日向坂46の第4章が始まろうとしている。そんな今求められる「おひさまの在り方」とは?
端書き
まずはじめに。
このnoteは、
日向坂の本質を「核」とし、それを明らかにすること。
そして、それを踏まえた上でその「核」を大事にしながらこれから我々オタクがどのように貢献していけば良いのかをグループ優先に考えた内容を記したものである。
また、ここで書かれるものは秋元康のメモではない。
全て完全な妄想であり、事実ではない。想像に基づく、推し活の延長線上にある文章だ。
エンタメとして読んでもらえたらと思う。
もう一度言おう。
ここに長々と書かれていることは決して正解ではないということを最後まで忘れずに頭に入れておいて欲しい。
どんなに考えても正解が出ない不毛な議論。
何に時間を割いているんだ、という話である。
あと、最近はTVアニメ『チ。 ー地球の運動についてー』にハマっており、そしてその登場人物の知的な感じに憧れて、作中の口調にかなり影響を受けていることにもここでは触れておこう。
あと、人物の敬称を省き「それっぽさ」を演出している。
このnoteには、櫻坂46との比較が多く出てくる。
私はおひさま(=日向坂46のファン)だ。
Buddies(=櫻坂46のファン)ではない。
だが、おひさまになったとほぼ同時に並行して追っているので日向坂と同じほどの量の櫻坂の情報を得れているはずだ。
このnoteは、そんな私が日向坂46を櫻坂46とあえて比べることで、日向坂の本質を考えていく内容になっている。
この2つの坂を比べるとどちらかを下げているとされることが多いのだがこのnoteはそうではない。マイナスな面にフォーカスする文章も出てくるがあくまで私は、この2つを重ねることで見えてくる「はみ出る部分」をフォーカスし、
秋元康が組んだ設定の核と、これからの設計図に迫りたいのである。
あなたが何を期待してこのnoteを読み始めたのかは分からないので、このnoteがあなたの期待に応えれるかは分からない。だが少なくとも、このnoteにかける時間を「無駄だった」と思われぬよう最善を尽くした。
ただ、文章力を鍛えるためにnoteを始めた私の文章力はまだ未熟で、それ故ヘンテコな文章になっている気がする。
そんな部分もある。そして、とにかく長い。
ぜひ、目次を利用してもらえればと思う。
(忙しい方は「違いのまとめ」からでも良いと思います。)
このnoteがあなたに何かを残せれば、私は嬉しく思う。
【追記】「後書きの後書き」には、オススメのnoteを貼っています。このnoteを読まずに、そちらを読んで頂いても構いません。悔しいですけど、僕のより圧倒的に読みやすいです😖
印象の真偽
まず、比較をする上で前提を統一しておきたい。
これを読むのはおひさまが多いと思うが恐らく、おひさまの中でも2坂への印象の差異があると思う。
一般的に言われているのは
日向坂46は「明るさ」「親しみやすさ」「バラエティ力」を武器に、見る人を元気づけるグループ。
櫻坂46は「クール」「力強いパフォーマンス」「深いメッセージ性」で、感情を揺さぶる存在。
ではないかと思うのだが、これは正しいのだろうか。
私は正しいとする。
ただ、補足が必要であると感じる。
というのも、日向坂で挙げられている「明るい」「親しみやすさ」はステージ上でのパフォーマンスに限れば確かにそれは日向坂の色であり櫻坂にない要素であるのだが、そこ以外の冠番組やYouTubeで櫻坂は普通に「明るい」し「親しみやすい」。「バラエティ力」もそうで、そこさくを見ていない人にとっては欅坂時代の印象が強いかと思うが今やそうではない。現キャプテンの松田をはじめとするメンバーの頑張りもあり、今やひなあいに勝らずとも劣らぬ明るさと騒がしさがあるし、そして普通に面白い。
面白いというのは個人の感覚に左右されるものであるが、少なくとも「バラエティへの姿勢」は欅坂時代と比べ改善されている。
(ステージ上でも「Anthem time」や「ドローン旋回中」等で笑顔弾けるパフォーマンスもあるぞ!という意見は一旦置いといて欲しい。割合の話だ。)
このnoteは
「明るさ」「親しみやすさ」「バラエティ力」は確かに日向坂の「特徴」にはあたるのだけど、グループとして揺るがない「核」ではないのかもしれない。
グループの「核」と呼べる「他にない魅力や信念」みたいなものは「ハッピーオーラ」ではないのかもしれない。
以前は「核」だと見なしても辻褄があっていても、時代を経て、矛盾が生じるようになることがあるし。
そう!まさに!「チ」で観てる天動説みたいに!(はいはい)
そうなんとなーく思ったのをきっかけに書きはじめたものである。
いきなり話題が飛躍するが、
日向坂と櫻坂はどちらも印象操作、とまでは言わないが。
種花による差別化がされているなと感じている。
日向坂を応援してて「櫻坂みたいにもっと良い曲をくれよ、深い歌詞を書けよ」と思うと思う。
これは日向坂を応援してて「良い曲によって彼女達のパフォーマンスに注目が集まれば、ファンが増えるのではないか」と期待しているからではないだろうか。
櫻坂を応援してて「日向坂みたいにもっとバラエティに出してくれよ、レギュラーラジオくれよ」と思うと思う。
これは櫻坂を応援してて「面白い一面が見つかれば、ファンが増えるのではないか」と期待しているからではないだろうか。
もしくは、ソレが与えられて輝く彼女達をファンとして見たいのではないだろうか。
それは正常な感覚で、彼女達の良さを十分に理解できているファンとして抱くべき感覚だと思う。
でもこれは叶わないと思う。
なぜなら、そうするとこの2坂の違いが無くなってしまう。
同じ会社の、同じ坂道グループ。
分けないと意味がない。
重なっては、意味がない。
差別化を図ることで守備範囲を広く構え、多くのファンを獲得する。
こういうビジネスなのではないだろうか。
(という妄想話。
この文章がオタク一人の妄想推測話ということ。覚えててくださいね。)
この話は改めてするとして。
ここで揃えておきたい前提は、
我々が2坂に抱いている印象は間違っていない。
だがそれは運営が仕組んだ、設定したものであり、
2坂、メンバーの能力自体に大差はなく、
日向坂に出来ることは実は櫻坂にも出来る。
櫻坂に出来ることは実は日向坂にも出来る。
ということ。
確かに、メンバー一人一人得意不得意があり全員に言えることではないかつ、目指せと言われる教育方針や与えられる仕事に必要とされる能力の違いによりジャンルによる優劣はある。中には飛び抜けた素晴らしい才能を持ったメンバーもいる。
でも、基本的にはこれが言えるはずだ。
例を挙げるなら日向坂では『ガラス窓が汚れてる』『期待していない自分』
櫻坂では『ドローン旋回中』『君と僕と洗濯物』あたりだろうか。
与えられるもの次第で彼女たちは「表現者」としてソレが出来る。日向坂に「暗くカッコよめの曲」を与えれば日向坂はソレになれるし、櫻坂に「明るくかわいめの曲」を与えれば櫻坂はソレになれる。
”色々”のほとんどが実は日向坂も櫻坂も出来ることであって、我々が感じている「違い」は、運営に与えられるものによって「違う」レールが敷かれ、そこに従ってグループが走っている故の「違い」なのである。
