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ひとくち日記:だれのためなんのため…じゃなくて。

ここ数年になって化粧とか美容のことに興味が出てきてる。

今まで「女はこうあるべき」と散々近親者に無駄な説教を食らっては尾崎豊並みの反抗心で「女になどなってたまるか」という反逆心むき出しにしていたのもあり、自分から進んで素直に美容やお洒落をすることに興味を示せなかった。

でも最近はそんなことなくて、ファッションも美容も積極的に知ろうとしている。理由は様々だが、歳を重ねるごとに「反抗してることが逆に呪いじゃん!反抗やーめた!美しくなっちゃお!」って思えるようになってきたから。

今となっては細く見せたいからってコルセットしたり、足が細くなるようにってメディキュット履いたり、化粧水や化粧品に気を使ってみたり…昔じゃ考えられないくらいの追求心で、まるで呪いの雪解けが訪れたみたいにあーだこーだやっている。

しかしあまりにその追求心が目まぐるしくて、自分の求めるものを追いすぎて、時々「一体自分は何をやっているのだろう」と虚しくなるときもある。

一体、何のために美容やファッションに金を費やしてんだ。誰に見せるわけでもないだろうに。なんて思ってしまう。

だけど、もっともっとよく考えたら、別に誰のためでもないのだ。私が私のためにやりたいのだ。私が飽きるまでやりたい。全ては私のため。私が満足したいからやってんだった。

拘り出したら終わりがないことは知っているのだが、それでもなるべく美しくありたいと願うし、自分のために泥のような努力もしてやりたいと思う。

美しくあろうともがく自分を自分が愛してやらなくてどうするのだ。泥臭くたって誰に褒められなくたって良いって思えるくらい自分のために全力でやんなくてどうすんだ。なんて、自分と向き合う時間が多い今の中で、泥臭い自分や必死な自分を垣間見る機会が多くなったからこそそう思う。

誰かのために美しくありたいと思うのもとても素敵だ。けれど、別に自分のために美しくありたいとか、「自分の胸を打ちたいから」美しくなってやりたいと思うのだって、十分素敵だって私は信じている。

自分を自分で感動させられたらもう百億点満点。そういうマインドで、多分明日も明後日も、私は泥臭く必死になって美しくあろうともがいていく。

それは誰のためでもなんの為でもなく、それは全部私が私を愛したいからやってるんだよって滅茶苦茶に叫んで明日も生きてやる。

覚悟してろよ、私。

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