見出し画像

『1986年のハッスルタイム』text版

80年代に(特に東京周辺で)中高生時代を過ごした男子にとって、とんねるずはスペシャルな存在だった。2人はいつも俺たちのすぐそばにいたからだ。俺が2人の存在を認知したのは中1のときに見た「お笑いスター誕生」。貴明&憲武というコンビで登場した彼らは、軽快なおしゃべりに乗せてポンポンとモノマネを披露。休み時間に先生の真似をして爆笑をさらう同級生のような話芸が新鮮だった。当然である。帝京高校の仲良しコンビが勢いそのままにテレビに登場しただけだったからだ。

従来の漫才ブームとは全く違う新鮮な笑いは、すぐさま中高生たちから支持を得ることになる。2人の快進撃は80年代中盤に入ると加速。「オールナイトフジ」「夕やけニャンニャン」という、女子大生ブーム×女子高生ブームに全乗っかり。老若男女問わず、お茶の間レベルでとんねるずの名前は完全に定着した

1986年には破竹の勢いでテレビを席巻し始めた2人の冠番組「コムサ・DE・とんねるず」がスタートする。江の島にディスコ「湘南ハッスルタイム」を設営し、そこで公開収録をするバラエティである。ヤバい素人がガンガン登場するハチャメチャな内容で、とんねるずらしさ全開。番組の最後に郷ひろみの「誘われフラメンコ」に乗せて出演者・観客入り乱れて踊り狂うのが定番だった。

他の番組よりも圧倒的な熱量を持つ「コムサ」にすっかり魅了された俺は、ハッスルタイムの拡大イベント「ハッスルタイム大会」にエントリー。渋谷のディスコで200人の参加者がダンスを披露し、とんねるずの独断で優勝者を決めるのだ。優勝賞品はアメリカ旅行!

大会当日は2本撮りで、最初は普通の番組収録。ハッスルタイム大会の出場者はディスコの2階に待機させられた。収録を上から眺めながら時間を潰していると、30代後半くらいのオッサンが前から歩いてくる。ちょっと近寄りがたい雰囲気だ。その男は無言で俺の横に座ると、ロケ弁をごそごそと食べ始めた。後から気づいたのだが、「コムサ」はIVSテレビの製作。そのオッサンはディレクターのテリー伊藤だった。そして後から入ってきてテリーに話かけていた青年が、後にソフト・オン・デマンドを立ち上げることになる「マネーの虎」こと高橋がなりだった。

話がそれた。いよいよハッスルタイム大会のスタート。200人の出場者が同じフロアでいっせいに踊りまくり、とんねるずがそれを見ながら目ぼしいダンサーを20人選出。つまり、何がなんでも目立たないといけない。爆音でヒット曲が流れる中、ひとり、またひとりと、とんねるずが指名していく。いよいよ残席はひとつ。万事休すか!

…というところで、石橋が声を上げた。「そこの変なタコ踊りみたいのしているヤツ、来い!」。そのタコ踊りのヤツこそが俺だった。なんと最後の1枠をゲットすることが出来たのだ。お立ち台に引き上げられた俺に、とんねるずが話しかけてくるが、あまりの運動量と2人に会えた感動で声が出ない。すると石橋が「見てください、こいつの汗! すっげぇことになってるから!」。木梨も便乗して「こいつの汗に拍手ぅ」と客席をあおり、そのまま予選が終了した。

20名で争われた決勝は、同い年の女子高生だった。ひたすらでんぐり返しをしてパンチラを連発し、そのたびにとんねるずがガハハと笑うという構図だ。がっかりしたが、おふざけ番組に文句を言ってもしょうがない。

大会から帰宅した翌日、なけなしのバイト代をはたいて7万円のビデオデッキを購入した。生まれて初めての録画予約は、自分の出演番組である。オンエアでは意外にも自分のダンスがしっかりと使われていており大満足。「このビデオテープは永久保存版だな」とニヤニヤしたが、しばらくすると中学生の妹がアニメを上書き録画してしまい、青春の記録はあっけなく霧散した。「ねるとん」「みなおか」前夜、男子中高生のカリスマとして輝いていたとんねるずと邂逅した、高校時代随一のキラキラした思い出だ。

いいなと思ったら応援しよう!