誕生日
毎年1回、誰にでもやって来る誕生日。
小さい頃は家族に祝われ、大きくなると友達やお付き合いをしている人、歳を重ねて一人の夜は、楽しく友達と飲んだ後、一人の家に帰ると無性に寂しかったり...仕事が忙しくてへとへとで気がつけば「あ、今年の誕生日終わっちゃうな」とか。
夫婦で過ごし祝う人、子供達と祝う人、色々な過ごし方があるだろう。
私もここまで色んな誕生日を過ごしてきた。
小さい頃はあんなに嬉しかった誕生日も、適齢期になると「またひとつ歳を重ねる、それなのに私はまだこんな...」、周りの人と比べては自分の状況を焦ったり、惨めな思いになったり...。
誕生日が近づく度、先のことが不安になり、毎年全てが嫌になる五月病を発症。
そんな思いが結構続いた。
今思えば、なかなか理想の自分を諦めきれなかったんだと思う。
理想と違う今の自分を受け入れたくなかったんだと思う。
「来年こそは、次の誕生日こそは...」
歳だけをとって、周りから置いていかれているようなそんな自分に焦っていたのだと思う。
その頃は周りのみんながキラキラして見えて、私だけ池の底に引きずり込まれているような、そんな気持ちになっていた。
もがいてもがいて、水面に上がろうと、水面に捕まれる流木を探して、助けてくれる人を探して、もがいている気分だった。
最近聞いた。
「幸せなときを知っているから、それが当たり前だったから、そうじゃない自分になった時に、悲しいんだ。焦るんだ。」
...そうかもしれない。
最近はめっきり誕生日前五月病にかからなくなった。
理想を追い求めるのをやめ、他者と自分の違いを受け入れ、これが私なんだと自分を大事にするようにした。
外から見ているだけではわからない。
キラキラ見えている皆も、内では何かを抱えているのかもしれない。
まぁ、歳を重ねすぎて図太くなっただけかもしれない笑
でも、自分の一番の見方は自分だ。
自分が自分を好きで、可愛がってあげなくて、誰が可愛がってくれる!?
自分を好きになったとたん世界が少し明るく見えるようになる。
明るく見えるようになったら、少しずつ自分の周りも変わってくる。
求めていた幸せが少しずつ寄ってくる。
池の底にいる気持ちのときは、抗わず、漂ってみる。
人に頼って水面に上げてもらうことは、大体叶わない。
漂っているうちに、いつのまにか上手に浮けるようになって、気づいたら楽しく泳げるようになってて...そんなときふと気づいたら、自分の周りが助け船で一杯になっているのかもしれない。
来年の誕生日はどんな1日になるのかな。
何事も楽しもう。