少し脱線するが、この考え方をすると
グループに起きる諸々は結局はどれも運営の匙加減、運営が定めた方針に依存する「行き着く場所の違い」なのだからファンはお互い自分の坂、推してるメンバーを過大評価せず、また、他所様を見下さない姿勢を持つべきだと思う。
このnoteはこの「基本的にメンバーの能力は変わらない」という考えを元に、そしてどの坂のメンバーもそれぞれ頑張っていることは前提として、「運営が考える日向坂の強み」を推測していく。
(「運営が導く日向坂の道」と言うべきだろうか。)
この時点で私の話に納得できないのであればこの先読んでも時間の無駄だろうから読まなくて良い。
さて、ここからはもっとグループの内側に迫っていければと思う。
「カッコいい」とか「明るい」などの表面的ではない部分を覗いてみよう。
2坂の「今日までの振り返り」を簡単な分析を添えて書きながら、
2坂の違いを挙げていき、
日向坂の「核」に迫っていければと思う。
櫻坂46は「集団の個」
櫻坂からは桜の木に咲く花のように「桜の木」として全体を映えさすことに命を燃やす。自分を輝かせるというよりは自分が属する集団(桜の木)が輝くことを大事にしている。そんな「プロ意識」を強く感じる。
自分よりもグループを、という仕事人、職人感。
理想的ではなく、現実的。というか、そもそも個人では理想すら抱かない感じ。(あくまで「感じ」)
アイドルにあるはずの「私を見て!」がない感じ。
大人数で「1」に成り、「1」を作る「集団の個」。
私にはそんなイメージがある。
この発端は平手友梨奈だろうと思うのだが実際どうなのだろうか。意外にも振付師TAKAHIROの影響なのだろうか。
そこはわからないがこの「プロ意識」が櫻坂の強みでありグループの色だと思う。
完全に「個性を殺す」。
決まった場所で踊り、歌い、表現をし、魅せる。見せる。
『2nd TOUR As you know?』のオープニングの演出。
凄く好きなのだが、これは作品を魅せるというグループの色が存分に出た演出だなと感じている。
櫻の幹
「完全に個性を殺す」
これが功を奏し今の櫻坂がある気がする。
振り返ってみれば、欅坂時代の「平手が8作全てでセンターを務めた」という偉業はこの精神に由来するのではないか。
欅坂をリアルタイムで見れていない人間の、欅坂に抱くイメージで話すが
平手以外のメンバーは平手の背景になる。じゃあ、平手はのびのびやってるのかというとそうでもなく、曲の世界観を最優先にするために、自分を殺す。
演者だと言えるかもしれない。
皆が「完全に個性を殺す」ことにより、秋元康の描く世界観を、作曲家の創る世界観を、振付師が設計する世界観を最大限に引き出す。
一瞬で見るもの全てを引きずり込むあの引力は個性を殺し自身をその世界観に捧げることにより生じたのではないか。
これが私の考えだ。
そしてこれは平手が去った後の櫻坂にも引き継がれたと言える。
欅の幹が、櫻の幹として確かにそこに残っているのではないかと。
なぜかというと、今の櫻坂はパフォーマンスで個性を殺すことによって、「グループの色」と「メンバーの色」がそれぞれ独立し非常に都合の良いようになっているのである。
俗に言う「ギャップ」が自然発生するのだ。
そこさくをはじめとしたバラエティ番組では弾ける笑顔を振りまいて、パフォーマンスではバチっと決める。
どちらから入ったとしても出会ってしまうもう1つの表情。
「そりゃあ、惚れるわ」というシステムである。
秋元康は「プロデューサーは1を100にする仕事であって、0に1を与える仕事ではない」ということをたびたび言っているのだが、この精神にいつも通り則って生まれたのが欅坂だ。当時の彼女達の「大人を恨んでいる感じ」を100にして欅坂を形成した。
その後改名をすることになり、櫻坂46という"新たな"グループが生まれたのだが、1期生も多く残っているのもあって確かに歌詞に変化はあったものの櫻坂は「欅坂の血」が流れているグループになっていった。
さらに言えば「個性を殺した」ことによりあの集団、あの存在が「絶対的センター平手率いるグループ」などではなく「異色の坂道アイドル欅坂46」という明確なイメージを持ちながらも非常にふわっとしたものとして伝説的な記憶の残り方をしていることにより、どこかに「欅の存在」を感じる歌詞が紡がれていった。
それは今でも変わらない。
「櫻坂」というグループにとって「欅坂」というグループは欠かせない大切なものだから今も大切な過去だし、これは恐らくいつまでも、櫻坂が欅坂を超えて、欅坂をちっぽけな過去と位置づけて忘れるまで続くと思う。
しかし、時が過ぎどうなったのかと言うと、先述した通りメンバーがバラエティに前のめりになった。欅時代はああだったけど、櫻坂になって少しずつ笑顔が出てきた。
今や日向坂に勝らずも劣らぬ騒がしさがある。
そして面白い。
彼女達、特に松田キャプテンをはじめとするメンバーの頑張りもあるが、単純にグループ誕生時にいた欅坂1期生といなかった2期生の性格、空気感の違い、と感じているのだけど、まあそこらへんの分析はBuddiesにお任せするとして。。
とにかく。
「個性を殺す」という欅の幹が今も大事に櫻の幹に残されていることにより
作品はメンバー個人の感情が一切影響を及ばさない完全な創造物として漫画のような「統一性」があり、
メンバーが入れ替わった今、個性を存分に表に出す。
アイドルとして「ギャップ」が生まれるシステムが出来上がっていると思っている。
櫻坂46起死回生の3部作
「櫻坂は2022年末の紅白に櫻坂としてはじめて出場できなかった」ということだが、これは、私としては意外すぎることだった。
坂道アイドルを追っていない当時の私でも欅坂は知っていた。そして、そのセンターが脱退したということも知っていた。
それから先は全く知らなかった。
全くだ。
改名したことすらだ。
だからこそ、全く知らない櫻坂というグループがそれまで出場できていたことが意外すぎることだった。
恐らく、欅坂時代の勢いの余った勢いで出場できていたのだろうと思う。
だが今日まで色々と見てきてみるとこの「紅白に出場できなかった」という事実は同時に、「完全に欅の血が薄まり消えた」という証明になったのではないだろうか。
欅坂の衝撃による余震が完全におさまったことの証明になったのではないか、と。
だが当時の心境を推測するに、「グループの勢いが完全に止まった」という見方をするのが普通か。
自分はそんな見方をしていないが、櫻坂がその時落ちていたとして。
そんな櫻坂が復活した要因は何なのだろうか。
私は「Start over!」「承認欲求」「何歳の頃に戻りたいのか?」の3作を3部作として見ている。
これは「坂道白書」での加藤ヒデジン氏の「“人間三部作”」という発言にも、違いはあれど少し、関連すると思う。
この3部作を今回は語りたい。
なぜなら、櫻坂復活の要因として「Start over!」が特筆されている印象があるが個人的に、復活要因はこの3部作だと考えているからだ。
欅坂の再現『Start over!』
Start over!
