1993年の音楽とおじさん
1993年ごろのこと。「DOLL」のメンバー募集を見て連絡をとったカズシ君というタメ年(25歳)のギタリストとバンドを組んだことがあり、中杉通りと早稲田通りがぶつかる交差点の近くにあるスタジオを何度か利用した。
そこは普通のマンションの地下にあり、スタジオも1つだけ。んでもそこそこ広くて快適で、隠れ家のような場所だった。
カズシ君が曲を作り、オレが歌詞を考えて何曲か作った。カズシ君はデヴィッド・ボウイが好きで、思い切り影響を受けていた。んでもサウンドはもろにマンチェという、まさに90年代という趣だ。なんでそんな趣味のギタリストがパンクな「DOLL」にメン募を出していたのか不明だが、シャム69とクラッシュばかり演奏する「びっくりドンキーズ」を解散した直後なので、毛色の変わったバンドもいいかもなぁとつきあった。
カズシ君は東北出身で東京にあまり仲間がいないのか、ギター以外全部募集だったので、ドンキーズのベースの森朋之とドラムのチョータを呼んで4人組で新しくバンドをやることにした。要はドンキーズに新しいギタリストが入っただけなのだが、今回はパンク臭はゼロ。リーダーはカズシ君なので、何をやるにも彼主導だ。スタジオで一通り曲作りが終わると、近所のカズシ君の家に行きあれこれ音源をあさったり、中華屋で酒を飲んだり、当初はけっこう楽しかった。
いつだったか、スタジオ終わりに飲んでいると、カズシ君が数少ない友人を紹介してくれた。岡崎君という背の高いギタリストで、同世代だし話も面白い男だった。その岡崎君がBEYONDSの新ギタリストに内定したと聞いてぶったまげたのをよく覚えている。俺はBEYONDSの大ファンだったのだ。その年に出た「UNLUCKY」というファーストを繰り返し聞いている時期だった。
BEYONDSはギターの高杉大地が抜けて以降、ハイスタの横山健がサポートしていたが(ハイスタの初ライブはBEYONDSと対バン)、正式メンバーは固辞していた。そんなすごいバンドに目の前の男が加入すると聞いて、それはもう興奮した。結局、BEYONDSは翌年解散してしまい、岡崎君はPEALOUTを結成。そのPEALOUTも2005年に解散し、BEYONDSが11年ぶりに再始動した際には参加し、オレも大喜びでライブに駆けつけたが、2008年に体調不良で脱退してしまった。
話がそれた。そんなこんなで楽しく阿佐ヶ谷通いをしていたのだが、もともとパンクをやりたかった3人は、どうにもカズシ君の作る曲に乗れず、だんだん練習にいくのが億劫になっていく。ある日、チョータとジャンケンをして負けたほうが、脱退を言い出そうと決めた。結局、チョータが負けてカズシ君にオレとチョータが脱退する旨を電話で伝えた。ただ、森だけはしばらくカズシ君の練習につきあっていたそうだ。このあたりの律儀さが森である(森に相談ナシで辞めてしまったのは本当に悪かった。ごめん!)。
けっきょくあのバンドは長いこと練習したわりにバンド名も決めず、1度もライブをやることなく終わってしまった。
数年後、紆余曲折を経てオレは競馬ライター、森は音楽ライターに。森は岡崎君に取材したことがあるそうで、当時の話をふったら覚えていてくれたそうだ。少し前にあのスタジオの前を通ったが、見当たらなかった。すでに潰れていたのか、場所を間違えていたのか。あれから四半世紀以上経ってしまった。カズシ君、岡崎君は元気だろうか。
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