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ありがとうの馬油       マイストーリー#1

本来の肌で自信を持って生きられる女性を増やしたい。
朝起きた時に肌が潤っていたら
幸せな気持ちでスタートすることが出来ます。
年だからとか、生まれつきだからとか
皆さんは美肌になることを諦めていませんか?

サンキューバーユ の創業の岡田恵子です。

馬一頭から数キロしかとれない馬のタテガミ『こうね』馬油を原料・精製・品質・管理にこだわって 大手有名百貨店と自社のオンラインショップで販売しております。

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馬油の素晴らしさを知っていただきたいと  昭和生まれ パソコンも使えない普通の専業主婦だった私が54歳で起業し、オリジナルの馬油ブランドを創業いたしました。

専業主婦だった私がこうね馬油に出会うまでのマイストーリーを綴ります。


重度の火傷で手の表皮を損傷

20代でおしゃれを一番楽しみたい時、私は重度の火傷で手の表皮を損傷し、臀部の皮膚を移植しました。

周りの友人が赤いマニキュアやピンクのマニキュア、おしゃれな指輪を楽しむ時、私はどうしたら手の傷を目立たなくできるか、どうしたら手の痒み(かゆみ)を抑えることができるかに必死でした。

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洋服選びは 流行のデザインよりも長袖で目立たないもの、またはカーディガンやジャケットを着て組み合わせができるもの。真夏の暑いときでも、長袖、レースの手袋は必需品でした。

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友人の白い指が羨ましく、醜くなった手が恨めしく、いつしか心が後ろ向きになりました。

ステロイドで黒ずんだ手

当時 広島にいた私は東京によい病院やお医者様がいると聞けば受診するため上京しました。
しかし、どの病院に行っても 事故だからと言われ いつもステロイドだけ処方される。

時間が絶てば、そのうち傷も癒えてくると思っていましたが、ずーっと乾燥や痒みに悩まされる。さらに、長年のステロイド使用により手はどんどん黒ずみ、ますます隠したい気持ちが募るばかり。

皮膚も薄くなるのか、気がつくといつも表皮が裂けて、血がにじむ状態が続きました。うるおいのない肌は血行も悪く、手の先はいつも冷たく、爪も次第に変形していました。

縁があり、主人と結婚して 娘が生まれ 幼稚園に通う時、新しい悩みができました。

子供は正直ですので、すぐに 「おばちゃんの手汚い」と言われ、それが娘のいじめにつながるのでは… 悩んだりもしました。

手荒れに良いと言われる物は、値段に関係なく購入しましたが、一向に改善しません。

この手は一生治ることはないと、、、、自分に言い聞かせ、どこかで諦めていました。


45歳からの指先の硬直

ポケットやカバンには、必ずステロイド、ハンドクリーム、絆創膏を持ち歩き、毎日必ず皮膚が切れて血が滲む。繰り返し貼る絆創膏のテープでかぶれることが日常。
乾燥がひどく血行が悪い状態が続くと関節の動きも悪くなり、45歳ごろから 朝起きた時 指の関節が曲がったまま、2〜30分指先の硬直。

この先 私の手はどうなるのか 凄く不安でした。

手荒れに悩み続けた30年を経て、50歳のときある出会いがありました。

つづきは、次のnoteへ



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