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ひとくち日記:ひとりひとりのチャンネル

占い師の知り合いの方から「ウチの店に妖怪が見えるって子が来たことある」という話を聞いた。

なんだそりゃ、ゲゲゲの鬼太郎か!?とびっくりしながら話を聞くと、そのお店に来た人はカッパや小豆洗い、飛ぶ生首などを見た、などと言っていたらしい。全く摩訶不思議な話である。

にわかに信じ難いなあと思いつつ聞いていると知り合いはまた次のように言った。「その人のように妖怪が見える人もいれば、幽霊が見える人もいる。かと思えば私(占い師)みたいに感覚的に何かを受け取ってそれを別の人に伝える人もいる。人それぞれ別のチャンネルに意識が合わさってるのだよね。」と。

つまり、ゲゲゲの鬼太郎的な、妖怪が見えるチャンネルなんかがあり、それ以外にも幽霊が見えるチャンネルもあるし、占いできるチャンネルもあるというわけだ。みんな、それぞれ違うチャンネルに合わされた視界や視点がある。これは非常に面白い考えだと思う。

それは別に、そういったスピリチュアルなこと以外にも言えるのではないだろうか。皆それぞれひとりひとり、別の視点や意識を持っていて、別々のチャンネルに意識が合わさっている。そうやって、チャンネルの中で見ている世界からその人なりの価値観が出来上がるという仕組みを想像する。

「この人一体何を言ってんだよ?」って自分が思う人は、案外自分と見ているチャンネルが違ったりするのかもしれない。

例えば私はニュース番組を見て話しているのに、話している相手はドリフを見ているから話が噛み合わないみたいな、そういうことが起きていてもおかしくないのだ。それか、ニュース番組でもちょっと毛色の違うニュース番組だった、とか。

そういう、みているチャンネル(視点)の違いについてあらかじめ知っていれば、相手への失望や怒りなんかは和らげることが出来るのではないかなと思う。見てるチャンネルが違うんだもの、話なんて合わなくて当然ね。と、自分なりに折り合いがつけられるんじゃなかろうか。

そして、そのまま一緒にドリフにチャンネルを移すか、「私はニュース番組を見たいからやっぱりドリフを見てる気分じゃないわね。」となって離れるかは自分次第で、相手のチャンネルに無理やり自分のチャンネルを合わせる必要もない。

ひとりひとり自分のチャンネルがあり、見ている世界がある。たまに同じ(あるいは似たような)チャンネルを見ている人がいて、「え!ドリフ面白いですよね!わかります!」と話が弾んだり、かと思えば相手と見ているチャンネルが変わってお別れしたり、なんかそういうのの繰り返しだな、と改めて思った。

ありきたりだが、視点や意識の違いを何度も認識し理解することは大事である。違いを理解して、過度な期待感や自身の理想の押し付けを防げたらいいなと思っているから、ちょっとした話から例え話を膨らませてあれやこれや書き綴るのだ。

まあ、といいつつ当初は「妖怪が見える人」の話から始まったら突拍子もない話であって、真面目な話はあとからくっつけたに過ぎないのだが。

いつか私も妖怪が見えるチャンネルを受信している人に会ってみたい。妖怪見えるチャンネルには流石に同じように視点を合わせられないと思うが、「視点の違い」に興味を持って自ら関わっていくのも悪くないのだと思う。

もしかしたら、その出会いに自分のチャンネルが切り替わる瞬間が待っているかもしれない。




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