作曲は黒い羊を作曲 ナスカ
センターは平手と同じ憑依型 藤吉夏鈴
櫻坂としては初、欅坂時代以来の 全員選抜
Start overは「やり直す」という意味だ。
この「やり直す」は歌詞では人生を後悔する主人公が描かれているが3部作の視点で見ると「欅坂をやり直す」という見方が出来る。
この曲の間は体内に欅坂の血を流す。
さらに言えば、「今のメンバーで欅坂に勝負する」わけだ。
また、振付には今作までの作品以上の「センターの存在感」を感じる。
特に、1番サビの全メンバーを土台とし藤吉が座るあの部分は視覚的に過剰に欅坂を再現しているようにも思える。
センターと「引き立て役B」の構図だ。
櫻坂の始まり『承認欲求』
センターは櫻坂の初期の大事な時期にセンターを任された森田ひかる
そしてタイトルは「承認欲求」
歌詞の中はSNS時代の承認欲求を皮肉る歌詞になっている。
だが3部作の視点で見ると今作は「欅坂の再現」の後に位置し、そう捉えるとこれは櫻坂の初期の再現であり、その心情は「欅じゃないグループとしての承認欲求」なのである。
それを真ん中にあの森田を立たせ再現する。
正直痺れる。
追いついた8枚目『何歳の頃に戻りたいのか?』
欅坂はシングルを8枚目までしかリリースしていない。
グループにとってとても意味のある数字「8」を任されたセンターは"欅坂最年少" 山﨑天
3部作の3作目として、最もメッセージを表立たせている気がする。
欅坂に追いついたことの宣言と、これからまさに超えようとしている瞬間を山﨑は立派に表現したと思う。
「間奏の振付を毎回アドリブ」としたTAKAHIROが山﨑に期待するのは、「完全以上の振付」をやってのけた平手を「振付以上の振付」で超えることではないか、と勝手に想像しちゃってアツくなってるのが私です。
このシングルではじめて、選抜に1期生がいないという事もこの説を後押ししている。(小池の休業により不完全だが。)
(そんなことを考えていくと、スタオバの前にようやく桜が含まれる『桜月』を出したことにも意味があるのかもしれない。。
けど今回は割愛。)
と。
こう言ったものの、これは完全な妄想なので「考えすぎ」になるのかもしれない。だが、「こういう仕掛けがあるんじゃない?」と思ってしまうのは「櫻坂だから」である。
この3部作は上述した「作品の統一性」が可能にしたものである。
作品と作品が繋がるこの手法は様々なアーティストがやっていることだが、アイドルグループでこれをする印象はあまりない。(たしかBTSがアルバムでしてたかな?)
自分はアイドルに詳しくないし、さらに乃木坂に関してははノータッチなので普通に前例があるかもしれないけど。
少なくともこれは、日向坂になくて、櫻坂にあるものの1つとして挙げれるだろう。
僕の知る限り公式からこの「3部作」についての説明はないので、あくまでこれは僕の妄想話であって真実ではないのだけど。
それでも今回は、
この「作品の統一性」を可能にする「個性を殺す」という色を
日向坂になく、櫻坂にある「違い」の1つ目としておこう。
櫻坂46のパフォーマンスを「集団の個」と思う理由は「個性を殺す」から。
付け足すと、どちらのグループもパフォーマンスに全力であるという事は共通している。ただ、その”全力のなりかた”みたいなものが違う気がしている、というわけだ。
ではその”全力のなりかた”。櫻坂が「個性を殺す」までの全力さでパフォーマンスをしているのに対し、日向坂はどのような全力をパフォーマンスにぶつけているのか。。。。。
日向坂46は「個の集団」
日向坂は1人1人に陽の光を浴びさせる。
誰かが輝くために犠牲が出ることを良しとしない。
現実的ではなく、理想的と言おうか。
日向坂は個性が強い。
あえて言えば「まとまりがないグループ」だ。グループカラーを一言で言い表すには、幅がありすぎる。
「1」が集まる「個の集団」
私にはそんなイメージがある。
日向坂には「各々がのびのびと」という感じが見える。
「素材」で勝負している感じだ。
タレントが集結してアイドル活動をしている感。
一応言っておくが、櫻坂が残酷で闇深いグループであり、日向坂が無謀でプロ意識が欠けたグループであるということを言いたいわけではない。比較した時に特徴として出てくる個性を分かりやすくするためにやや大袈裟に言っている。
この印象はやはり「レギュラーラジオ」からくるものだと思うのだがどうだろう。
ラジオはパーソナリティのパーソナルな部分が見えてくるものだと感じている。一人喋りのラジオなら余計にだ。
番組を持っているメンバーについて、自身のエピソードや感じたことを本人の声で詳しく聴け、知れるから、そのメンバーのイメージを構成する要素が増え、「個」1つに抱く思い入れが強くなる感じ。
それにより、日向坂を「個の集団」と感じている。。。。。
いや、この印象は今は無き「全員選抜の過去」からきているのだろうか。必ず全員が一度は前に出てくる構成が、「全員に光が当たる印象」を与え、日向坂を「個の集団」と見ているのだろうか。。。。。
いや、
ここまで書いて、私は止まることになる。
おひさまであるにも関わらず、櫻坂について述べた上の『櫻坂46は「集団の個」』はスラスラ書けたのに、日向坂になると書けなくなった。
櫻坂でいう「個性を殺す」というものが、日向坂にもあるはずなのに、これが全く見えてこない。
これを読むあなたは、どう考える。
「日向坂はメンバー皆に光が当たる」という感覚はどこから来ているのだろうか。
「ハッピーオーラ」という言葉が日向坂を言い表すのに頻繁に使用されるのだが、私はそうは思っていない。
というのも、もし本当に日向坂の核が「ハッピーオーラ」だったら、あんなドキュメンタリー出さないだろう。
恐らく、確かにハッピーオーラのグループではあるけれど、「核」は恐らく別の何かだ。
