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可愛い服が似合わない

友人の結婚式に参列してきた。
友達がその友人ひとりしかいないので初めての結婚式だ。
当日は深い緑のワンピースをレンタルして式場の近くの美容室で髪をセットしてもらった。セットが思いの外早く終わったので時間を潰そうと近くのスタバに行くと、店員さんから「結婚式ですか?素敵ですね!」と微笑みながら柚子シトラスティーを渡してもらった。初めての参加で結婚式に合う格好になっているか不安だったこともあり、とても嬉しかった。ありがとう、店員のお姉さん。あんな風に素敵なスモールトークができる人間になりたいな。
最近ロリィタを始めたこともありレースのあしらわれた華奢なワンピースは私の気分を上げてくれた。

さて、ハッピーな話が読みたい人はここでお別れだ。
可愛いワンピースを着て高砂の新婦の元に行くと「〇〇(私)がそういう格好してるのおもしろいね」と言われてしまった。友人は「〇〇(私)が沖縄行ったのおもしろいね」と言ってきたこともあるのでその時に〝おもしろさ〟の理由を聞いたら彼女の中に私のイメージ像があってそれとのミスマッチ、らしくなさがおもしろいみたいだ。強面のおっさんがハイトーンボイスだったとき、みたいな感じだろうか。

今回嫌だったことはふたつ。
ひとつめ。前述の通り最近ロリィタを始めた私にとって可愛い服がおもしろい(≒ミスマッチ≒似合っていない)はかなりグサリとくる言葉だった。言葉を曲解してしまっているのかも知れないが、やはり私などが可愛らしい服を着るのは滑稽なのだろうか、と不安になってしまう。とはいえ、そんな不安のせいで今までロリィタに手を出さずあれよあれよと年を取ってしまったので今さら歩みを止めることはないのだが、この友人とはロリィタの話ができないのだという寂しさはある。

ふたつめ。勝手なイメージ像をつくられることが嫌だ。
見た目ゆえに大人しいと思われる、理系だからこうだろう、女だからこうだろう……そういったすべての決めつけが嫌いなのはもちろんのこと、友人や家族から〝私らしさ〟を提示されることも嫌だ。理解者ぶるなと思ってしまう。前の投稿にも書いたが「そんなに仲良くなったつもりはない」というやつだ。しかも付き合いの長さゆえに過去の私が混ざった〝私らしさ〟を言われることがある。それは今の私とズレていて、うっかり過去に囚われてしまいそうになる。人を型や枠にはめて考えることは考えるコストを下げる効率的な手段で、私もよくやるので責めることはできない。でも、サボらずにきちんと目の前にいる私を見てほしいと願ってしまう。

またしてもオチのない話を書いてしまった。

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