はその同級生があまり好きではないからこんなふうに感じてしまったのかもしれない。
これも例えるなら、居酒屋で個人的な話をしていたら店員さんが勝手に話に入ってきた時だ。僕らの別荘というYouTubeチャンネルの動画を見てほしい。
https://youtu.be/X7p7QHrPCTU?si=svePBaXg9LIv-NP6

唐突に書き始めたのでオチなどないが、ひとまずその友人に自分の話をするのは控えることにしよう。

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