なんだろうと考え続けた結果、1つ見えたものがある。
グループのその時々に注目すると、見えてきたものがあった。
そしてそれは「櫻坂との比較」によって見えてきたものである。日向坂について解き明かすために、櫻坂との比較が私には必要だったということを、ここに記しておこう。
姉への憧れ
日向坂の歴史は結成から今日までを大きく3つに分けれると考える。
第1章を結成からデビューまで
第2章をデビューから東京ドームまで
そして第3章を東京ドームから今年(東京ドーム公演)まで
というような感じである。
今度の東京ドーム公演の終演と同時に、日向坂の第4章がスタートする。
振り返ってみて私は
日向坂が歩んできた道が、メンバーの意志に左右されていることに気づいた。
けやき坂時代に「「今」から変わりたい!」と願ったからデビューという形で動きがあり
東京ドームでライブをしたいという意志がメンバーを東京ドームまで導いた。
そして、東京ドームから今日まで。
恐れず言えば、第3章の間、今までは持ち続けれていた目標がなかったのではないかと思っている。
『坂道白書』での今野義雄氏の日向坂評にも以下のような言葉があった。
当時、「慢心」という言葉におひさまが怒っていたのは記憶に残っている。
僕も同じで、彼女たちに慢心があったとは言われたくない。
だが、「チームとして迷いがあったのかもしれない」は、本当かもしれない。
これはHappyTrainTour横浜でキャプテンも話してた。
日向坂にとって、2023年は揺れた1年だった。
Wikipediaを見るに、この年は「4期生おもてなし会」が最初のイベントで、曲で言えば『One choice』『Am I ready?』『君は0から1になれ』の年である。
「揺れた1年」と言ったが何に揺れたかというと、細かいものはいくつかあると思うが1番は「4期生の本格加入はいつか」というのが大きな波を生み、これにより揺れていた。
4期生ファンからは「早く合流させろ」という声が上がり、全員選抜派からは「全員選抜崩すなよ!」的な声が上がり、界隈には荒波が起きていた。
あと特筆すべきは、楽曲に対するネガティブな評価が多かったことだろうか。。。
かなり話が逸れている印象を与えそうなので、先に僕の結論を書いておこう。
「日向坂が全員に陽が当たる個の集団と捉えられる理由」。
それは、「日向坂が末っ子だから」である。
もう一度、上に書いた内容をなぞろう。
末っ子である「けやき坂46」は、姉たちの「デビューしている状況」に憧れ、デビューを望んだ。
末っ子である「日向坂46」は、姉たちの「東京ドーム公演」に憧れ、東京ドームを目指した。
これ。
この考え方である。
さらに言えば、望まぬとも叶っていた「憧れ」があったと思う。
紅白歌合戦やレコード大賞、シングルの初週売り上げ記録など。
目指そうとする前に叶っちゃってる。
日向坂46は末っ子。
そして、末っ子と言えば「ねだれば、叶う。我慢をしらない。甘やかされる。」
兄弟の末っ子と同じようなことが、グループの末っ子として起きていたのだと思う。
櫻坂と日向坂の違い2つ目。
憧れてきた存在が、過去なのかか、今なお歩む他坂(現在)なのか、である。
では、話を戻そう。
日向坂46の第3章(東京ドームから今年まで)は、憧れから生まれる「夢」が全て叶った後の物語なのである。
「東京ドーム」という、(坂道ファンはちょっと麻痺してるけど、)日本一のステージに立った後、他のお姉さんグループから羨むものが無くなった。
もちろん、先輩として、特に乃木坂姉さんには「トップを守り抜いている凄さ」などはもちろん尊敬に値するのだけれど、具体的な憧れる「何か」が無くなっていたのではないだろうか。
今まで目標を聞かれたら「東京ドーム」と答えれば良かった。グループとしても、個人としても、嘘偽りのない「夢」としてそれがいてくれたからそこに向かって走ってきた日向坂が、
2023年は初めて「夢」がない状態でスタートした。
俗に言う「燃え尽き症候群」。
リトルトゥースお馴染みのアレである。
「憧れ」というところから「夢=目標」を見つけ、それを燃料としてきた彼女達にとって、次の目標探しを急かされた2023年の1年間。
でも、先述した通り、日向坂にとって初めての試練なのでこれがなかなか難しい。
そんなグループとしての「変化の瞬間」を乗り越えるのに運営が期待したのは、新参者の4期生だった。
新参者に課せられた試練
何かガラッと変化させてくれると。
何かきっかけを与えてくれると。
そんな期待をかけられた4期生がぶつかったのは、「全員選抜」という唯一無二の日向坂の「個性」だった。
変化をもたらすには、表題曲に加わるというのが最も分かりやすい。グループ内でも、見ている我々外からでも、分かりやすい変化になる。
だが、それを妨げる「全員選抜」。
結果として、選抜制に変わったことが
運営にとっては全員選抜が日向坂が失ってはいけない「核」ではなかったということを結論づけるのだが、私もそれまでは全員選抜が目に見えるグループの「核」だと思っていたので、4期生を責めるつもりはもちろんないのだけれど、選抜制の導入にはとても驚いたし、そして少し残念に思った。
少し上から目線になるが、あの時。2023年のグループの問題、課題は「次の目標を見つけること」であり、「4期生の活動を本格化すること」ではなかった。
「4期生」に気を取られすぎていたと思う。
そしてその原因は紛れもなく「櫻坂との比較」だ。
完売表に表れる正源司の凄まじい人気が呼び込んだ声でもあるが。
櫻坂3期生が『承認欲求』から選抜入りしたため、2023年末から結局、2024年に「君はハニーデュー」への選抜入りが発表されるまで、叫ばれることになる。
櫻坂は前作のStart over!で全員選抜を逆導入した後だし、跳ねた直ぐ後だし、と言う感じで新参者を選抜入りさせる「余裕」があった。
一方日向坂は2022年末の紅白に出場できたとは言え、歌唱曲は「キツネ」。その年の活動が評価されたというよりは、その年流行した「きつねダンス」のおまけとしての登場で決して勢いがあるとは言えない状況。
まして、櫻坂と違い、日向坂は全員選抜という型を崩さないといけない。
そんな大革命を起こす余裕が日向坂にはない。
という違い。
ただグループとして早くその時がきた“だけ”なのに、そこを取り柄に櫻3期を褒め、日向4期を貶したアンチ。
今思い出すだけでも腹が立つが。
何度も言うが、冒頭に書いた通りメンバーの能力に大差はない。
それなのに。
明らかに。
4期生に浴びせられた言葉の数は
おかしいことになった。
これにより生まれる負のオーラ。
運営の作戦は失敗に終わった。
運営の理想は、4期生アンチにより消えた。
(もうダメだと思っていたけど、あの背水の陣で新参者でしっかり力を見せつけたのは本当に天晴だった。)
空回り
末っ子故に生じた「目標を見つけられない」という時期に突入したことによる停滞感に加え、4期生の合流を巡る不穏な空気感。
これにおひさまは何を願うかというと「一発逆転」。
そう。
櫻坂が『Start over!』で成し遂げた「一曲逆転」である。
どうやら、私たちおひさまもファンとして末っ子の部分を引き継いでいるらしく、
姉が出来たことを自分にも出来ると思い、それを望んでしまうみたいだ。
それにより、2023年はシングルに求める何もかものハードルが爆上がりした。
歌詞、曲、MVなどにStart over!級のクオリティを求めるようになっていった。
これにより、楽曲に対するネガティブな評価が多くなっていく。
何故かというと、『Start over!』が成功に至った理由を考えればすぐ分かるのだが、あれは様々な要素が完璧な揃い方をした「奇跡」のような作品であり、狙ってできるようなものではない。
櫻坂初期から森田、山﨑と並んでセンター曲を与えられていた藤吉の待望の表題曲センター
坂道ファン、音楽ファンを越え、普通に「強い」曲を生み出せたナスカ
秋元康の(本人の気持ちに関わらない本気より上の)覚醒
MVのインパクト
ジャケットのインパクト
衣装のインパクト
そして何より、グループの歴史を踏まえたかのようなテーマを持つ歌詞。
個人的には、坂道史上最高の一曲である。
こんなものは、いくつも作れはしない。
でも私たち末っ子は「奇跡」を望み、届けられる「限界」にキレていたわけだ。
事実、今になってみればあの年の「One choice」「Am I ready?」「君は0から1になれ」は普通に良い曲だ。
あそこまで怒られる楽曲ではない。
「怒られる楽曲」ではないものの、
「新規を獲得できる楽曲」ではないけど。
(櫻坂はカップリング含め、新規獲得ができそうな楽曲が多い。)
末っ子故に生じた「目標を見つけられない」という時期に突入したことによる停滞感に加え、他坂との比較による4期生の合流を巡る不穏な空気感。そして、『Start over!』を当然超えれない楽曲に対するマイナスな声。
ハッピーオーラなどありゃしない。
これが私が思う2023年の日向坂だ。
「バラエティの日向坂」
でも実は、
確かに「日向坂46号」は停滞してたけど、
個人個人の小船には確かな帆が立ち、各々大活躍なように思えるのは私だけだろうか。
レギュラー番組は継続してたし、外番組に何かしら出てたし。
個人船はずっと活躍、推進してる感じ。
確かに2023年はグループとして暗い1年になった。
でも、個人としては別に暗くなかったのではないだろうか。
これはやはり、2022年末の影山優佳の大大大活躍が皮切りになったに違いない。
私がおひさまになったきっかけの人物だ。
もはや偉人である。
個人船・影山号の意味不明な規模の活躍は、グループいや、他の個人船に大きな影響を与えたはずだ。
自分の「好き」が仕事に繋がった実績が、彼女たちを後押しする。
ワールドカップ前からサッカー系の番組に出てただろうけど、
仕事は与えられるだけじゃなく、取りにも行ける
ということを彼女は示したのではないだろうか。
そんな自分の『好き』をアピール場として最高の環境が出来たのも2023年。
日向坂ちゃんねるの開設がまさに、2023年である。
2023年の頭に、異様な沈黙が続いた日向坂にとってとても幸せなニュースだった記憶がある。
日向坂ちゃんねるの開設(初投稿)は2023年4月19日
櫻坂チャンネルの開設(初投稿)は2023年5月1日
開設の差は11日しかないのだが、動画の本数は2024年11月25日現在
日向坂は177本なのに対し、櫻坂は111本。
比べてみて分かるが、凄い恵まれ方だと思えないだろうか?
SNSという点で言えば確かに
Spotifyの説明文やアー写を見て分かる力の入れなさだったり、
TikTokの停滞感だったりを頻繁に指摘されているが、
なぜかここだけは恵まれている。
これが何を意味するのだろう、という考察の時間だ。
私は、日向坂と櫻坂とではチャンネルの利用の仕方に違いがあるように思える。
具体的言うと
櫻坂の動画からは「裏側」というような「メンバーのプライベート感」を感じるのに対し
日向坂の動画からは「やってみた!」というような「小規模バラエティ感」を感じる。
もちろんどちらにもそれらはあるが、割合の話だ。
「そこ行くの?だったらちょっと撮ってきなよ」な櫻坂と
「これやってくるんでカメラ回させてください」な日向坂。
という感じ。
言い換えると櫻坂チャンネルが「ファンへの提供」なのに対し
日向坂ちゃんねるが「ロケ(企画)」という感じなのである。
(個人的には「放送作家松田好花」は日向坂ちゃんねるの過激版というイメージだ。)
これが何を意味するのか?
もちろん推測になるが
櫻坂は「個人の発信」なのに対し、日向坂はこのテーマでロケ行けます、仕事できますという「外へのアピール」なのだ。(もしくは、「ロケの練習」の場。)
これらにより
運営は日向坂の強みは「ロケ」つまり「バラエティ」としている
と推測する。
そもそもなぜ、坂道ファンの間で「日向坂はバラエティ」と言われ、位置づけられるようになったのかの推測だがこれも恐らく「末っ子だから」である。
けやき坂時代はチャンスすらなかった彼女たちは「与えられたチャンスを逃さない」というようになっていきあのがむしゃらさを習得した。どうやらここでも「姉たちへの憧れ」がここでも燃料になっている。
その姿勢で何事にも頑張っていると、「バラエティ」で結果を残すようになる。
これは私が思うに、「姉たちとの比較」により得た評価だと思う。
上品な乃木坂。
当時、パフォーマンス全振りの欅坂。
それに比べるとひらがなけやき、日向坂はツッコミどころがある「元気さ」があり、それがバラエティへの「全力さ」と合わさり他坂にない魅力としてイメージが定着していったのではないだろうか。
そしてこの明るさ、元気さは秋元康が欅坂に見た「大人を憎んでいる感じ」にあたる、日向坂1期生がもっていたグループの色だろう。
この「運営は日向坂にバラエティで期待をしている」という考え方をすると色々とつじつまが合ってくる。
バラエティ、ロケはTikTokやSpotifyではアピールできない。
別にバラエティが強い日向坂に強い曲、良い歌詞はいらない。
良い曲、良い歌詞はパフォーマンスを強みとしている櫻に回した方が良い。
日向坂をバラエティ番組に送り込めば良い。
ラジオレギュラーを与えればいい。
ほーら綺麗。
「末っ子にはバラエティ面で優遇してるから良いじゃない。」ということだ。
そしてこれにより
グループ船より多くの個人船の活躍報告が届くため、「タレントが集まってアイドルをしている感」つまり、「個の集団」というイメージに辿り着くのではないだろうか。
運営を悪と言うつもりはない。
実際バラエティ、テレビ出演、ラジオレギュラーという部分はとても恵まれている。
ありがたい話だ。
そしてこのことを分かってるおひさまは多いはずだ。
日向坂と櫻坂の違い
3つ目は「バラエティの日向坂」と「パフォーマンスの櫻坂」
違いのまとめ
文章が荒れに荒れ、ぐちゃぐちゃっとしてしまっているが
ここまでに挙げてきた日向坂と櫻坂の違いをまとめると
櫻坂は個性を殺す。日向坂は◯◯◯◯。(←結局分からず)
憧れてきた存在が過去(欅坂)か、他のグループ(姉たち)か。
運営が力を入れているのがパフォーマンスか、バラエティか。
ということを1→2→3の順で見てきたのだが。
まずこの2坂、だいぶ違うなということが分かる。
そしてそれに伴い、グループに求めるものが違わないとおかしいなと感じる。
ないものをねだるより、今あるものに感謝するのがいつ、どの立場であっても言えると思うのだが、それはおひさまという立場でも言える。
「自分が好む理想の楽曲」が与えられないことを恨むより、今既に与えられている「バラエティ面での優遇」に感謝するべきだ。
では、、、、だ。
ではなぜ私たちは
バラエティでこんなに優遇されているのにどうして
強い楽曲を望み、良い歌詞を望み、というように「音楽の面」を求め、こだわるのだろうか。
上で「櫻坂には新規ファンの獲得が見込めるような楽曲が多い」と述べたが、こういう楽曲を望むのはなぜか。
それはもしかすると、「メンバーの本心」に影響を受けているのかもしれない。
メンバーの本心と運営方針の乖離
「ライブで最強になりたい」
「紅白に出場できず悔しいです」
そんな言葉が印象に残っているのは私だけではないだろう。
どうやら私を含めオタクというのは推しているアイドルの夢が叶うのを応援するらしい。
まるで自分ごとのように、本気で望む。
この2つには「良い曲」「良い歌詞」「良いダンス」が必要になってくるということはすぐに分かるだろう。
だから僕らはこれらを望む。きっとこれからも変わらないだろう。
ここで気づいている人もいると思うが
ここで「メンバーの本心」と「運営が思う強み」に乖離が生じている。
もちろん、「運営が思う日向坂の強みはバラエティである」というのは私の完全な推測であるため事実とは言い切れないのだが、仮に本当だと仮定した場合、乖離が生じる。
メンバーは雑誌などのインタビューで「1番はライブが好き」と答える。それくらいにメンバーは「ライブ」が好きであり、「ライブ」にもっと上を求めているはずなのだが。
これは、運営の方針(仮定)と離れたものになる。
では、メンバーは「お門違いな夢」を持っているということなのだろうか?
もしかすると運営という立場から見ると「諦めてくれ」という感じに思われてても不思議ではないのだが、私はお門違いだとは思わない。
なぜなら彼女達はアイドルだ。
ライブが本職なのだ。
バラエティは卒業しても出来るでも、ライブはアイドルである「今」しか出来ない。
「今」しか出来ないことを求めるのが正常だし、アイドルとしてライブにこだわるのは当然のことである。
でも結局彼女達は、運営次第の場所にいる。
「バラエティ」にはオファーがあるが、良い曲を貰えるかは運営次第だ。
その運営はパフォーマンスの櫻坂、バラエティの日向坂と分けている張本人。
どうしようも出来ない。
彼女達の夢、つまり、私たちの夢、「ライブで最強になる」や「紅白への返り咲き」は「曲」を理由に諦めないといけないのだろうか。
日向坂46の核
ここからが本題。
ここまで
日向坂と櫻坂の比較をし、それにより見えてくる運営の方針。
そして気づく日向坂のバラエティの優遇、楽曲の不遇。
これらを書き綴ってきた。
改めて言うがこれは私の妄想であって必ずしも事実ではない。
ここまでの考えでは出来るだけ現在の日向坂の立ち位置や今までの歩みを踏まえそれらが辻褄が合うように自身の考えを誘導し、結論出してきたが、それでも、矛盾が生じる点がいくつか存在する。
一番は、運営が「日向坂のパフォーマンス」を捨てたのであれば、選抜制を導入したことにどデカいクエスチョンがつく。
他にも色々あると思うが、どうかこのnoteをエンタメとして見なし、見逃してくれればと思う。
ここから考えるのは日向坂46の「核」。
揺るがない強み。
これから大切にしたい個性だ。
ここまで沢山書いてきたが、私はここにフォーカスしたい。
ここに日向坂の「核」が潜んでいる。
「バラエティの日向坂」という印象が彼女達を苦しめているということは言うまでもない。
バラエティの現場に行けば、そこには笑いで生きているプロの芸人がいて、それにアイドルが敵うはずがない。
そこではなく、「全力さ」がグループの「核」ではないか、と思った。
『坂道白書』の今野氏のインタビューでも4期生の『新参者』を振り返り、このように書かれている。
少し踏み込みたい。
ここでの「向かい風」は前述した通り、「他坂との比較」によるもので、そしてそれは日向坂が「末っ子」だから起こるものである。これはグループが誕生したその時から今までずっと変わっていない。
末っ子だから、姉たちと比べられるなどして「悔しい想いをしながらも、全力で頑張っていく姿」。
もしかするとこれが日向坂の「核」なのかもしれない。
これは、どの時期、どのメンバーにも共通して言える。
これが、「核」なのではないだろうか。
坂道三姉妹という構成上、「比較」というものは続く。
そして「悔しい想いをしながらも」という「比較」という変えられない部分に由来するものが「核」だから、あのようなドキュメンタリーが我々に提供されるのではないだろうか。
その「悔しい想いをしながらも」という部分が「核」だから、「全力」というアイドルにとって当たり前の要素が、それにも関わらず日向坂の特徴として挙げられるのではないだろうか。
そんなことを思って、
「悔しい想いをしながらも、全力で頑張っていく姿」という「ハッピーオーラ」に変わるグループを言い表す言葉で、私は結論を出す。
日向坂46の核は「悔しい想いをしながらも、全力で頑張っていく姿」。
これから始まる日向坂46の第4章
末っ子の日向坂がぶつかっていた壁は「自分で目標を探すこと」。
グループとして、他のグループに憧れる時期を終え、独自の路線を求められている状況。
そんな悩みの渦に飲まれる日向坂を救いだすことになったのは宮崎県。
ご縁だった。
2024年、日向坂は「ひなたフェス」をきっかけに目標を見つけたのかもしれないと感じている。
あの頃の確かな手応えと充実感はファンも、メンバーも同じ方向を向いたことの表れだと思う。
もう間もなく、新しい章が始まる。もうグループとして目指すものは見えたはずだ。
「日本中にハッピーを届ける」
そうと決まれば走り出すのみだ。
(13thシングルについては、別のnoteで書きます。)
残された課題
走り出そうと思ったけど、
その前に解決しときたいモヤモヤがある。
特に「新規ファンの獲得を見込める楽曲を貰いたい」というおひさまの総意。
これは正直叶えたい。
いくら運営が「日向坂はバラエティ」とジャンル分けしているとは言え、さすがに櫻坂贔屓すぎる。
(個人的には特に、「日向坂46」というグループに『五月雨よ』のような「天気」がテーマの曲が欲しい。櫻坂の表題曲ではスタオバより好き。)
そして何より、メンバーの目標を叶えたい。
じゃあ、僕らはどうすれば良いのだろう?
君のため何ができるだろう?
これからのおひさまのあるべき姿
秋元康は「坂道白書」でこのような発言をしている。
最初読んだときは「ほんとかぁ〜?笑」と思っていたが、これはマジだ。間違いない。
日向坂のストーリーはファン(アンチ含む)次第で大きく左右する。
昨年のツアーで空席があった、などが分かりやすい例だ。
我々が日向坂のストーリーに与える影響は想像以上にデカい。
そこでだ。
これを逆手に取ろうではないか、という話だ。
未来は僕らファンによって変えられるかもしれない。
最後の比較になる。
おひさまとBuddiesの比較だ。
伝え聞いた話になるが、
櫻坂の紅白落選以降、Buddiesは頑張ったという。それに対し「メンバーの頑張りだ」という人もいるだろうが私はマジで、Buddiesも頑張ったんだね、と思っている。
嘘みたいな話で、私はBuddiesが具体的に何を頑張られたのかはすっかり覚えていないのだけれど(笑)、音楽賞の投票などのSNS指標を頑張ってた気がする。
では、この姿勢を倣おう。「これ」ではなく、「この姿勢」を倣おうではないか。
Buddiesのこの活動が実を結んだ理由は、私が思うに2つだ。
まず1つ目。Buddiesの大多数がこの取り組みに共感、協力したこと。
そして2つ目がこの活動の目標が「現実的」だったこと。
これは、入選してもおかしくない楽曲を貰えていたことによる「自信」だと思う。
これを日向坂に置き換えた時に、どう言えるのか。
正直私の感覚ではあるが、前述してきた通り、日向坂の楽曲で「勝負」は出来ない。アイドルファン向けならまだしも、「カッコいい」でも「オシャレ」でもない歌詞を授けられるのだから普通のアーティストとの勝負は、今のトレンドを考えると無理だと思う。
さらに言えば、今「キュン・ドレミ路線」が来たとしても、それがヒットチャートで輝けるのか、というのも、今のトレンドを考えると微妙なところである。
付け加えると、曲入りで新規ファンの獲得は無理だろう。
そんなおひさま、いるか?
たまに聞く。
「『青春の馬』の歌詞に受験生の時勇気づけられておひさまになりました」みたいなの。
でも滅多に聞かないし、これから青春の馬級の楽曲が来るとは思えない。(日向坂の曲に対する期待値が低い。)
アイドルの楽曲は曲だけではなく、それを歌うアイドルによって価値が足されることがほとんどで、日向坂は完全にそれ。(「音楽番組で一目惚れ」がまさにこれに当たる。)
逆に櫻坂は楽曲(歌詞)だけで十分力があると思っている。これはもちろん個人の感覚ではあるが、サブスクで櫻坂を流し聴きした時に、いくつもプレイリスト入りが決まったという日があった。(これがキッカケで私は櫻坂も平行に追っていくことになる。)
これを踏まえると、おひさまがBuddiesの真似をして同じように成果をあげれるとは考えにくい。
坂道やアイドルという狭い世界ではなく、「芸能界」という広い世界を抜けて「未来のおひさま」に届けられる日向坂の強み。
それを「外へのアプローチ」という項目で見た時に挙げられるものは何だろうか。
それはやっぱり、運営が推している「バラエティ」ではないだろうか。
なんせ、「日向坂で会いましょう」きっかけのおひさまが多いじゃないの(#おひさまになった経緯)。
私が描く「おひさま化ほいほい」はこれ!
外番組で日向坂ちゃん発見
「日向坂で会いましょう」で◯◯ちゃん出てない回も観ちゃうな〜
ドキュメンタリーエグい
これである。
これが一番強い。
そして何より、チェックメイトの3がすでに2本揃っているというのが何よりの強みだ。(そろそろ3本目くるでしょ)
3のドキュメンタリーこそ日向坂の「核」を痛いほど感じられるものである。
メンバーの「苦しみ」をドキュメンタリーで美化して、ファンの増加に活かさないと、メンバーが苦しんだ意味がないのではないか。
残酷だとは思う。
でも、日向坂の「核」を「悔しい想いをしながらも、全力で頑張っていく姿」と結論づけた私にとって、この考えに行き着くのが「正解」だと思っている。
近年SNS系の指標を気にする取り組みは色々あるが、私は結構どれも「面倒だ」と感じる。そして、「無理をしないこと」が大事と言われる中、「無理をせず、指標を安定させる」にはファンの母数増加を目指す他ない。
だから、「おひさま化ほいほい」に誘導することが今の私たちに出来る最善策なのではないか。
では、具体的に私たちに何ができるのか。
私は「TVer」の高評価や「X」でのトレンド入りではないかと考える。
言い換えるなら、重視するべきは「制作のお気に入り」になることだ。
理由と理想を簡単に言うと
既に日向坂に多く出演機会を与えられている
トレンドや高評価数で結果を残すようになる
出演が増える&日向坂の評価が上がる
「日向坂は数字を持っている」という状態
冠番組が面白いらしい
地方局でも放送しましょう!
全国おひさま化
ファンの母数増加
MVや音楽チャートの指標が自然増加&ライブ定員限界
運営内部「ライブに強い曲を与えてはどうでしょう?」
激強楽曲の降臨
ファン増加
まあ、理想すぎる。でも、ありえなくはない話ではないか?
2のトレンド入りTVerいいね数を頑張ることで、
「おひさま化ほいほい」のひなあいが全国解禁。
そして夢の「激強楽曲」という流れである。
どうだろうか。
おひさま皆は何を思うのだろうか。
これを抜きにしても、TVerの高評価数は少なすぎるので気にしたほうがいい。
特にひなパレ。
冠番組なんだから、もっと数字で感謝と応援の気持ちを伝えないと、伝わらない。
今やCD売り上げはファン数を示さない。
恐らく、そういうSNSの数字の方が、ファン数を示している。
SNS系の取り組みに面倒だと感じている私が今実際していることは、バラエティ番組をテレビで見ないということ。
リアタイを諦めたということだ。
理由としては、僕は2回観る、ということにかなり抵抗感がある。MVを回すとかもそうで、どうしても時間の無駄だと感じる。
だから、TVerで1回目を迎えることでその問題を解決している。
さらに言えば、トレンドというのはその時同時に起こっている何かしらにより影響を受けるので、今やそこまで番組にとって影響力はないと感じている。
重要度としてはTVer>トレンドという感じ。
それでもポストはするようにしている。
リアタイをし実況は出来ないけど、感想をポストしている。
最近はその番組のプロデューサーさんがタグをチェックしているみたいで、結構その番組担当の方のいいねがつく。
だから、そのタグで自分が誰目当てで観たのかを明確にした上で面白かったとポストしている。
皆さんもぜひ。
後書き
さぁ、そんなわけで。
ほっとひといきのように脱線しながら、とうとうエンディングです。
このnoteはひなたフェスが終わったすぐ後から書き始めたものになります。
この時点で2万文字を超えました。
20000文字です。お疲れ様でした。
全部読んでくれた人いるのかな〜。。。いねぇな笑
もう一度言いますがこのnoteは僕の完全な妄想話なんですね。趣味みたいなものです。
でも今回は呼びかける意図もあるのかな〜。
日向坂に何が出来るのか、そう考えてたら書きたくなったので書きました。
良い夫婦の日(11月22日)にTLが急にこの「SNS指標」で盛り上がったじゃないですか?
それまではゆっくり書いていってたんですけど、「日向坂界隈的に、今なんだな。今出さないと!」と思い毎晩毎晩書き足していってました。
急いで急いでやっと、ようやく出せます。
嬉しいような、、、不安いっぱいのような。。。
何度も言っていますが、これは正解じゃないんです。こんなに頑張ったけど、きっと正解じゃない。
でも最初から正解を出す気はなくて、はじめに言った通り
「このnoteがあなたに何かを残せれば、私は嬉しく思う。」の精神で頑張りました。
このnoteが多くの人に見られると、必ず否定する人が出てきます。
でもそれで良いと思っていて、今大事なのはおひさまとして日向坂のために出来ることは何か?という議論が活発に行われることだと思っています。
実際私は、このnoteに2ヶ月かかっちゃうくらいに時間がなくて、色々と調べたりが出来てないんですよ😅
何か言われても仕方がないです。
でも、僕なりに真剣に考えた結果であるということは忘れないでいただきたい。
否定をするなら代わりの案を持って否定していただきたい。
このnoteをきっかけに、色々な情報、知識に詳しい方やそうじゃない私のような方も皆で「ああだ」「こうだ」と色んな場所で議論が行われること。
そしていずれ、おひさまの考えが一つにまとまり、
日向坂の第4章が素敵な未来になりますように。
ただそれだけを願っています。
このnoteがきっかけで、あなたに何かが残れば、僕は嬉しいです。
ありがとうございました!!
後書きの後書き
悔しいです。書き終わった後に、素敵なnoteを見つけました。
話題に挙げているのは僕と同じです。
僕よりもずっと見やすく、分かりやすいnote。
ああサヨナラ、俺の2ヶ月。
おしまい